名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2014年06月

*************** 名歌鑑賞 ***************

五月雨は たく藻の煙 うちしめり しほたれまさる
須磨の浦人
                 藤原俊成

(さみだれは たくものけぶり うちしめり しおたれ
 まさる すまのうらびと)

意味・・謫居(たっきょ)の身の須磨の浦人は日頃から涙が
    ちなのに、五月雨の頃は焼いて塩を取る藻も湿め
    りがちで、いちだんと濡れぼそていることだ。

    五月雨が藻塩を湿らせていよいよ焼きにくくし、
    浦人の嘆きを一層つのらせている。

    参考歌です。

   「わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ
    わぶと答へよ」   (意味は下記参照)
    
 注・・五月雨=陰暦の五月に降る長雨。梅雨。
    たく藻の煙=製塩するため、海水を注ぎかけて塩    
     分を含ませた海藻を干して焼く、その煙。この
     灰を水に溶かし、上澄みを煮て塩を取る。
    しおたれまさる=海水に濡れて雫が垂れる。そして
     袖が涙で濡れるほど嘆き沈むことを暗示する。
    須磨の浦人=須磨の浦は摂津国の枕詞。罪を負っ
     て須磨に謫居している都の貴人。
    謫居(たっきょ)=罪によって遠い地方に流されて
     いること。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
    正三位・皇太后大夫。「千載和歌集」の撰者。

出典・・千載和歌集・183。

参考歌です。

わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ
わぶと答へよ
                   在原行平

(わくらばに とうひとあらば すまのうらに もしお
 たれつつ わぶとこたえよ)

意味・・たまたま、私のことを尋ねてくれる人があった
    ならば、須磨の浦で藻塩草に塩水をかけて、涙
    ながらに嘆き暮らしていると答えてください。

    文徳天皇との事件にかかわり須磨に流罪になっ
    た時に親しくしていた人に贈った歌です。

作者・・在原行平=ありわらのゆきひら。818~893。

出典・・古今和歌集・962。 

    

*************** 名歌鑑賞 ***************


吹きと吹く 風な恨みそ 花の春 紅葉も残る
秋あらばこそ
                北条氏政

(ふきとふく かぜなうらみそ はなのはる もみじも
 のこる あきあらばこそ)

意味・・桜の花よ、吹きしきる春の風を恨まないでく
    れ。秋になったら美しい紅葉として残る葉も
    あるのだから。

    氏政は小田原城にたてこもり、秀吉の大軍を
    迎え撃ったが、秀吉の兵糧攻めに合い、無条
    件降伏した時に詠んだ辞世の歌です。

  注・・吹きと吹く=吹きに吹く。「と」は同じ動詞
     の間に用いて、意味を強調する語。
    な・・そ=動作を禁止する語。どうか・・し
     てくれるな。
    あらばこそ=あるのだから。「こそ」は活用
     語の已然形に「ば」を介して理由を強調す
     る語。

作者・・北条氏政=ほうじょううじまさ。1538~1580。
    戦国時代の相模国の武将。豊臣秀吉の小田原
    征伐に破れ降伏して切腹。

出典・・赤瀬川原平著「辞世のことば」。

*************** 名歌鑑賞 ***************


我が庵は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を
軒端にぞ見る
               大田道灌

(わがいおは まつばらつづき うみちかく ふじの
 たかねを のきばにぞみる)

意味・・私の家は松林の続く海の近くにあり、家の軒端
    からは富士の雄姿を見上げることが出来、景色
    の素晴らしい所に住んでいます。

作者・・大田道灌=おおたどうかん。1432~1486。室町
    時代の武将。江戸城を築く。

出典・・慕景集(宇野精一編「平成新選百人一首」)

***************** 名歌鑑賞 ***************


花さへに 世をうき草に なりにけり 散るを惜しめば
さそう山水
                  西行

(はなさえに よをうきぐさに なりにけり ちるを
 おしめば さそうやまみず)

意味・・私ばかりでなく、花までもが世の中を憂いもの
    として水面に散って浮き草のようになってしま
    った。散るのを惜しんでいると、一方では一緒
    に行こうと誘って流れて行く山川の水がある、
    花はそれに誘われて流れて行ってしまうことだ。

    歌合の評者の定家は「散るを惜しめば」を「春
    をおしめば」と訂正と改めたらどうか、と述べ
    ている。現実的な光景を一般的な惜春の情にし
    はどうかと言ったもの。いずれにしても、散る
    のを惜しめば、春を惜しめば、山川の水が誘う
    ので、花は早く散り春は早く過ぎ去って行くと
    歌ったものです。人生の春を謳歌するのも、す
    ぐに過ぎ去る意を含んでいる。

 注・・世をうき草=「うき」は「憂き」と「浮き」を
     掛ける。「憂き」は人生の春を惜しむ心。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・宮河歌合(小学館「中世和歌集」)
    


*************** 名歌鑑賞 ***************


世の中は 左様でそうで ご尤も しかと存ぜず
おめでたいこと 
                作者不明

(よのなかは さようでそうで ごもっとも しかと
 ぞんぜず おめでたいこと)

意味・・世渡りのうまい人間は、上司や力のある人物
    が言うすべてのことに、「そのとおり」「そ 
    うです」「おっしゃることはごもっとも」と
    相づちを打ち、お上手を言う。微妙なことに
    なると「いやしっかりとは存じません。あの
    人に聞いて下さい」とふる。実にうまく立ち
    振る舞う。これですべてはうまくいき、出世
    するという。

    いつもお上手を言われている上司には、そう
    いう人物を評価して引き立てたりする。不器
    用な人物は、いつでも取り残されてしまう。
    だから、こういう歌が皮肉を込めて詠みつが
    れるわけである。この歌は江戸時代、田沼親
    子が権勢をふるっていた頃に流行ったという。
    もっとも、相手のことを否定してばかりして
    いては人間関係はまずくなる。「そうですね」
    と相づちを打つ効用を詠んでいる。

出典・・山本健治著「三十一文字に学ぶビジネスと人生
    の極意」。
   

*************** 名歌鑑賞 ***************


雨に風にあふほど蘭の白さかな 吉川英治

(あめにかぜに あうほどらんの しろさかな)

意味・・蘭にとってはつらい雨や風に打たれ、その
    厳しさに根腐れせず、倒れずに耐え抜いて
    来た蘭ほどより美しい白さで花を咲せてい
    る。

    どんな状況にあつても希望を失わず、向上
    心を捨てず、苦難を乗り越えた吉川英治の
    自分の生涯を詠んだ句でもあります。

作者・・吉川英治=よしかわえいじ。1892~1962。
    横浜山内尋常小学校中退。小説家。大正12
    年の関東大地震により勤め先の新聞社が倒産
    したのをきっかけに作家活動に入る。宮本武
    蔵・新平家物語など有名小説を多数書く。

出典・・半田青涯著「歴史を駆け抜けた群雄の一句」。


*************** 名歌鑑賞 **************


死近き 母の心に 遠つ世の 釈迦の御足跡の
石をしぞ擦れ
              吉野秀雄

(しちかき ははのこころに とおつよの しゃかの
 みあとの いしをしぞさすれ)

意味・・もう死期の近い母を悲しく思いながら、遠い
    世のお釈迦様の足跡を刻んだといわれる仏足
    石を、静かにさすり母の平穏を祈っている。

    「釈迦の御足跡の石」は奈良の薬師寺にある
    仏足石である。釈迦の足跡を石に刻み信仰の
    対象にしたもので753年に建立されている。
    そこには仏足石歌碑があり、仏徳を詠んだ歌
    21首が刻まれている。
    その内の一首です。
    「大御足跡(おおみあと)を見に来る人の去(い)
    にし方千代の罪さへ滅ぶぞと言う除くと聞く」
    (この仏足石を見に来た人の所には、千代の昔
    からの罪さえ除かれると聞いている。なんと有
    難いことでしょう) 
    母が安らかに眠ることを願った歌です。

作者・・吉野秀雄=よしのひでお。1902~1967。慶応
    義塾大病気中退。会津八一に師事。

出典・・岩田正著「短歌のたのしさ」。
 

*************** 名歌鑑賞 ***************


贅沢に なりたる子よと 寂しみて 皿に残しし
もの夫と食ふ
                                                 松井阿似子

(ぜいたくに なりたるこよと さみしみて さらに
 のこしし ものつまとくらう)

意味・・贅沢になった我が子。好きな物だけは食べて
    嫌いな物は食べ残している。食べ残したおか
    ずは捨てるに捨てられないので、夫と一緒に
    食べている。なんだか寂しくなってくる。

    アメリカの社会学者がかって、日本人を評し
    て「胃袋いっぱい」「魂からっぽ」と言った
    そうです。表記の歌を評した感じです。「米」
    という言葉は、人手を実に八十八回も経て、
    初めて食膳にのるということからその文字が
    作られたと、昔の子供は教えられた。そして、
    一粒の米をこぼしても叱られ、副食が気に入
    らないという顔をしただけで、「いやなら食
    うな」と絶食を強いられて不思議でない時代
    の中を成長していった。しかし、現代っ子は
    あれこれ好きな物だけ食べ散らかし、少しで
    も空腹になれば、冷蔵庫の扉を開け、何かを
    引っ張りだせばすむのである。そうした我が
    子を、自らの手で育ててしまった親は、今更
    のように、「寂しみて」と言うしか仕方がな
    い思いをせずにいられないのだ。それは、自
    分自身の手で育てながら、自分達と余りにも
    価値観の違った者として育ってしまった我が
    子への失望であり、どうにも埋めることの出
    来ない人間的違和感への「寂しみ」を詠んで
    いる。

作者・・松井阿似子=伝未詳。

出典・・昭和万葉集(小野沢実著「昭和は愛し・昭和
    万葉集秀歌鑑賞」)
    

*************** 名歌鑑賞 ***************


ほど経れば 同じ都の 内だにも おぼつかなさは
問はまほしきを
                西行

(ほどふれば おなじみやこの うちだにも おぼつかな
さは とわまおしきを)

意味・・長く逢わないで時が経つと、同じ都にいてさえ、
    気になって安否を問いたくなるものなのに、遠く
    都を離れたらなおさら気掛かりになるだろう。

    旅に出る前に詠んだ歌です。都を離れて遠く旅立
    つ折りの心情を込めています。

 注・・ほど=時間、距離。
    おぼつかなさ=心配だ、不安だ、気掛かりなこと。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。

出典・・山家集・1091。

*************** 名歌鑑賞 ***************


聞かずとも ここを瀬にせん 時鳥 山田の原の
杉のむら立ち           
                                                   西行

(きかずとも ここをせにせん ほととぎす やまだの
 はらの すぎのむらだち)

意味・・たとえ聞けなくても、ここをほととぎすを待つ
    場所としよう。山田の原の杉の群立つここを。

    山田の原は伊勢神宮に近い森。この森厳な伊勢
    神宮の森で時鳥の鳴き声を厳粛な気持ちになっ
    て聞きたいと詠んでいます。

 注・・瀬にせん=逢う場所にしょう。
    山田の原=三重県伊勢市伊勢神宮の外宮の辺り。
    むら立ち=群立ち。群がって立っている所。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。鳥羽院北面
    武士。23歳で出家。

出典・・新古今和歌集・217。

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