名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2014年07月

*************** 名歌鑑賞 ****************


まっさきに 気がついている 君からの 手紙 いちばん
最後にあける
                                俵万智

(まっさきに きがついている きみからの てがみ
 いちばん さいごにあける)

意味・・家のポストに届けられていた幾通かの郵便物の
    中に、あなたからの手紙をまっ先に見つけ出し
    ていながら、じれったさを楽しむかのように、
    私はその手紙を開封するのをわざと後回しにし
    て、いちばん最後に開封したことだ。

       嬉しさや期待、ときめきや急(せ)く気持ちとと
    もに、逆に楽しみは後に取っておきたいような
    気持ちやじれったさを楽しむような気持ちが混
    在している様子がよく伝わってくる。

作者・・俵万智=たわらまち。1962~。早稲田大学卒。
    佐々木幸綱に師事。歌集「サラダ記念日」が有名。

出典・・インターネット「俵万智のチョコレートBOX」。

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山ざくら 峯にも尾にも 植えをかむ みぬ世の春を
人や忍と
                  西園寺公経

(やまざくら みねにもおにも うえおかん みぬよの
 はるを ひとやしのぶと)

意味・・この別宅の庭には峯になったところも低地に
    なったところもあるが、そのどこにもみんな
    山桜を植えておこう。そうすれば、ずっと後
    世の人も、私が全盛期にどれほど素晴らしい
    景色を眺めていたか、想像してくれるだろう
    から。

    公経の絶頂期に詠んだ歌です。自分の権威を
    誇示するかのように、京の北山に広大な別宅
    を構えた。田園だった地域を大々的に造成し
    て、山林や池を作って奥深い感じを出したと
    いう。この別宅は後に足利三代将軍義満が手
    に入れ、現在の金閣寺を造営した。

作者・・西園寺公経=さいおんじきんつね。1171~
    1244。従一位太政大臣。金閣寺の前身であ
    る西園寺を健立。

出典・・後藤安彦著「短歌で見る日本史群像」。

*************** 名歌鑑賞 ****************


みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの
はっぱふみふみ
                                    大橋巨泉

意味・・短めの万年筆のキャップを取れば、すぐに筆に
    なり、すぐにでもすらすら書ける、手紙も文も。

    1969年に万年筆のCMになった歌です。当時、
    「はっぱふみふみ」は流行語となった。

 注・・みじかびの=短い。
    きゃぷりき=キャップ。
    すぎちょびれ=直ぐにちょび筆。すぐに書ける
     筆。
    すぎかきすらの=すらすら書ける。
    はっぱふみふみ=手紙、文。

作者・・大橋巨泉=おおはしきょせん。1934~。早稲田
    大学中退。タレント。司会者。

出典・・岡井隆著「現代百人一首」。

*************** 名歌鑑賞 ***************


契りおく 花とならびの 岡の辺に あはれ幾世の
春を過ごさん
                            兼好法師

(ちぎりおく はなとならびの おかのべに あわれ
 いくよの はるをすごさん)

意味・・自分が死んだなら一緒に過ごそうと、約束し
    て桜の木を植え、それと並んで墓地を作った
    が、この慣れ親しんだ双ヶ岡(ならびがおか)
    に、ああ、これから自分は桜の花とともにど
    れほどの年月(春)を過ごすのであろう。

    隠棲して双ヶ岡に墓所を作り、その傍らに桜
    の木を植えた時の歌です。

 注・・契り=約束。死んだら一緒に過ごそうと約束  
     して。 
    ならび=「並び」と「双ヶ岡」の掛詞。
    ならびの岡=京都市右京区御室仁和寺の南に
     ある岡。
    あはれ=感動詞。ああ。
    幾世=どれほどの年月。

作者・・兼好法師=1283年頃の生まれ。後に二条院に
    仕え、蔵人左兵衛佐(くらうどさひょうのすけ)
    になっていたが出家。「徒然草」で有名。
 
出典・・岩波文庫「兼好法師歌集・19」。
 

*************** 名歌鑑賞 ***************


恋しけば 来ませ我が背子 垣つ柳 末摘み枯らし
我れ立ち待たむ
                 詠み人知らず

(こいしけば きませわがせこ かきつやぎ うれつみ
 からし われたちまたん)

意味・・そんなに恋しいのなら来て下さい、あなた。垣根
    の柳の枝先を枯らしてしまうほどに摘み取り摘み
    取りしながら、私はずっと門口に立ってお待ちし
    します。

    男の方からあなたが恋しい、お逢いしたくてたま  
    ません、といって来た返歌です。切実に待つ女心
    を詠んでいます。

出典・・万葉集・3455。

**************** 名歌鑑賞 **************


かりに来と 恨みし人の 絶えにしを 草葉につけて
しのぶころかな
                  曽禰好忠

(かりにくと うらみしひとの たえにしを くさばに
 つけて しのぶころかな)

意味・・その時だけのいい加減な気持ちで訪ねて来る
    人だと恨んだものだが、草葉が茂り刈る時期
    になっても、今では全く来なくなって見ると、
    懐かしく思い出されることだ。

    誠意がなくて訪ねて来ていた人でも、全く来
    なくなって見ると懐かしく思われて来る、と
    詠んだ歌です。

 注・・かりに=「仮に・かりそめに」と「刈り」を
     掛ける。
    絶えにしを=全く来なくなった。
    草葉につけて=草葉の茂るにつけて。「茂る」
     を補って解釈する。

作者・・曽禰好忠=そねのよしただ。生没年未詳。平
    安時代の三六歌仙の一人。

出典・・新古今和歌集・187。

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夏は扇 冬は火桶に 身をなして つれなき人に
寄りも付かばや
                             詠み人知らず

(なつはおうぎ ふゆはひおけに みをなして つれなき
 ひとに よりもつかばや)

意味・・夏は扇、冬は火鉢に、我が身を変えて、無情な人
    に寄り添っていたいものだ。

    つれない相手に、身の回りの物に変身して、どこ
    までも一緒にいたいと願った歌です。

 注・・夏は扇冬は火桶=どちらもそれぞれの季節の必需
     品で身から放せない物。「火桶」は木製の丸火
     鉢。

出典・・拾遺和歌集・1187。

*************** 名歌鑑賞 *****************
 

むかしみし 垂井の水は かはらねど うつれる影ぞ
年をへにける
                         藤原隆経

(むかしみし たるいのみずは かわらねど うつれる
 かげぞ としをへにける)

意味・・昔見た垂井の泉の水は昔と変わらないけれど、
    その水に映っている人の姿は、あれから長い
    年が過ぎたのだとわかることだ。

    変らない自然と我が身の老いへの感慨を詠ん
    でいます。

 注・・垂井=美濃国不破郡の地名。

作者・・藤原隆経=ふじわらのたかつね。生没年未詳。
    1071年頃活躍した人。美濃守・従四位下。

出典・・詞花和歌集・390。


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いかばかり 神もうれしと み笠山 ふた葉の松の 
千代のけしきを
                             周防内侍

 
(いかばかり かみもうれしと みかさやま ふたばの
 まつの ちよのけしきを)

意味・・どんなにか春日の社の神もうれしくご覧になっ
    ているだろうか。三笠山の双葉の松のように千
    代を約束されている若々しい中将の姿を。

    藤原忠通・中将が摂政左大臣になった時にお祝
    いとして詠んだ歌です。

 注・・み笠山=三笠山。奈良市春日野の春日神社背後
     の山を指す。藤原氏や春日神社を暗示してい
     る。
    ふた葉の松=二葉は芽を出した最初の葉。長寿
     の松に、当時12歳の忠通をたとえる。

作者・・周防内侍=すおうのないし。生没年未詳。堀河
    帝に仕える。

出典・・金葉和歌集・322。

 
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故郷に 今夜許の 命とも しらでや人の
我を待らん        
                                                        菊池武時

(ふるさとに こよいばかりの いのちとも しらでや
 ひとの われをまつらん)

意味・・明日は我々の総力をあげて敵と戦わねばならな
    い。おそらく私には今夜一晩の生命しか残され
    ていないだろう。それでも故郷の菊池の郷では
    そんなことはつゆ知らない妻や子が私を待って
    いることだろう。

        元弘の乱の時、後醍醐天皇の命令で北条英時を
    討とうと兵を挙げた時に詠んだ歌です。

    故郷を想って詠んだ浅野内匠頭の歌、参考です。

    風さそふ 花よりも猶 我はまた 春の名残を
    いかにとやせん     (意味は下記参照)

 注・・元弘の乱=1331~1333年、後醍醐天皇を中心
    とした鎌倉幕府の討幕運動。

作者・・菊池武時=きくちたけとき。1292~1333。

出典・・後藤安彦著「短歌でみる日本史群像」。

参考歌です。

風さそふ 花よりも猶 我はまた 春の名残を
いかにとやせん  
                          浅野内匠頭長矩
             
(かぜさそう はなよりもなお われはまた はるの
 
なごりを いかにとやせん)

意味・・風に吹かれて散る花よりも、私はもっとはかな
    い身で、名残り惜しい。わが身の名残りをこの
    世にどうとどめればよいのであろうか。

      桜の花が散っているこの庭から、遠く山の向こ
    うの赤穂を想うと、わが世の春を楽しむ庶民の
    生活があるだろう。私は、この春が終わった後
    はどうなるのかと心残りがする。

    浅野内匠頭が切腹する時に詠んだ辞世の歌です。
    赤穂では家中、家族、領民一同、今日一日が穏
    やかに暮れたように、明日も穏やかで平和の日
    々がある事を信じて、今日の終わりを迎えてい
    るだろう。家族や親しい者たちとの楽しい団欒
    やささやかな幸せ、それを自分の一瞬の激発が
    奪ってしまったのだ。「皆の者、許せ」と内匠
    頭が胸中に詫びた時、桜の花びらが一ひら、あ
    るともなしの風に乗ってここまで運ばれて来た
    のである。死にたくない。

作者・・浅野内匠頭長矩=あさのたくみのかみながのり。
    1667~1701。34歳。赤穂藩の藩主。「忠臣蔵」
    の発端になった人。



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