名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年04月


**************** 名歌鑑賞 ***************


まだ知らぬ 人のありける 東路に われも行きてぞ
住むべかりける      
                  藤原実頼

(まだしらぬ ひとのありける あずまじに われも
 ゆきてぞ すむべかりける)

詞書・・わが子の藤原敦敏(あつとし)左大臣が36
    歳で亡くなったが、それを知らない東国の
    人が馬を送って来た。

意味・・敦敏に馬を献上してくる人のある所を見る
    と、敦敏のことを知らない人が東国にいる。
    その敦敏の死んだことをまだ知らない人も
    いる東国に、私も行って住めばよかった。

    離れたところに住んでいれば死んだ子の事
    を知らずに済み、不幸があった事を知らな
    いので、悲しまなくてよいのに、という気
    持を詠んだ歌です。

作者・・藤原実頼=ふしわらさねより。899~970。
    関白太政大臣。

出典・・後撰和歌集・1386。


***************** 名歌鑑賞 ****************


あおやぎの 枝にかかれる 春雨は 糸もてぬける
たまかとぞみる          
                 伊勢

(あおやぎの えだにかかれる はるさめは いともて
 ぬける たまかとぞみる)

意味・・芽を出した青柳の枝に春雨が降りかかって、
    露のかたちとなっているのは、まったく糸で
    真珠のつぶつぶでも貫いたように見えるもの
    だ。

作者・・伊勢=いせ。生没年未詳。古今集時代の代表
    的女流歌人。

出典・・新勅撰和歌集・23。


**************** 名歌鑑賞 ****************


梅が香を さくらの花に 匂はせて 柳の枝に
咲かせてしがな       
                 中原致時

(うめがかを さくらのはなに におわせて やなぎの
 えだに さかせてしがな)

意味・・梅のよい香りを美しい桜の花に匂わせて、
    しなやかな柳の枝に咲かせたいものだ。

    梅・桜・柳、お互いのある物とない物とを
    からませて理想の姿に造型しょうとしたも
    の。さしずめ、よい匂いのする枝垂桜とい
    うところです。

 注・・しがな=願望を示す助詞。・・したいなあ。

作者・・中原致時=なかはらのむねとき。生没年未詳。

出典・・後拾遺和歌集・82。


*************** 名歌鑑賞 ****************


ふるさとの 花の盛りは 過ぎぬれど おもかげさらぬ
春の空かな
                  源経信
            
(ふるさとの はなのさかりは すぎぬれど おもかげ
 さらぬ はるのそらかな)

意味・・故郷の花の盛りは過ぎてしまったけれど、その
    美しかった様子は目に浮かんで消えない春の空
    である。

    美しく咲いていた桜の面影が忘れられない。そ
    してそこに咲いていた故郷の活気のある時代も
    忘れずに思い出されて来る。

 注・・ふるさと=古里。昔の都、荒れてしまった旧跡、
     以前住んでいた土地。
    おもかげ=面影。幻影、思い出される姿。

作者・・源経信=みなもとのつねのぶ。1016~1097年。
    正二位大納言。

出典・・新古今和歌集・148。


***************** 名歌鑑賞 ****************


高瀬さす 六田の淀の 柳原 緑も深く 
かすむ春かな        
                                 藤原公経

(たかせさす むつたのよどの やなぎはら みどり
 もふかく かすむはるかな)

意味・・高瀬舟が棹をさして行く六田の淀の柳原は、
    緑も深く、その緑とひとつになって深くかす
    んでいる春景色。のどかだなあ。

    「霞、遠樹を隔つ」の題で詠んだ歌です。

 注・・高瀬さす=高瀬舟が棹をさしていく。高瀬舟
     は川の浅瀬を通るために作った底の浅い舟。
    六田の淀=奈良県吉野郡吉野川の渡し場。
    かすむ=「緑がかすむ」と「霞」を掛ける。

作者・・藤原公経=ふじわらのきんつね。1171~1244。
    従一位太政大臣。

出典・・新古今和歌集・72。 


**************** 名歌鑑賞 ****************


数ならぬ うき身も人に おとらぬは 花見る春の
心ちなりけり
               建礼門院右京大夫

(かずならぬ うきみもひとに おとらぬは はなみる
 はるの ここちなりけり)

意味・・取るに足りない、憂いや辛い事の多い私でも
    人に劣らないのは、美しく咲いた花を見る春
    の心地ですよ。

    「花を見て」の詞書です。
    私は大した人間ではないが、寒い冬でも暑い
    夏でもいつでも、美しい花が咲く春の心地で
    過ごせます。これだけは誰にも負けません。

    悲しい時、苦しい時、痛む時・・・、辛さは
    無数にあるけれど、どんな時にでも花の咲く
    春の心地でいられると作者はいっています。

    辛さを堪えている時、その堪えている努力が
    喜びとして感じるのだろうか。
    それとも、大きな大きな苦しみを経験したの
    で、今の苦しみは大したものではない。あの
    時の苦しみと比べれば花見をしている春の心
    地と思うのだろうか。
    それとも、好きな人がいる、その人を思えば
    辛い事も堪えて行けるものだ、と言っている
    のだろうか。  

 注・・数ならぬ=数える価値がない、取るに足りな
     い。
    うき身=憂き身。辛い事の多い身の上。

作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんのうきょ
    のだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の中宮
    平徳子(建礼門院)に仕える。

出典・・建礼門院右京大夫集・72。


**************** 名歌鑑賞 ******************


慰もる 心はなしに かくのみし 恋ひやわたらむ
月に日に異に          
                詠人知らず

(なぐさもる こころはなしに かくのみし こいや
 わたらん つきにひにけに)

意味・・心の紛れる事はいっこうになくて、こんなに
    恋い続けてばかりいなければならないのか。
    月に日に苦しみは増すばかりで。

 注・・慰もる=心が晴れる、気が紛れる。
    月に日に異(け)に=毎月毎日に、月ごと日ご
     とに。

出典・・万葉集・898。


***************** 名歌鑑賞 ****************


心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども
思ひ知られず      
                                          紫式部

(こころだに いかなるみにか かなうらん おもい
 しれども おもいしられず)

意味・・私の気持ちの中で、どんな身の上になった
    らいいのだろう。どんな境遇にいても思い
    通りにならないとは知っているけれど諦め
    きれない。
    
    自分で満足のいく身の上というようなもの
    など、ありはしない。それは承知している
    けれど、諦めきれるものではない。

    他人が羨望するような良い所に就職出来た
    ものの、その中での人間関係が上手く行か
    ない。自分の思い通りになれるものではな
    いと、分かっていても何とかならぬかと諦
    めきれない、というような気持ちを詠んで
    います。    

 注・・心だに=気持ちの中で。
    いかなる身にか=どんな境遇の身であって
     も。
    かなふ=適ふ、思いどおりになる。
    思ひ知れども=道理などをわきまえる、悟る。
    思ひ知られず=理解できない、悟れない、
     諦めきれない。

作者・・紫式部=973頃~1019頃。藤原為時の娘。
      「源氏物語」「紫式部日記」の作者。

出典・・ライザ・ダルビー著「紫式部物語」。 


**************** 名歌鑑賞 ****************


霞立つ 永き春日を 子供らと 手毬つきつつ
この日暮らしつ        
               良寛

(かすみたつ ながきはるひを こどもらと てまり
 つきつつ このひくらしつ)

意味・・長くなった春の日を、子供らと手毬を
    つきながら、この一日を遊び暮らした
    ことだ。
   
      この歌の長歌です。
    暖かい春がやって来たので、托鉢に回
    ろうと思って村里に出かけて行くと、
    村里の子供たちが、道の辻で手毬をつ
    いている。その中に私も仲間入りをし
    て、一二三四五六七(ひふみよいむな)
    と毬をつく。子供が毬をつくと、私は
    手毬歌を歌い、私が歌うと子供が毬を
    つき、ついて歌って、長い春の日を過
    ごしたことだ。

    予定や約束に縛られない生活、愚にな
    って(利害損得を思わない)何事にも夢
    中になれる良寛の素晴らしさです。

作者・・良寛=1758~1831。新潟県出雲町に
    左門泰雄の長子として生まれる。幼名
    は栄蔵。

出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集・653」。
    


*************** 名歌鑑賞 ****************


玉守に 玉は授けて かつがつも 枕と我は
いざ二人寝む    
                坂上郎女

(たまもりに たまはさずけて かつがつも まくらと
 われは いざふたりねん)

意味・・掌中の珠(たま)といつくしんだ我が娘を、
    玉守(婿)に渡して母親の私はほっと安堵
    いたしました。娘のいなくなった部屋で、
    どれどれ今夜から枕を相手に寝ましょう。

    這えば立て、立てば歩めとただいちずに
    我が子の健やかな成長を念じて我が身を
    忘れる事幾年。昨今は匂うばかりに美し
    く成長し、話し相手とし頼りになった頃、
    手放して他人に委ねばならぬ母親の気持
    ちです。娘の門出を祝う母。母親として
    大任を果たし肩の荷を降ろした喜びと同
    時に、娘の去ったあとの部屋の広さを
    しみじみと味わいつつ、枕を抱いて寝る
    母の寂しさ。複雑な心情を詠んだ歌です。

 注・・玉守=娘を玉に、相手の男をその番人に
     譬えたもの。
    かつがつ=不十分であるがまあまあの意、
     どうやら。

作者・・坂上郎女=さかのうえのいらつめ。生没
    年未詳。大伴旅人は兄、大伴家持は甥に
    あたる。

出典・・万葉集・652。

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