*************** 名歌鑑賞 *****************
肩を落とし 去り行く選手を 見守りぬ わが精神の
遠景として
島田修二
(かたをおとし さりゆくせんしゅを みまもりぬ わが
せいしんの えんけいとして)
意味・・グランドの出口のほうへ、敗れ去った選手が
うなだれて消えていくのを見つめていると、
痛いものに触れないようにして来た私の精神
の遠景として、選手の後ろ姿がしきりに重な
ってならない。
敗者の後ろ姿に、悔しさ・惨めさを思いやり、
自分が原爆にあった体験や身体障害児の父親
としての苦痛を重ねている。
そして、この悔しさをバネに必ず頑張って見
せるぞ、という気持ちがこめられている。
作者・・島田修二=しまだしゅうじ。1928~2004。
東京大学卒。宮柊二に師事。新聞記者。在学
中に広島の原爆に会う。身体障害者の父とし
て苦悩を味わう。
出典・・歌集「青夏」(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞
辞典」)
遠景として
島田修二
(かたをおとし さりゆくせんしゅを みまもりぬ わが
せいしんの えんけいとして)
意味・・グランドの出口のほうへ、敗れ去った選手が
うなだれて消えていくのを見つめていると、
痛いものに触れないようにして来た私の精神
の遠景として、選手の後ろ姿がしきりに重な
ってならない。
敗者の後ろ姿に、悔しさ・惨めさを思いやり、
自分が原爆にあった体験や身体障害児の父親
としての苦痛を重ねている。
そして、この悔しさをバネに必ず頑張って見
せるぞ、という気持ちがこめられている。
作者・・島田修二=しまだしゅうじ。1928~2004。
東京大学卒。宮柊二に師事。新聞記者。在学
中に広島の原爆に会う。身体障害者の父とし
て苦悩を味わう。
出典・・歌集「青夏」(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞
辞典」)