名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年06月


*************** 名歌鑑賞 *****************


肩を落とし 去り行く選手を 見守りぬ わが精神の
遠景として         
                   島田修二

(かたをおとし さりゆくせんしゅを みまもりぬ わが
 せいしんの えんけいとして)

意味・・グランドの出口のほうへ、敗れ去った選手が
    うなだれて消えていくのを見つめていると、
    痛いものに触れないようにして来た私の精神
    の遠景として、選手の後ろ姿がしきりに重な
    ってならない。

    敗者の後ろ姿に、悔しさ・惨めさを思いやり、
    自分が原爆にあった体験や身体障害児の父親
    としての苦痛を重ねている。
    そして、この悔しさをバネに必ず頑張って見
    せるぞ、という気持ちがこめられている。

作者・・島田修二=しまだしゅうじ。1928~2004。
    東京大学卒。宮柊二に師事。新聞記者。在学
    中に広島の原爆に会う。身体障害者の父とし
    て苦悩を味わう。

出典・・歌集「青夏」(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞
    辞典」)


**************** 名歌鑑賞 *****************


よしあしに うつるならひを 思ふにも あやふきものは
こころなりけり
                   伴蒿蹊

(よしあしに うつるならいを おもうにも あやうき
 ものは こころなりけり)

意味・・善と悪に影響を受けて心が変化するのが人の世の
    常と思うけれども、どうなるのか気がかりなのは
    人のこころだなあ。

    まわりの環境に染まりやすく、善悪のけじめがゆ
    らぎがちなのが人間の心だという認識を詠んでい
    ます。

作者・・伴蒿蹊=ばんこうけい。1733~1806。近江八幡の
    豪商の生まれ。文章家として有名。著作に「近世
    奇人伝」、歌集に「閑田詠草」がある。

出典・・歌集「閑田詠草」(小学館「近世和歌集」)


*************** 名歌鑑賞 ***************


須磨寺や ふかぬ笛きく 木下やみ   
                      芭蕉

(すまでらや ふかぬふえきく こしたやみ)

意味・・この須磨寺の、青葉小暗い木立の中にただずむと、
    昔のことが偲(しの)ばれる。そしてあの平敦盛(
    あつもり)の吹く青葉の笛の音がどこからか聞こ
    えてくるように思われることだ。

    青葉の笛は明治の唱歌になっています。

    一の谷の 戦敗れ
    討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
    暁寒き 須磨の嵐に
    聞こえしはこれか 青葉の笛


 注・・須磨寺=神戸市須磨寺町にある福祥寺の通称。
     寺には平敦盛が夜毎に吹いたという青葉の笛
     が保存されている。
    平敦盛=笛の名手として鳥羽院より青葉の笛を
     賜った。17才で平家の一門として一の谷の闘
     に加わった。源氏側の奇襲で劣勢になり船に
     逃れようとした時、熊谷直実に討たれた。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1699。

出典・・笈の小文。


*************** 名歌鑑賞 ***************


世間は 空しきものと あらむとぞ この照る月は
満ち欠けしける
                詠み人知らず
                
(よのなかは むなしきものと あらんとぞ この
 てるつきは みちかけしける)

意味・・世の中はかくも空しいものであることを
    示そうとして、なるほど、この照る月は
    満ちたり欠けたりするのだなあ。

    膳部王(かしわでのおおきみ)が亡くなり
    詠んだ歌です。

    照る月は満月のようにまん丸い月であっ
    てほしいが、欠けてゆく。これと同じ様
    に人も、元気盛りの時代があれば老いて
    ゆく時代もやって来る。人が亡くなった
    からといって嘆き悲しんでばかりいては
    だめといっている。

出典・・万葉集・442。


*************** 名歌鑑賞 ****************


悔しかも かく知らませば あをによし 国内ことごと 
見せましものを
                    山上憶良

(くやしかも かくしらませば あおによし くぬち
 ことごと みせましものを)

意味・・ああ残念だ。ここ筑紫で死ぬとあらかじめ
    知っていたなら、故郷奈良の山や野をくま
    なく見せておくのだったのに。

    赴任先の筑紫で妻を亡くして偲んで詠んだ
    歌です。

 注・・あをによし=奈良、国内に掛かる枕詞。
    国内(くぬち)=「くにうち」の約。故郷。

作者・・山上憶良=660~733。遣唐使として3年
    滞在。筑前(福岡県)守。大伴旅人と交流。

出典・・万葉集・797。


**************** 名歌鑑賞 ***************


やまぶきの みのひとつだに 無き宿は かさも二つは
もたぬなりけり       
                   橘曙覧

(やまぶきの みのひとつだに なきやどは かさも
 ふたつは もたぬなりけり)

詞書・・笠を貸したのだがなかなか返してくれない
    ので、子供に取りに行かせる為に詠んだ歌。

意味・・山吹は花が咲いても実の一つもないように、
    我が家にも蓑は一つも無く笠も二つとは無
    いのですよ、どうか、お貸しした笠をお返
    し下さい。

    催促が柔らかく感じられます。

    本歌は「ななへやへ花はさけども 山吹の
    みのひとつだになきぞかなしき」です。
             (意味は下記)   

 注・・みのひとつ=山吹の実一つと雨具の蓑一つ
      を掛ける。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
    国文学者。家業を異母弟に譲り25歳頃隠棲。
    「独楽吟」等の歌集がある

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

本歌です。
ななへやへ 花はさけども 山吹の みのひとつ
だに なきぞかなしき 
                 兼明親王

詞書・・雨の降った日、蓑を借りに来た人がいまし
    たので、山吹の枝を折って与えました。そ
    の人が帰りました翌日、山吹の意味が分ら
    ないといいよこした返事に詠みました歌。

意味・・七重八重に花は咲いているけれど、山吹が
    実の一つさえもないように、蓑一つさえ無
    いのは悲しいことです。

作者・・兼明親王=かねあきらしんのう。914~
    987。従二位・左大臣。

出典・・後拾遺和歌集・1155。


**************** 名歌鑑賞 ****************


思ひ出でて 人に語るは まれなれど よなよな常に
見ゆる夢かな
                   藤原為相
            
(おもいいでて ひとにかたるは まれなれど よなよな
 つねに みゆるゆめかな)

意味・・思い出して人に語ることはめったにないが、毎夜
    毎夜いつも見る夢である。

    昔、辛い経験したことをあえて他人に話すことは
    しないが、自分一人は夢の中でそれを繰り返し見
    ているのだ、という心情です。

作者・・藤原為相=ふじわらのためすけ。1263~1328。
    鎌倉幕府の北条貞時と親交。正二位権中納言。

出典・・為相百首・96(小学館「中世和歌集「)


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かくばかり 経がたく見ゆる 世の中に うらやましくも
澄める月かな        
                   藤原高光

(かくばかり へがたくみゆる よのなかに うらやま
 しくも すめるつきかな)

意味・・このように過ごしにくく思える世の中に、
    まことにうらやましくも、何の悩みもない
    ように澄んでいる月である。

    澄んだ月の光を見て、その清澄な光に対し
    現実生活の悩み多いことを痛切に感じ、月
    が羨ましいと言ったものです。

    昇進が遅れ悩んでいた頃に詠んだ歌です。

作者・・藤原高光=ふじわらたかみつ。940~994。
    右近衛少将。三十六歌仙の一人。

出典・・拾遺和歌集・435。


************** 名歌鑑賞 ***************


訪ひ行くに 好かぬとぬかす 憎い人 
                   島村桂一

(トヒイクニ スカヌトヌカス ニクイヒト)

意味・・私が知人の所に訪ねて行くと、お世辞にも
    遠いところを良く訪ねてくれた、とは言わ
    ずにあからさまに嫌な顔をする。憎たらし
    い人だ。

    回文になっています。

    訪ねる私はこんな人です。

    かにかくに疎くぞ人の成りにける貧しき
    ばかりは 悲しきはなし   
              (意味は下記参照)

作者・・島村桂一=しまむらけいいち。回文作家。

出典・・東京堂出版「島村桂一著回文川柳辞典」。

参考歌です。

かにかくに 疎くぞ人の 成りにける 貧しきばかり
悲しきはなし      
                  木下幸文 

(かにかくに うとくぞひとの なりにける まずしき
 ばかり かなしきはなし)

意味・・何のかんのといっても、友は貧しい私と疎遠に
    なってしまった。なぜか、それは自分が貧窮の
    境涯にあるからである。貧しいほど人間は悲し
    いことはない。友人達さえも遠ざかってしまう
    のだから。
    
 注・・かにかくに=とにかく。

作者・・木下幸文=きのしたたかふみ。1779~1821。
     香川景樹に師事。

出典・・家集「亮々(さやさや)遺稿」(笠間書院「和歌
    の解釈と鑑賞辞典)


*************** 名歌鑑賞 *****************


むらさきも あけもみどりも うれしきは 春のはじめに
 きたるなりけり     
                     藤原輔尹

(むらさきも あけもみどりも うれしきは はるの
 はじめに きたるなりけり)

詞書・・御堂殿の大餮(だいきょう)に招待されて詠む。

意味・・紫衣(しえ)の人も、朱衣(すえ)の人も、緑衣
    (ろくえ)の人も、一様に心が浮き立つのは、
    春の初めに着飾って御堂殿の大饗に招かれて
    参上して来たことです。

    地位が上がり、それをお祝いとして最高の権
    威者より宴会に招待された。これほど嬉しい
    ことはない、と詠んだ歌です。    

 注・・御堂殿(みどうどの)=藤原道長をさす。
    大饗(だいきょう)=宮中で催される大宴会。
    むらさきもあけもみどりも=公卿・殿上人の
     袍(ほう・上着のこと)の色をいう。「紫」
     は四位の参議以上、「朱」は五位、「緑」
     は六位の蔵人の袍(ほう)の色。
    きたる=「来たる」と「着たる」を掛ける。

作者・・藤原輔尹=ふじわらのすけただ。生没年未詳。
    大和守・従四位。1000年頃活躍した人。

出典・・後拾遺和歌集・16。

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