名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2015年11月


*************** 名歌鑑賞 ***************


世の中に おもひやれども 子を恋ふる おもひにまさる
おもひなきかな         
                   紀貫之

(よのなかに おもいやれども こをこうる おもいに
 まさる おもいなきかな)

意味・・世の中にある色々の悲しみや嘆きをあれこれ
    と思いめぐらして見るが、亡き子を恋い慕う
    嘆きにまさる嘆きはないものだなあ。

    土佐から帰国途中の四国の羽根という所で無
    邪気な子供を見ていると、任地で亡くした子
    供が悲しく思い出され、詠んだ歌です。

     参考歌です。
    北へゆく 雁ぞ鳴くなる 連れてこし 数は
    たらでぞ かへるべらなる(意味は下記参照)

作者・・ 紀貫之=きのつらゆき。868~945。土佐守。
    古今和歌集の撰者。仮名序を執筆。

出典・・土佐日記。

参考歌です。
北へ行く 雁ぞ鳴くなる つれてこし 数はたらでぞ 
帰るべらなる
                  詠人しらず
                      
(きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずは
 たらでぞ かえるべらなる)

意味・・春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえて
    くる。あのかなしそうな鳴き声は、日本に来る
    時には一緒に来たものが、数が足りなくなって
    帰るからなのだろうか。

    この歌の左注に、「この歌の由来は、ある人が
    夫婦ともどもよその土地に行った時、男の方が
    到着してすぐに死んでしまったので、女の人が
    一人で帰ることになり、その帰路で雁の鳴き声
    を聞いて詠んだものだ」と書かれています。

 注・・べらなり=・・のようである。

出典・・ 古今和歌集・412。


************** 名歌鑑賞 ***************


霧たちて 雁ぞ鳴くなる 片岡の 朝の原は 
もみじしぬらむ             
                詠み人知らず

(きりたちて かりぞなくなる かたおかの あしたの
 はらは もみじしぬらん)

意味・・空には霧がたちこめ、雁の鳴き声が聞こえてくる。
    秋も深くなったから、片岡の朝の原の木々はきれい
    に紅葉したことだろう。

 注・・片岡=奈良県葛城郡王寺町。
 
出典・・古今和歌集・252。
 


*************** 名歌鑑賞 **************


みよし野の 花は雲に まがひしを ひとり色付く
峰のもみじば           
                                        慈円

(みよしのの はなはくもに まがいしを ひとり
 いろずく みねのもみじば)

意味・・吉野の桜は雲に間違えられるようであったが、
    峰の紅葉した葉は何事にもまがうことなく、
    ひとり鮮やかにに色ずいていることだ。

    吉野の美しい紅葉を遠方から見て詠んだ歌です。
    
 注・・花は雲に=遠方から見た満開の桜が、雲のよう
     に見えること。
 
作者・・慈円=じえん。1155~1225。天台座主。
 
出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇 」。


*************** 名歌鑑賞 ***************


鳴る神の 音もとどろに ひさかたの 雨は降り来ね 
我が思ふとに            
                  良寛

(なるかみの おともとどろに ひさかたの あめは
 ふりこね わがおもうとに)

意味・・雷の音が、ごろごろ鳴りひびくばかりで、
    雨が降って来て欲しいものだ。日照りで
    困っていると、私が思っている人の所に。

    旱魃の時に詠んだ歌です。
 
 注・・鳴る神=雷。
    ひさかた=「雨」の枕詞。
    来ね=来てほしい。「ね」は願望の意の助詞。
    と=土。土地、国土。
 
作者・・良寛=りょうかん。1758~ 1831。

出典・・谷川敏朗 著「良寛全歌集」。


**************** 名歌鑑賞 ****************


時しもあれ 秋やは人の 別るべき あるを見るだに
恋しきものを      
                 壬生忠岑

(ときしもあれ あきやはひとの わかるべき あるを
 みるだに こいしきものを)

意味・・一年の季節もいろいろあるのに、ただでさえ
    もの悲しいこの秋に、人が永の別れを告げて
    いいのだろうか。そうではあるまい。生きて
    元気である友達を見ていても恋しくなるとい
    うのに。

    人の死別した当座のショックに基ずく歌です。

 注・・時しも=時もあろうに。「しも」は上接する
     語を強調する。
    やは=反語の意を表す。・・だろうか、いや
     ・・ではない。
    別る=離別する、死別する。
    ある=生きている、健在である。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。
    従五位下。古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・839。
 
 


**************** 名歌鑑賞 ****************


まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 
音のさやけさ                
                 詠人知らず
            
(まがねふく きびのなかやま おびにせる ほそ
 たにがわの おとのさやかさ)

意味・・吉備の中山の麓を帯のように流れている細い
    谷川の音のなんと清々しいことか。

 注・・まがねふく=鉄を溶かして分けること。吉備国は
     鉄を産したので、ここでは吉備の枕詞。
    吉備=備前、備中、備後、美作の四国。岡山県と
      広島県の一部。
    中山=備前と備中の境の山。
 
出典・・ 古今和歌集・1082 。


************** 名歌鑑賞 **************


秋風に独り立ちたる姿かな    
                                          良寛

(あきかぜに ひとりたちたる すがたかな)

意味・・秋の風が肌寒く吹いている。その風に吹かれて
    独り立ち尽くして、どのように生きるべきか、
    また世の人の幸せのためには、どうしたら良い
    かと、思い悩んでいると、心までが冷たく感じ
    られる。これが私に与えられた姿なのかなあ。

    この秋風には一種の悲愴感が感じられます。
    例えば、芭蕉の次の二つの句のように。

    「野ざらしを心に風のしむ身かな」

    (道に行き倒れて白骨を野辺にさらしてもと、
    覚悟をきめて、旅を出で立つ身に、ひとしお
    秋風が身にしみることだ)

    「塚も動け我が泣く声は秋の風」
          (意味は下記参照)     

    生き難い人々の苦しみに思いを寄せて、しきり
    に涙を流す良寛です。

 注・・独り立ちたる姿=この姿には、哀愁・寂寞・孤独
     悩みといった種々の感情が投影されている。

作者・・良寛=1758~1831。

参考句です。

塚も動け我が泣く声は秋の風   
                                           芭蕉

(つかもうごけ わがなくこえは あきのかぜ)

意味・・自分の来るのを待ちこがれていて死んだという
    一笑(俳人の名)の墓に詣でると、あたりは落莫
    (らくばく)たる秋風が吹き過ぎるのみである。
    私は悲しみに耐えず、声を上げて泣いたが、その
    私の泣く声は、秋風となって、塚を吹いてゆく。
    塚よ、この秋風に、我が無限の慟哭がこもって
    いるのだ。塚よ、秋風に吹かれている塚よ、我が
    深い哀悼の心に感じてくれよ。


**************** 名歌鑑賞 ***************


たのしみは 世に解きがたく する書の 心をひとり
さとり得し時        
                   橘曙覧

(たのしみは よにときがたく するふみの こころを
 ひとり さとりえしとき)

意味・・私の楽しみといえば、世間で難解だとされている
    本の真意を自分の一人の力で解き明かす事が出来
    た時。学の道を歩んできた身には何とも喜ばしい
    ことだ。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。紙商の
    家業を継いでいたが21歳の時に隠棲して学問・和
    歌に専念。越前藩主の松平春獄と交流。

出典・・岩波書店「橘曙覧全歌集・573」。


*************** 名歌鑑賞 ***************


むばたまの わが黒髪は 白川の みつはくむまで
なりにけるかな
                檜垣の嫗
 
(むばたまの わがくろかみは しらかわの みつは
 くむまで なりにけるかな)

意味・・私の黒髪も白くなり、歯もぬけた老人になっ
    てしまいました。使用人もいなくなり白川で
    自ら水を汲むような落ちぶれた身分になった
    ものです。

    女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
    にも)知る人には会いたくないのです。

    昔の檜垣御前の名声に好奇心をもった小野好
    古(よしふる)が大宰府にやって来た時、消息
    を訪ねていたのに応えて詠んだ歌です。
    「大和物語」に檜垣御前の話がのっています。
    華やかな過去を有する女性が、年老いて後の
    自分の落ちぶれた姿を人目にさらすのを恥じ
    貴人の招きに応じなかったという逸話です。
    (あらすじは下記参照)      
       
 注・・むばたまの=ぬばたまの、と同じ。黒・髪な
     どにかかる枕詞。
    白川=熊本県の有明海に注ぐ川。「髪が白い」
     を掛ける。
    みつはくむ=三つ歯組む。歯が多く欠落した
     老人の顔相。「水は汲む」を掛ける。
    
作者・・檜垣の嫗=ひがきのおうな。生没年未詳。筑紫
     (福岡県・九州の総称)に住んでいながら色好
     みの美人として都の人にも知られていた女性。

出典・・後撰和歌集・1219。

大和物語・126段のあらすじです。

    純友(すみとも)の乱の時、伊予で朝廷に反乱
    を起し、また博多を襲った藤原純友の一党を
    征伐をする為に小野好古が追捕使として筑紫
    に赴きます。
    一方、檜垣御前は純友の博多襲撃の余波を受
    けて家を焼かれ、家財道具も失い、零落した
    姿であばら家に住んでいます。
    才気に富んだ風流な遊君であったとの檜垣御
    前の名声に好奇心を動かしていた小野好古が
    大宰府の巷間を探し求めたが消息が知れない。
    ある時、白川の畔(ほとり)で水を汲んでいる
    老女を、土地の人からあれが檜垣御前だと教
    えられ、好古の館へ招いてみたのだが、女は
    自分の老残の姿を恥じて参上せず。ただ、歌
    を詠んで届けてよこした。
    「むばたまのわが黒髪は白川のみつはくむまで
    なりにけるかな」
    女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
    にも)知る人には会いたくないのです。

 注・・純友の乱=藤原純友は、西国で海賊討伐を命ぜ
     られていたが、936(承平6)年、自ら海賊を率
     いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁
     となり略奪・放火を行い、淡路・讃岐の国府、
     大宰府を襲う。941(天慶4)年 小野好古らに
     よって反乱は鎮圧され、純友は敗死した。


*************** 名歌鑑賞 ****************


明けぬるか 衣手寒し 菅原や 伏見の里の 
秋の初風
               藤原家隆

(あけぬるか ころもてさむし すがはらや ふしみの
 さとの あきのはつかぜ)

意味・・夜がもう明けてしまったのか。袖が寒い。
    菅原の伏見の里の秋風は。

    荒れた菅原の里で旅寝をして、迎えた夜明けの
    わびしさを秋風の寒さで強調し、このわびしさ
    は、これから冬に向けての厳しさの覚悟でも
    あります。

 注・・衣手=袖。
    菅原や伏見の里=奈良市菅原町の西大寺のあたり。
     「伏見」は「伏」に「臥(ふ)す」を掛ける。
     和歌では、荒れた侘(わび)しい里として詠まれ
     ている。
 
作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
    非参議従二位。新古今和歌集の撰者の一人。
 
出典・・新古今和歌集・292。 

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