名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年02月


**************** 名歌鑑賞 ****************

 
雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと
                    田捨女
                    
(ゆきのあさ にのじにのじの げたのあと)

意味・・一面に真っ白な雪の朝、きれいな雪の上に二の字
    二の字の下駄の足跡がついている。

    この句は6歳の時に作って人を驚かせたと言い伝え
    られています。

作者・・田捨女=でんすてじょ。1634~1698。江戸時代の
    歌人・俳人。
 
出典・・続近世奇人伝。


*************** 名歌鑑賞 **************

 
あはれてふ 事になぐさむ 世の中を などか昔と
言ひて過ぐらん
                  詠人しらず

(あわれちょう ことになぐさむ よのなかを などか
 むかしと いいてすぐらん)

意味・・「あわれ」という言葉を吐く事によって慰め
    られるこの人生を、どうして「昔は・・だっ
    たのに」などと言って涙を流しつつ過ごして
    いるのだろうか、この私は。

    「情けないなあ」とため息をつく事で気が休
    まるものを、どうして「昔は、昔は・・・」
    と言って過去にとらわれ、嘆き過ごすのだろ
    うか。
    
 注・・てふ(ちょう)=という。
    あはれ=ふびんだ、悲しい、みじめだ。
 
出典・・後撰和歌集・1192。


*************** 名歌鑑賞 ***************

 
梅が枝に 来ゐる鶯 春かけて 鳴けどもいまだ 
雪は降りつつ
               詠人知らず 
               
(うめがえに きいるうぐいす はるかけて なけども
 いまだ ゆきはふりつつ)

意味・・梅の咲いた枝に来てとまっている鶯が、春が来る
    のを待ち望んで鳴いているけれども、まだ春らし
    い様子もなく、雪がちらちら降っている。

 注・・ゐる=木の枝にとまっていること。
    春かけて=春を期して。

出典・・古今和歌集・5。


**************** 名歌鑑賞 ****************

 
涙やは 又もあふべき つまならん 泣くよりほかの 
なくさめぞなき
                 藤原道雅
             
(なみだやは またもあうべき つまならん なくより
 ほかの なぐさめぞなき) 

意味・・涙というものは再び逢えるきっかけになる
    ものだろうか、いやそうではない、なのに
    泣けば心が慰められる。今はもう泣くこと
    以外の慰めはないことだ。

 注・・やは=反語の係助詞。・・だろうか、いや
     ・・ではない。
    つま=端。端緒、手がかり、きっかけ。

作者・・藤原道雅=ふじわらのみちまさ。993~10
    54。左京大夫・従三位。

出典・・後拾遺和歌集・742。


*************** 名歌鑑賞 **************

 
埋火もきゆやなみだの烹る音  
                     芭蕉

(うずみびも きゆやなみだの にゆるおと)

詞書・・少年を失へる人の心を思ひやりて。

意味・・終日火桶に寄りながら、亡き人を思っている
    お宅では、葬(ほうむ)り落ちるあなたの涙の
    ために、埋火もさぞかし消えがちなことであ
    りましょう。いま私に、その涙がこぼれて、
    埋火に煮える切ない音まで、聞えてくるよう
    に思われます。

    埋火という言葉に、終日なすこともなく火鉢
    をかかえ、悲しみに沈んでいる人の面影が見
    えてきます。

 注・・埋火(うずみび)=炉や火鉢の灰に埋めた炭火。

作者・・芭蕉=1644~1694。奥の細道、笈の小文など 。
 
出典・・笈日記(小学館「松尾芭蕉集」)


**************** 名歌鑑賞 ****************

 
春霞 たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に
雪はふりつつ
                 詠人知らず
              
(はるがすみ たてるやいずこ みよしのの よしのの
 やまに ゆきはふりつつ)

意味・・もう春にはなったが、いったい春霞が立ちこめて
    いる所はどこにあるだろうか。この吉野の里の吉
    野山にはまだ雪がちらちら降っていて、いっこう
    に春めいても来ない。

    立春とは名のみで、雪の消えない山里の人々が花
    咲く春の到来を待ち望んだ気持ちを詠んでいます。

 注・・たてるや=「や」は反語の副助詞。立ち込めている
     のはどこであろうか、どこにもない。
    みよしのの=吉野は奈良県の南部の山地。「み」は
     接頭辞。

出典・・古今和歌集・3。


**************** 名歌鑑賞 **************


奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと
見て帰り来む     
                   田辺福麻呂

(なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみ
たちこやと みてかえりこん)

意味・・誰かあの奈呉の海に乗り出す舟を、ほんの
    しばらくでよいから貸して下さいませんか。
    沖まで出て行って、もしや波が立ち寄せて
    くるかと見て来たいものです。

    福麻呂が使者として、越中(富山県)にいる
    大伴家持の家に訪ねた時に挨拶の歌として
    詠んだものです。
    海のない山国の奈良から来た人なので、海
    に対する好奇心を示しています。

 注・・奈呉の海=富山県高岡市から新湊市にかけ
     ての海。
    しまし=暫し。しばし。

作者・・田辺福麻呂=たなべのふくまろ生没未詳。
      741年頃活躍した宮廷歌人。
 
出典・・万葉集・4032。
 


**************** 名歌鑑賞 ***************


霜枯れは そことも見えぬ 草の原 誰にとはまし
秋の名残りを
           藤原俊成・娘
           
(しもがれは そこともみえぬ くさのはら たれに
 とわまし あきのなごりを)

意味・・霜枯れた様子は、そこが美しかった秋草の
    野原とも見えない。秋の名残りをいったい
    誰に尋ねたらよいのだろうか。

    霜枯れ果てて秋景色の名残りもとどめてい
    ない寂しさを詠んでいます。
 
 注・・霜枯れは=霜枯れとなった今は。
    そことも見えぬ=秋の名残りがどこにある
     とも分からない。
    秋の名残り=残っている秋の景色。

作者・・藤原俊成娘=ふじわらのとしなりのむすめ。
    1171~1252。後鳥羽院の女房(女官のこと)。

出典・・新古今和歌集・617。


***************** 名歌鑑賞 ******************


ながめつる 今日は昔に なりぬとも 軒端の梅は
われを忘るな
                  式子内親王
             
(ながめつる きょうはむかしに なりぬとも のきばの
 うめは われをわするな)

意味・・もの思いをしながら見入っていた今日という日は、
    私が亡くなって昔になってしまっても、軒端の梅
    の花だけは、私を忘れないでおくれ。

 注・・ながめつる=眺めつる。物思いに沈んでいること。
    今日=もの思いをしながら梅を見入っていた今日。
           昔になりぬとも=私が亡くなって、昔になってし
     まっても。
    軒端=軒に近い所。

作者・・式子内親王=しょくしないしんのう。~1201没。
    後白河上皇の第二皇女。歌集に「式子内親王集」。
 
出典・・新古今和歌集・52。

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