名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年03月


**************** 名歌鑑賞 *************** 


かすが山 ふもとの芝生 踏みありく しかのどかなる
神やしろかな
                  橘曙覧 

(かすがやま ふもとのしばふ ふみありく しか
 のどかなる かみやしろかな)

意味・・春日山の麓にある春日神社の原っぱでは、鹿
    がのどかに歩いている。そのような神社の境
    内の景観はいいものだ。

 注・・かすが山=奈良の春日神社。
    しか=「鹿」とそのようにの「然」との掛詞。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1866。福
    井藩主と親交。家業の紙商を弟に譲り隠棲。
 
出典・・橘曙覧全歌集・384。


*************** 名歌鑑賞 **************

 
朝夕に 花待つころは 思ひ寝の 夢のうちにぞ 
咲きはじめける
                崇徳院
 
(あさゆうに はなまつころは おもいねの ゆめの
 うちにぞ さきはじめける)

意味・・朝に夕に花の咲くのを待つ頃は、思い寝の夢
    の中では、花は咲き始めている。
 
    恋が実りつつある状態です。

 注・・朝夕に花待つ=一日中、花(乙女)を思いつつ。
    思ひ寝=人を思いつつ寝ること、花を思いな
     がら寝ることの両意。

作者・・崇徳院=すとくいん。1119~1164。平安時代
    後期の天皇。保元の乱で破れ讃岐に流された。
    西行・藤原俊成と親交。
 
出典・・千載和歌集・41。


**************** 名歌鑑賞 *****************


ゆきをつみ 蛍あつめし 窓のまえに おもいぞいづる
いにしえの人
                  徳川光圀
             
(ゆきをつみ ほたるあつめし まどのまえに おもいぞ
 いずる いにしえのひと)

意味・・その昔、中国の晋(しん)の孫庚という人は家が貧し
    くて油を買う事が出来ないので、冬の夜は窓に雪を
    積み、その光で書を読み勉強した。また同じ国の車
    胤(しゃいん)という人も油が買えないから、夏の夜
    は蛍を集めてその光で本を読んだ。そうした古人の
    向学の志、まことにゆかしいものと、窓の前で思い
    出すことである。

作者・・徳川光圀=とくがわみつくに1628~1700。陸奥国
    水戸藩の第二代藩主。「水戸黄門」で有名。
 
出典・・常山詠草。

 


**************** 名歌鑑賞 ***************

 
み吉野の 花のさかりを 今日見れば 越のしらねに
春風ぞ吹く
                  藤原俊成
 
(みよしのの はなのさかりを きようみれば こしの
 しらねに はるかぜぞふく)

意味・・この吉野の花の盛りを今日眺めると、あの白雪
    を頂いている越の白嶺に春風が吹いていると思
    われるばかりだ。

 注・・吉野=奈良県吉野町。歌枕。桜の名所。
    越のしらね=富山・石川・福井・岐阜の各県に
     またがる白山。歌枕。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
     正三位皇太后宮大夫。定家の父。「千載和歌
     集」の撰者。
 
出典・・千載和歌集・76。


**************** 名歌鑑賞 *************** 


そえにとて とすればかかり かくすれば あな言い知らず
あふさきるさに               
                    詠人知らず

(そえにとて とすればかかり かくすれば あないい
 しらず あうさきるさに)

意味・・そうであるからといって、ああすればこうなり、
    こうすればああなる。ああ、なんと言ったらい
    いか分からない。世の中というものは、こちら
    が良ければあちらが悪いというように、行き違
    いばかりであって。

              株を買ったら下がり売ったら上がる。このよう
    に、事がうまく運ばないために、途方にくれ
    ている状態を詠んでいます。

 注・・そえ=「え」は故、「その故に」の約。そうで
     あるからといって。
    とすればかかり=ああすればこうなり。
    かくすれば=こうすればああなる。下に「とあり」
      が省略されている。
    あな言い知らず=ああ、なんと言ったらよいか分か
     らない。
    あうさきるさに=行ったり来たりするさま。行き違
     いの状態。一方が良ければ他方が悪いさま。
 
出典・・古今和歌集・1060。

 


****************** 名歌鑑賞 ***************** 


なんのその 面の厚いが 芸の先
                      
      
(なんのその つらのあついが げいのおも)

意味・・人前でする諸芸に成功するかしないかは、ものおじ
    しない心。面の厚さで決まる。誰でも間違うことは
    あるし、調子の出ない時もある。失敗もご愛嬌と、
    のんでかかる心の張りが必須の前提だから、堂々と
    やれという事。

 注・・面の厚い=面の皮が厚い、厚かましくて恥をしらぬ
     事、ずうずうしい。
    先(おも)=主。第一の条件・資格。

出典・・もみぢ笠。


**************** 名歌鑑賞 **************

 
いにしへに 変らざりけり 山ざくら 花は我をば
いかが見るらむ
                  藤原基長
            
(いにしえに かわらざりけり やまざくら はなは
 われをば いかがみるらん)

意味・・過ぎた昔と変わらないことだ、山桜は。その
    変わらぬ花は様変わりした私をどう見るのだ
    ろうか。

    出家してかってとは異なった姿の自分を見て、
    不変の桜と無常の人間を対照して述懐して詠
    んだ歌です。

 注・・我=出家して以前と異なった姿の自分。
    無常=いつも変化していること。

作者・・藤原基長=ふじわらのもとなが。1043~1107。
    正二位権中納言。 1098年出家。
 
出典・・千載和歌集・1055。


***************** 名歌鑑賞 ****************

 
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは
祈らぬものを          
                  源俊頼

(うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしけれ
 とは いのらぬものを)

意味・・つれなかった人をどうか私になびかせてくださいと
    初瀬の観音に祈ったのだが。初瀬山から吹き降ろす
    山風が激しく吹きすさぶように、ますます薄情にな
    れとは祈らなかったのに。

    ままならぬ恋を詠んだ歌です。
    つれない相手の心がなびくように初瀬の観音に祈った。
    しかし、その思いは通じるどころか、相手はいよいよ
    冷たくあたるようになったというのです。

 注・・憂かり=まわりの状況が思うにまかせず、気持ちふさ
     いでいやになること。
    初瀬=奈良県にある地名。長谷寺の11面観音がある。
    やまおろし=山から吹きおろす冷たく激しい風。

作者・・源俊頼=みなもととしより。1055~ 1129。金葉和歌
    集の撰者。

出典・・千載和歌集・1154。百人一首・74。


**************** 名歌鑑賞 **************

 
春くれば 散りにし花も さきにけり あはれ別れの
かからましかば
                  具平親王
            
(はるくれば ちりにしはなも さきにけり あわれ
 わかれの かからましかば)

意味・・春が巡って来たので去年散った花も咲いたこと
    ですね。ああ、人との別れがこのようであった
    なら嘆くこともないでしょうに。

    桜狩に行った時に、昨年亡くなった人の話題と
    なり、詠んだ歌です。

 注・・あはれ=感動を表す語。ああ、なんとまあ。
    かからましかば=斯からましかば。もしこの
     ようであったならば。

作者・・具平親王=ともひらしんのう。964~1009。中
    務卿・正四位上。村上天皇弟7皇子。
 
出典・・千載和歌集・545。


*************** 名歌鑑賞 ***************

 
心ありて もるとなけれど 小山田の いたづらならぬ
かかしなりけり
                  仏国法師
 
(こころありて もるとなけれど おやまだの いたずら
 ならぬ かかしなりけり)
 
意味・・山間の小さな田に、心があってその田を守って
    いるわけではない案山子であるが、決して無益
    でなく、無駄ではないのだ。
 
    案山子は蓑や笠を付け弓矢を持って、何も思わ
    ずただ立っているだけで、無駄のように見られ
    るが、それなりに鳥や獣を追い払うという役目
    を果たして いる。
 
    心はそのどこにも囚われず、無心になってい
    る案山子のようになりたいと詠んだ歌です。
    胸の中を空っぽにして執着心のない心にして
    おくことが大切である、と。
    私たちはいつも何かが心に引っ掛かっている。
    大したことではなく、他人から見れば何でもな
    いことが、その人にとっては大きく胸に残る。
    そしてそのことで苦しむことがある。
    例えば人から注意されると不愉快さが後まで残
    ることがある。    
    どんなことでも胸にとどめない、執着しないこ
    とが大切であるのだが、難しいものである。
 
 注・・いたづら=役に立たない、無益だ。
 
作者・・仏国法師=1241~1316。後嵯峨天皇の皇子。
    臨済宗の僧。
 
出典・・不動智神抄録(鎌田茂雄著「心と身体の鍛錬法」)

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