名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年06月


************** 名歌鑑賞 ***************

 
我が恋は み山隠れの 草なれや しげさまされど
知る人のなき
                小野美材 

(わがこいは みやまがくれの くさなれや しげさ
 まされど しるひとのなき)

意味・・私の恋は人が知らぬ奥山の草なのだろうか。
    恋心が増しても、知ってくれる人はいない。

    好きな人と恋慕っているけれど、相手は知
    ってくれないもどかしさを歌っています。

 注・・しげさ=繁さ。草木の茂み。「草・恋」の
     繁さを掛ける。

作者・・小野美材=おののよしき。902年没。従五
    位下。
 
出典・・古今集・560。
   


***************** 名歌鑑賞 **************** 


みがかずば 玉も鏡も なにかせむ 学びの道も
かくこそありけれ
                 昭憲皇太后

(みがかずば たまもかがみも なにかせん まなびの
 みちも かくこそありけれ)

意味・・磨く事をしないならば、玉といい鏡といっても一体
    何になろうか。学問の道もまた同じである。

    女子教育の振興のため詠んだ歌であり、次の詩は
    東京女子師範学校に贈られ、校歌となっています。
    
    金剛石(こんごうせき)も みがかずば
    玉の光は 添わざらん
    人も 学びて 後にこそ
    まことの 徳は 現れる
    時計のはりの 絶間なく
    めぐるがごとく 時のまも
    光陰(ひかげ)惜しみて 励みなば
    いかなる業(わざ)か ならざらん

    水は器に したがいて
    そのさまざまに なりぬなり
    人は交る 友により
    よきにあしきに 
    うつるなり
    己に優る よき友を
    えらび求めて もろともに
    心の駒に 鞭うちて
    学びの道に
    進めかし

作者・・昭憲皇太后=しようけんこうたいごう。1850~
    1914。明治天皇の皇后。女子教育の振興に尽力。


**************** 名歌鑑賞 ****************


鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門
                   蕪村

(あゆくれて よらですぎゆく よわのかど)

意味・・夜半に門を叩いたのは、作者に親しい人であった
    だろう。こんな時間に誰が訪ねて来たのだろうか
    と不審顔で門を開けた主人に、不意の客は、数匹
    の鮎を押し付けるようにすると、「沢山とれたか
    ら、少しだけれど食べて貰おうと思って」と言い
    置いたまま、ろくに挨拶もせず足早に帰って行っ
    た。驚きと喜びで、主人のほうもろくに礼も言わ
    ず、渡された活きのいい鮎を手に、いっとき門に
    佇(たたず)んでいた。

    「よらで過ぎ行く」には、客の動作だけでなく、
    とっさのことでまともに対応出来なかった自分を
    悔しくも、また相手に申し訳なく思っている主人
    の気持ちも察することが出来ます。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
    南宗画も池大雅とともに大家。

出典・・竹西寛子著「松尾芭蕉集・与謝蕪村集」。


*************** 名歌鑑賞 ************* 


水の味 空気の味と 身にしみて われの読むもの
この人の歌
                長谷川銀作 

(みずのあじ くうきのあじと みにしみて われの
 よむもの このひとのうた)

意味・・物の味はさまざまで、歌のもつ味も同様で
    あるが、この人の歌は水や空気の味で、そ
    れを身に沁ませて読んでいる。

    水や空気の味は淡いし、人間は水や空気を
    不可欠のものとして生きている上では必要
    なものであるが、平凡といべきである。
    作者はこの淡く平凡と思われる味わいの歌
    に、永遠な最高の価値を認めているのです。
    師である牧水を心に置いた歌です。

    牧水の歌、参考です。

    「幾山川越えさりゆかば寂しさのはてなん
    国ぞけふも旅ゆく」

    (自分の心の中には深く寂しさがひそんで
    居り、その寂しさに耐え兼ねてこうして今
    日も旅を続けているが、いったいどれだけ
    多くの山や川を越えて行けばこの心にひそ
    む寂しさが影をひそめる国に出られるのだ
    ろうか)

作者・・長谷川銀作=はせがわぎんさく。1894~
    1970。東京商業卒。牧水夫人の妹と結婚。
    牧水の「創作」の編集・経営に参加する。
 
出典・・歌集「夜の庭」(東京堂出版「現代短歌鑑賞
    事典」)


**************** 名歌鑑賞 ***************

 
髪しろく なりても親の ある人も おほかるものを 
われは親なし           
                 橘曙覧

(かみしろく なりてもおやの あるひとも おおかる
 ものを われはおやなし)

意味・・髪が白くなっても両親がそろっている人も大勢
    いるといのに、私の親は父も母もいない。

    父の17年忌に詠んだ歌です。
    曙覧は母を2歳で、父を14歳の時に亡くして
    います。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。


**************** 名歌鑑賞 ****************

 
世の中を 何に譬へん 弥彦に たゆたふ雲の
風のまにまに
               良寛
           
(よのなかを なににたとえん いやひこに たゆたう
 くもの かぜのまにまに)

意味・・この世の中を過ごして行く態度として、何に譬え
    たらよいだろうか。それは、弥彦山に漂う雲が風
    の吹くのに従っているのに譬えたらよい。

    人の言うことは、否定を少なくして肯定する事を
    多くすれば人間関係は良くなる・・・。

 注・・弥彦=新潟県にある弥彦山。
    たゆたふ=漂う。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
 
出典・・良寛歌集・495。


*************** 名歌鑑賞 ***************


越え行くも 苦しかりけり 命ありと またとはましや
小夜の中山
                  後深草院二条 

(こえゆくも くるしかりけり いのちありと また
 とわましや さやのなかやま)

意味・・越えて行くのも苦しい小夜の中山です。もし命
    があるとしも、またここに来て越える事がある
    でしようか。あの西行のように、その歌のよう
    に。

    後深草院の寵愛を受けた二条は、また同時に他
    の男性達と関わりをもち、宮廷女性として華や
    かな、しかし悩み多い生活をした。30歳頃宮廷
    を出て尼姿になり、憧れていた旅と歌に生きた
    西行の生活を自らも送り、後にその愛欲と旅の
    半生の記録を「とはずがたり」に綴る。
    旅の途次、小夜の中山に至って、西行の「年た
    けてまた越ゆべしとおもひきや命なりけり小夜
    の中山」を思い出して詠んだ歌です。

 注・・小夜の中山=静岡県掛川市にある坂路。古く東
     海道が通じ、歌枕として有名。

作者・・後深草院二条=ごふかくさいんのにじょう。12
              58~?。幼時より後深草院の許に育つ。恋愛に
    悩み、のち出家し諸国遍歴の旅に出る。半生の
             記録「とはずがたり」。
 
出典・・とはずがたり。

参考歌

年たけて また越ゆべしと おもひきや 命なりけり
小夜の中山
                   西行 

意味・・若かった日、小夜の中山を越えた折、年老いて
    再び越えることがあると思っただろうか。命が
    あるから今越えて行くのである。

    東大寺再建のため、砂金勧進を目的として、藤
    原秀衝(ひでひら)を平泉に訪ねた時の歌。
    「命なりけり」に求道の年月を経て今日に至っ
    た自分の命によせる、激しく、しかもしみじみ
    と深い思いが、よく表現されている。

出典・・新古今・987。


**************** 名歌鑑賞 ****************

 
おろかさを 老いてくやまん 人はあらじ 学びにいらぬ
童なければ
                    裕
               
(おろかさを おいてくやまん ひとはあらじ まなびに
 いらぬ わらわなければ)

意味・・愚かである事を年老いて後悔するような人はある
    まい。学びの道に入らない子供などはいないので。

    明治5年に学制が公布され小学校が設置された。
    この時に詠まれた歌です。

作者・・裕=ゆたか。伝未詳。
 
出典・・明治開花和歌集。


**************** 名歌鑑賞 *****************

 
こんなにも 湯呑み茶碗は あたたかく しどろもどろに
吾はおるなり
                   山崎方代
             
(こんなにも ゆのみちゃわんは あたたかく しどろ
 もどろに われはおるなり)

意味・・湯飲み茶碗の手ざわりというより、茶碗にお茶
    を注いでもらった、その温かさにしどろもどろ
    になっている。

    方代は定職を持たず、家庭を持たず援助者の好
    意で生活をして一生を終えている。孤独の生活
    は、その裏返しの温かさをかみしめる生活の累
    積でもあった。たった一碗のお茶の温かさに心
    が揺れるほど、現実は孤独。自分の人生を振り
    返ればしどろもどろ。この先もしどろもどろ。

作者・・山崎方代=やまさきほうだい。1914~1985。
    尋常高等小学校卒業。
     
出典・・歌集・右左口(うばぐち)(東京堂出版「現代短

    鑑賞事典」)


*************** 名歌鑑賞 **************

 
香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し
印南国原
               中大兄皇子
          
(かぐやまと みみなしやまと あいしとき たちて
 みにこし いなみくにはら)

意味・・ああ、ここが、香具山と耳成山とが争った時、
    阿菩大神(あぼのおおかみ)が立って、見に来た
    という印南国原だ。

    大和三山の妻争いの伝説を歌ったもの。大和平
    野には香具山(男山)・畝傍(うねび)山(女山)・
    耳成山(男山)が向い合い、この三山が妻争いを
    したという伝説。阿菩大神が仲裁に来たという。
    神代の時代からこんなふうであり、昔もそうだ
    から、今の世でも妻を求めて争うものだと嘆い
    た歌。

 注・・印南国原=明石から加古川あたりにかけての平
     野。

作者・・中大兄皇子=なかのおおえのおうじ。後の天智
    天皇。
 
出典・・万葉集・14。

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