名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年08月


**************** 名歌鑑賞 ***************

 
人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に 
まどひぬるかな 
                藤原兼輔

(ひとのおやの こころはやみに あらねども こを
 おもうみちに まどいぬるかな)

意味・・親の心は夜の闇ではないのに、子供の事を思
    う道には、何もかも分からなくなってしまい、
    迷ってしまうことだ。

    子供のことについては闇も同然で、盲目に
    なる親心を詠んだ歌です。

 注・・まどひぬる=どうしたらよいか分からなく
     なる。

作者・・藤原兼輔=ふじわらかねすけ。875~933。
    従三位・中納言。紫式部は曾孫にあたる。

出典・・後撰和歌集・1102。


*************** 名歌鑑賞 **************

 
ありとても たのむべきかは 世の中を しらすものは
朝がほの花         
                   和泉式部

(ありとても たのむべきは よのなかを しらす
 ものは あさがおのはな)

詞書・・朝顔を詠んだ歌。

意味・・いま元気だといっても、いつまでもこの世
    にあるものとはあてにする事は出来はしな
    い。そのように世の中のはかないことを知
    らせるものは、朝だけが命の、はかない朝
    顔の花である。

    今生きているからといって、明日も無事だ
    と限らないのが人生なのよ。ほら、朝顔の
    花を見てるとわかるでしょう。

 注・・あり=物・事・所などがある。健在である。
    世の中=人の世、男女の仲。
    しらす=知らす、「はかない事」を補う。
    あさがお=朝顔、槿(あさがお)。「朝顔の
     花一時」「槿花一日の栄」のことばがあ
     る。

作者・・和泉式部=いすみしきぶ。年没年未詳、977
    念頃の生まれ。朱雀天皇皇女昌子内親王に
    仕える。
      
出典・・後拾遺和歌集・317。


*************** 名歌鑑賞 **************

 
音もせで おもひにもゆる 蛍こそ なく虫よりも
あはれなりけり     
                 源重之

(おともせで おもいにもゆる ほたるこそ なくむし
 よりも あわれけり)

意味・・声にもたてないで、ひそかに激しい「思ひ」
    という火に燃える蛍こそ、声に出して鳴く
    虫よりも、あわれが深いというものだ。

    重之自身の比喩です。

 注・・おもひにもゆる=思ひという火に燃える。
      思「ひ」に「火」を掛ける。
    あはれなりけれ=人の心を打つことであ
      る。悲しみを声に出して泣くりも、
      じっと胸に秘めて思い苦しむ方が
      いっそう人の心を打つものだ。

作者・・源重之=みなもとのしげゆき。生没年未
    詳。相模権守従五位。三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・216。


**************** 名歌鑑賞 **************


朝な朝な さくか苔路の 花よりも さかりはみゆる
庭のあさがほ           
                 慶運
                  
(あさなあさな さくかこけじの はなよりも さかりは
 みゆる にわのあさがお)

意味・・庭の朝顔は朝ごとに咲くせいか、はかないと
    されながらも、苔路に咲く花よりも生き生き
    として見える。

    朝開いて昼にはしぼむので、はかないとされ
    る朝顔だが、朝ごとに咲いている朝顔は清ら
    かで生き生きとして、見ていると気持がいい、
    と詠んだ歌です。

 注・・苔路=路地。

作者・・慶運=けいうん。1293年頃の生まれ。1369年
    頃没。当時の和歌四天王の一人。

出典・・慶運百首・41(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


**************** 名歌鑑賞 ***************


たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで 
かへりけるとき            
                   橘曙覧

意味・・私の楽しみは、嫌いな人がやって来て、いやな
    気分だったのに、長居をせずに早々と帰ってく 
    れたときです。憂鬱だっただけにほっとする気
    持だ。

    「客と白鷺は立ったが見事」です。

 注・・客と白鷺は立ったが見事=白鷺は立った姿が素
     晴しい。客も長居せずに早く立つのが良い。
    
作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。


**************** 名歌鑑賞 ***************

 
終にはと 思ふ心の なかりせば けふのくやしさ
生きてあらめや      
                木下幸文
               
(ついにはと おもうこころの なかりせば きょうの
 くやしさ いきてあらめや)

意味・・終りには必ず成功すると、みずから信じる心が
    もし無かったら、現在の、このみじめな貧乏生
    活のくやしさを辛抱して生きていかれようか。

    「貧窮百首」の連作の一首です。それで、くや
    しさは貧困によるものです。くやしさの具体的
    に詠まれた歌が次の歌です。
   
   「かにかくに疎くぞ人のなりにける貧しきばかり
    悲しきはなし」 (意味は下記参照)

作者・・木下幸文=きのしたたかぶみ。1779~1821。
    香川影樹に和歌を学ぶ。
     
出典・・家集「亮亮遺稿・さやさやいこう」。

参考歌です。

かにかくに 疎くぞ人の 成りにける 貧しきばかり
悲しきはなし      
                  木下幸文 

(かにかくに うとくぞひとの なりにける まずしき
ばかり かなしきはなし)

意味・・何のかんのといっても、友は貧しい私と疎遠に
    なってしまった。なぜか、それは自分が貧窮の
    境涯にあるからである。貧しいほど人間は悲し
    いことはない。友人達さえも遠ざかってしまう
    のだから。
    
 注・・かにかくに=とにかく。

出典・・家集「亮亮遺稿・さやさやいこう」。


*************** 名歌鑑賞 ****************

 
人も見ぬ よしなき山の 末までに すむらん月の 
かげをこそ思へ          
                 西行

(ひともみぬ よしなきやまの すえまでに すむらん
 つきの かげをこそおもえ)

意味・・人の見ようとしない、由緒のない山の奥にまで
    照り澄んだ光を落としている月は格別に思われ
    ることだ。

    人の善し悪しの念に関係なく平等に照らす月は
    尊い、という心を詠んだ歌です。

 注・・よしなき山=由緒のない山。
    すむ=「澄む」と「住む」の掛詞。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
      清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
      1140年23歳で財力がありながら出家。出家
      後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
      陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
     仏者として修行する。家集「山家集」。

出典・・山家集・344。



************** 名歌鑑賞 ***************

 
牡丹有 寺ゆき過ごし うらみかな   
                    蕪村
                     
(ぼたんある てらゆきすごし うらみかな)

意味・・ただいま牡丹が最高に見頃の寺、しかし所用
    があり通り過ぎてしまった。見たかった牡丹
    が見られずに残念である。

    今日でなくとも明日もある、という気持から
    牡丹を見過ごしたが、結局見たかった牡丹を
    見るチャンスが再び訪れなかった。あの時は
    無理をしてでも見るべきだったという気持を
    詠んでいます。

 注・・うらみ=残念に思うこと。未練。

作者・・蕪村=1716~1783。与謝蕪村。池大雅ととも
    に南宗画の大家。

出典・・あうふう社「蕪村全句集・779」。


*************** 名歌鑑賞 **************

 
北になし 南になして 今日いく日 富士のふもとを
めぐりきぬらん
                 宗良親王 

(きたになし みなみになして きょういくか ふじの
 ふもとを めぐりきぬらん)

意味・・富士の嶺を北の方角に仰ぎ、また南の方角に
    仰いで、今日で何日山の麓を巡って来たこと
    であろう。

    南北朝の対立で、逃げつ追いつつの、本当は
    つらい旅なのだが、富士の秀麗な姿に見飽き
    ない詠嘆を詠んでいます。

作者・・宗良親王=むねよししんのう。1311~?。没
    年未詳。父は後醍醐天皇。遠江・信濃・越後
    などで北朝方と転戦。元弘の乱で讃岐に配流
    された。
 
出典・・新葉和歌集・540。


*************** 名歌鑑賞 ***************


心あらば 名乗らで過ぎよ ほとどぎす 物思ふとは 
我も知らねども 
                御垣が原の内大臣        

(こころあらば なのらですぎよ ほとどぎす もの
 おもうとは われもしらねども)

意味・・思いやりがあるのなら鳴かないで通り過ぎて
    くれ、ほとどぎすよ。お前も物思いをしてい
    るとは私も知らないが。

    ほとどぎすの忍び鳴き声を聞いて悲しみを誘
    われて詠んだ歌です。

    参考歌です。
    「夏山に鳴くほとどぎす心あらば物思ふ我に
    声な聞かせそ」 (意味は下記参照)

 注・・物思ふ=思い悩む。心配事をする。

作者・・御垣が原の内大臣=「御垣が原」という昔の
    物語に出て来る内大臣。

出典・・風葉和歌集・153。

参考歌です。

夏山に 鳴くほとどぎす 心あらば 物思ふ我に
声な聞かせそ           
                 詠み人知らず
                   
(なつやまに なくほどぎす こころあらば ものもう 
 われに こえなきかせそ)

意味・・夏山で鳴くほとどぎすよ、もし思いやりの心が
    あるならば、そんな悲しそうな声を聞かせない
    でほしい。そうでなくても物思いのある私なの
    だから。

 注・・物思ふ=なんとなく憂鬱な。思い悩む。
    な・・そ=懇願的な禁止の意。・・しないでく
     れるな。

出典・・古今和歌集・145。

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