名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年09月


*************** 名歌鑑賞 ************** 


訪ふ人も 嵐吹きそふ 秋は来て 木の葉に埋む
宿の道芝
                藤原俊成女

(とうひとも あらしふきそう あきはきて このはに
 うずむ やどのしばみち)

意味・・もはや訪ねる人もあるまい。ただでさえ寂し
    い上に嵐が吹く秋になって、私の家の道芝は
    木の葉に埋もれてしまった。

    家の道芝はかって恋人が踏み分けて通って来
    たのだが、その道芝も木の葉に埋もれて見え
    ない。その上吹きすさむ秋風は、人を待つ望
    みも消えてたたずむ女の侘びしさ、哀しみを
    深めている。

 注・・嵐=「有らじ」と「荒い風」の意と、「あら
     し」を掛ける。
    あらし=気性や態度が荒っぽい。ここでは恋
     人の冷たい仕打ちの意。
    吹きそふ=一段と吹き加わって。
    あき=「秋」と「飽き」を掛ける。
    道芝=道端に生えている芝草。

作者・・藤原俊成女=ふじわらのとしなりのむすめ。
    1171~1252。幼少より祖父俊成に養育され
    た。

出典・・新古今和歌集・515。


**************** 名歌鑑賞 ***************

 
清水の 塔のもとこそ 悲しけれ 昔の如く
京の見ゆれば
                与謝野寛 

(きよみずの とうのもとこそ かなしけれ むかしの
 ごとく きょうのみゆれば)

詞書・・明治43年の頃。

意味・・東山のふもとに建つ清水寺の三重の塔のもとに
    立っていると、悲しくせつない思いが、強く胸に
    こみあげて来る事だ。全く昔と変わらない自然の
    たたずまいと、それを背景とした京の街々が一望
    のもとに見渡されるので。

    清水寺の三重の塔のもとでたたずみ、昔と変わら
    ない京の姿を見ていると昔が偲ばれる。
    昔は、何事も真面目一筋に、自分をあざむかず、
    ごまかさずに生きてきた。そしてその結果、名声
    を得る事が出来たのだが。
    今と昔はどこが違っているのだろうか。今は満足
    出来なく寂しく悲しいものだ。

    明治43年は寛の37才の時の作です。この頃は妻の
    晶子の人気が高まり、その反面、寛は極度の不振
    に陥り、全く注目されない存在になっていた。
    この時の気持ちを詠んでいます。

作者・・与謝野寛=よさのひろし。1873~1935。号は鉄幹。
    妻の与謝野晶子とともに浪漫主義文学運動の中心
    になる。「明星」を発刊。詩歌集「東西南北」。

出典・・新万葉集・巻九


*************** 名歌鑑賞 ***************


行く水の 渕瀬ならねど あすか風 きのふにかはる
秋は来にけり
                 頓阿法師
            
(ゆくみずの ふちせならねど あすかかぜ きのうに
 かわる あきはきにけり)

意味・・流れ行く水の渕瀬ではないけれど、飛鳥の里に
    吹く風は昨日に変り、今日は秋が訪れたよ。

    飛鳥川は昨日まで渕であった所が今日は浅瀬に
    なっているように、移り変わりが早い。このよ
    うに昨日まで夏の風が吹いていたのに、今日は
    もう秋風に変わっている。

    参考歌です。
   「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日は
    瀬になる」

 注・・あすか=飛鳥の里。奈良朝以前に都が置かれた
     所。

作者・・頓阿法師=とんあほうし。1289~1372。二条
    為世に師事。同時代の浄弁・兼好・慶雲ととも
    に和歌四天王と称された。

出典・・頓阿法師詠(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)

参考歌です。

世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる         
                詠み人しらず
             
(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
 のふちぞ けふはせになる)

意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
    不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
    日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
    いる。

    世の中の移り変わりが速いことを詠んだもの
    です。

 注・・あすか川=奈良県飛鳥を流れる川。明日を掛
     けている。
    渕=川の深く淀んでいる所。
    瀬=川の浅く流れの早い所。

出典・・ 古今和歌集・933。


*************** 名歌鑑賞 ***************


夏の夜の 有明の月を 見るほどに 秋をば待たで 
風ぞ涼しき       
                                         京極師通

(なつのよの ありあけのつきを みるほどに あき
 をばまたで かぜぞすずしき)

意味・・夏の夜の有明の月をながめていると、秋の
    来るのを待たないで、涼しい風が吹いて来
    ることだ。

 注・・有明の月=20日以降の月。夜明け近くまで
     出ている月。
    見るほどに=見ているうちに。見ている間。

作者・・京極師通=きょうごくもろみち。1062~10
    99。従一位内大臣。

出典・・拾遺和歌集・230。


*************** 名歌鑑賞 ***************

 
花も見つ 月もめでつ 世の中に あるかひなしと
いふはたが言
                熊谷直好

(はなもみつ つきもめでつ よのなかに あるかい
 なしと いうはたがこと)

意味・・花も存分に見た。月も十分に賞美した。それ
    なのに世の中に存在する甲斐が無いというの
    は、一体誰の発言か。

    十のうち九つ満足している人が、一つ不満が
    あると言ってそれを愚痴ったり、それで悩ん
    でいるような人を戒(いまし)めた歌です。

作者・・熊谷直好=くまがいなおよし。1782~1862。
    岩国藩士。香川景樹に師事。

出典・・小学館「近世和歌集」。


*************** 名歌鑑賞 ***************

 
さ夜深き 軒ばの嶺に 月は入りて 暗き檜原に
嵐をぞ聞く
                 永福門院

(さよふかき のきばのみねに つきはいりて くらき
 ひばらに あらしをぞきく)

意味・・夜が更けた軒端のあたりから見える山の嶺には
    月が入ってしまって、暗い檜原に嵐の音を聞く
    ばかりだ。

    ほのかな月の光が消えて暗黒の世界。視界は消
    え失せて強風の音のみが聞こえる秋の夜半。そ
    の心細さを詠んでいます。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    伏見天皇の中宮。

出典・・玉葉和歌集。


************** 名歌鑑賞 *************** 


思ふかた 山はふじのね 年をへて わが身の雪ぞ
ふりまさりゆく     
                 藤原家隆

(おもうかた やまはふじのね としをへて わがみの
 ゆきぞ ふりまさりゆく)

意味・・思い悩むことは富士山のように高く積もり、
    年と共にわが身の雪(白髪)はいよいよよく
    降ることだ。

 注・・おもふかた=思い悩むこと。心配すること。
    わが身の雪=白髪を指す。

作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
    新古今時代の中心的な歌人。後鳥羽院の信任
    が厚かった。

出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」。


**************** 名歌鑑賞 ***************** 

時しもあれ 故郷人は 音もせで 深山の月に 
秋風ぞ吹く
                藤原良経

(ときしもあれ ふるさとびとは おともせで みやまの
 つきに あきかぜぞふく)

詞書・・山家にいて見る秋の月、という題で詠みました歌。

意味・・ちょうどこういう寂しい時、昔なじみの故郷の人
    は訪れても来ないで、深山には月がひっそり照ら
    し、寂しい秋風が吹いている。

 注・・時しもあれ=折も折なのに。ここでは、ちょうど
     こういう寂しい時の意。
    音もせず=便りもない。訪れもない。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1168~1206。
    38歳。従一位摂政太政大臣。新古今の仮名序を
    執筆。

出典・・新古今和歌集・394。


*************** 名歌鑑賞 *************** 


何の木の花とは知らず匂ひかな
                  芭蕉

(なんのきの はなとはしらず においかな)

意味・・何という木だか分からないが、清らかな花の
    匂いがただよって神々しく感じられることだ。

    伊勢神宮に参拝した時の歌で西行の次の歌の
    本歌取りといわれています。
    自然界の働きに畏敬を感じています。

    「何事のおはしますとは知らねどもかたじけ
    なさに涙こぼるる」 (意味は下記参照)

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・笈の小文。

参考歌です。

何事の おはしますとは 知らねども かたじけなさに
涙こぼるる
                  西行

(なにごとの おわしますとは しらねども かたじけ
 なさに なみだこぼるる)

意味・・どなた様がいらっしるのかよくは分りませんが、
    自分が今日こうして生きていける事が恐れ多く
    て、ただにただに涙が出て止まりません。

    天地自然、万物に神々が宿るという素朴な心を
    詠んでいます。
    日本は温暖な気候に恵まれて自然は豊かです。
    そこに生きる日本人は自然の恵みをいっぱい
    貰って生活をしています。
    時には恐ろしい災害もありますが、その時は
    恐れ慎み、しばらく我慢しておればやがて収
    まります。
    自然は恐ろしい反面、沢山の恵みを与えてく
    れるありがたい存在です。
    自然界の一つ一つの働きに人の及ばない何か
    大きな働きを感じ「ありがたい」「恐れ多い」
    と詠んだ歌です。
    自然界があっての人間です。自然を破壊する
    のでなく、大切にしたいものです。

 注・・かたじけなさ=分に過ぎた恩恵・好意・親切
     を受けたありがたさ。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。

出典・・宇野精一「平成新選百人一首」。
 


*************** 名歌鑑賞 ***************

 
白露も 夢もこの世も まぼろしも たとへていはば
ひさしかりけり      
                 和泉式部

(しらつゆも ゆめもこのよも まぼろしも たとえて
 いわば ひさしかりけり)

詞書・・ほんの少し通い始めてすぐに来なくなった男性
    に贈った歌。

意味・・(はかないものの例えの)白露も夢もこの世も
    幻も、恋のはかなさになぞらえていうと、こ
    れだって久しいものですよ。

    どんなはかないものでさえ、あなたの関係と
    のあっけなさに比べると、長続きするものに
    思われますと、男性に嘆き訴えた歌です。

 注・・白露も夢もこの世もまぼろしも=短いものの
     例えを列挙。
    たとへて=例える、なぞらえる。ここでは
     恋のはかなさに例えたもの。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。年没年未詳、977年
    頃の生まれ。朱雀天皇皇女昌子内親王に仕える。

出典・・後拾遺和歌集・832。

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