名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2016年11月


***************** 名歌鑑賞 ****************


ぬばたまの その夜の月夜 今日までに 吾は忘れず
間なくし念へば
                   河内百枝娘子

(ぬばたまの そのよのつくよ きょうまでに われは
 わすれず まなくしもえは)

詞書・・河内百枝娘子、大伴家持に贈った歌。

意味・・あなたに逢ったのは、月の美しい夜でした。私は、
    あの夜の月を今日の日まで決して忘れてはいませ
    ん。なぜって、あの時からずっと今日まで、その
    美しい月を絶え間なく思い続けていますので。
    片思いであっても、一緒に見た月は美しい思い出
    となるでしょう。

 注・・ぬばたまの=「夜」の枕詞。
    月夜=今でいう「月夜」ではなく「月」そのもの
     をさす。
    間なくし念へば=絶え間なく思っているからこそ。

作者・・河内百枝娘子=かわちのももえおとめ。伝未詳。

出典・・万葉集・702。


***************** 名歌鑑賞 ****************


今日ばかり いかで留めむ 又こむは 思ふに遠き
秋の別れを
                  後水尾院

(きょうばかり いかでとどめん またこんは おもうに
 とおき あきのわかれを)

詞書・・九月尽。

意味・・今日かぎりとなってどうして辛い気持ちを留める
    ことが出来ようか。再び来るのは思うだけでも、
    遠い先のことである秋との別れを。

    秋の情趣を満喫した身としては、来年の秋の到来
    を待つのは気も遠くなりそうだ、と詠んだ歌です。

 注・・九月尽=旧暦の九月晦日。秋の終わり。

作者・・後水尾院=ごみずのおいん。1596~1680。百八
    代天皇。

出典・・御着到百首(小学館「近世和歌集」)


***************** 名歌鑑賞 ****************


斧の柄の 朽ちし昔は 遠けれど ありにしもあらぬ
世を経るかな
                式子内親王

(おののえの くちしむかしは とおけれど ありにしも
 あらぬ よをふるかな)

詞書・・後白河院がお亡くなりになって後、百首の歌に。

意味・・木樵が山で仙人の碁を見ているうちに斧の柄が朽ち、
    家に帰ってみると、故郷の様子がすっかり変わって
    いたというのは遠い昔話だが、父法王が亡くなれた
    後の私は、その木樵と同様、以前とすっかり変わっ
    てしまった世の中に永らえています。

    変動の激しい世に生きた作者の実感です。

 注・・後白河院=式子内親王の父帝。1192年没。     
    斧の柄の朽ちし=中国の晋(しん)の王質(おうしつ)
     が、山で仙人の碁を見ているうちに時間がたち、
     斧の柄も朽ち果て、家に帰ったら、故郷の様子も
     一変していた、という故事。
    ありしもあらぬ世=昔のようではない。前とすっか
     り変わってしまった世。

作者・・式子内親王=しよくしないしんのう。1201年没。後
    白河上皇の第二皇女。齋院。

出典・・新古今和歌集・1670。


**************** 名歌鑑賞 ***************


遊びせむとや 生まれけむ 戯れせむとや 生まれけむ
遊ぶ子供の 声きけば  我が身さへこそ ゆるがるれ

                    作者未詳
 
(あそびせんとや うまれけん たわむれせんとや うまれけん
 あそぶこどもの こえきけば わがみさえこそ ゆるがるれ)

意味・・私は、遊びをしようとして生まれて来たのか。
    戯れをしょうとして生まれて来たのか。
    無心に遊ぶ子供の声を聞いていると、この汚れ
    きった身体でさえ揺さぶられてしまう。

    遊女が落ちぶれた身に後悔して謡った歌です。
    遊びとは音楽、戯れとは舞踏のこと。かって
    舞姫は芸を見せては身を売る遊女と同意義で
    あった。
    貧しい農民の子なのだろうか、身を売るしか
    生活のすべのない女が、流浪の果てに道端の
    石に腰を降ろして過去を振り返ります。
    私はこんな生活のために生まれて来たのか。
    遊び女、戯れ女とさげすまれ、もう心も身体
    もぼろぼろになってしまった。
    目の前では子供らが、なにも憂いのない溌剌
    とした声をあげて遊んでいる。
    私もこんな時があったのか、この汚れた身の
    底から激しく揺さぶられる。
    ああ、あの無邪気な子供の子を聞いていると
    悲痛な思いになってゆく。

 注・・梁塵秘抄=平安時代の末期に編まれた歌謡集。
     1180年頃、後白河法皇によって編まれる。

出典・・ 梁塵秘抄・359。


******************* 名歌鑑賞 ******************


うづら鳴く ふりにし里の あさぢふに 幾世の秋の
露か置きけむ
                   源実朝

(うずらなく ふりにしさとの あさじうに いくよの
 あきの つゆかおきけん)

意味・・寂しそうにうずらが鳴いている故郷。この故郷は耕地に
    されず草が茂って幾年もの秋の露が置いた事であろうか。

    今でいえば、若者が都会に出て過疎地となっている所で
    す。人の訪れもなく、荒涼とした故郷、時の推移ととも
    に荒れ果てて行く寂しさを詠んでいます。

 注・・うづら=キジ科の鳥。悲しみを帯びて鳴く鳥として和歌
     に詠まれる。
    ふりにし里=以前住んでいた土地、故郷。
    あさぢふ=浅茅生。丈の低い茅が生えているところ。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
    征夷大将軍。鶴岡八幡宮で暗殺された。

出典・・金槐和歌集。


************** 名歌鑑賞 **************

たまさかに飲む酒の音さびしかり
                   山頭火

(たまさかに のむさけのおと さびしかり)

意味・・禁酒をしていて、たまさかに飲んだ酒だが、
    酒を飲んでは失敗するので、気持ちは癒さ
    れず寂しいものである。

    句会があって禁酒の近いを破って多いに酒
    を飲みます。その帰り道に旅館に上がり込
    みさらに飲んだ。飲み過ぎて支払いが出来
    なくなり、句友に金を工面してもらいます。
    そういう失敗をした時の句です。

    禁酒はお金が無いからしていたのです。
    山頭火は次のように言っています。「貧乏
    によって、肉体的にさえも二つの幸福を与
    えられた。一つは禁酒であり、他の一つは
    飯が空腹のため美味しく食べられることで
    ある」と。

作者・・山頭火=さんとうか。種田山頭火。1882~
    1940。荻原井泉水に師事。「層雲」に出句。
    母と弟の自殺、家業の酒造業の失敗など不
    幸が重なる。禅僧として行乞流転の旅を送
    る。

出典・・句誌「層雲」(金子兜太著「放浪行乞・山頭
    火百二十句」)


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さびしさにたへし跡ふむ落ち葉かな
                     西山宗因

(さびしさに たえしあとふむ おちばかな)

詞書・・西行谷にて。

意味・・西行が寂しさに耐えて住んだという西行谷の落ち
    葉を、西行を偲(しの)びながら踏みしめている。

    西行が、寂しさによく堪え、世事に心を動かされ
    ない人がいたら、庵を並べて語らう友としたい、
    と詠んだ歌「さびしさにたへたる人の又あれな庵
    ならべん冬の山ざと」と詠んだことに応じる気持
    ちの句でする。(西行の歌は下記参照)

 注・・西行谷=伊勢神宮に近い神路山にある谷で西行が
     隠棲した跡という。

作者・・西山宗因=にしやまそういん。1605~162。八代
    の城主の加藤正方に仕えた。大阪天満宮連歌所の
    宗匠。門下に井原西鶴・岡西惟中・松尾芭蕉が集
    まる。

出典・・宗因発句集(小学館「近世俳句俳文集」)

参考です。
寂しさに たへたる人の またもあれな 庵ならべん
冬の山里
                    西行

 (さびしさに たえたるひとの またもあれな いおり
 ならべん ふゆのやまざと)

 意味・・私のように寂しさに堪えている人が他にいると
     いいなあ。そうしたらその人と庵を並べて共に
     語り住もう。この冬の山里で。
  
     寂しい思いをする場面はさまざまあります。
     知人も誰もいない寂しさ、誰にも相手にされ
     ない寂しさ、自分の行為を評価されない寂しさ
     叱られた時の寂しさ・・。
     こんな時、相慰める友がほしいものです。

 注・・またもあれな=自分以外にもいて欲しいものだ。

 作者・・西行=1118~1190。

 出典・・新古今和歌集・627。
 


******************* 名歌鑑賞 ********************


菫程な小さき人に生まれたし
                     夏目漱石

(すみれほどな ちいさきひとに うまれたし)

意味・・道端の菫が目につく。アスファルトのちよっとした割れ目
    にも、どこにでも可憐な花を咲かす菫。もう一度生まれ直
    す事が出来るなら、周りの環境を気にしないであどけなく
    咲く菫のように生まれたい。小さな存在だけれど懸命に生
    きる菫ほど愛らしいものはない。目立たなくともよい、ひ
    っそりと自分の力を尽くす人生でありたい。

 注・・程な=ほどのような。「な」は意思や希望を表す。・・の
     ように、・・したい。

作者・・夏目漱石=なつめそうせき。1867~1916。東大英文科卒。
    小説家。

出典・・大高翔著「漱石さんの俳句」。


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たとふれば 心は君に 寄りながら わらはは西へ
では左様なら
                 紀野 恵

(たとうれば こころはきみに よりながら わらわは
 にしへ ではさようなら)

意味・・今、私たち二人の状態をたとえて言ってみると、
    私の心は限りなくあなたに寄り添いながら、けれ
    ど体は正反対の西の方向へと旅立つような感じの、
    別れなのです。ではさようなら。

    なんらかの理由で許されない恋愛。たとえば、三
    角関係の相手のために身を引く恋愛、親から許可
    されない恋愛・・・、そんな厳しい状況下での別
    れの歌です。

    別れは、ある意味で、恋愛の清算という。意地悪
    な人なら思い切り意地悪になり、逆に心優しい人
    なら、なるべく相手を傷つけないように配慮する
    だろう。別れの場面にはその人の性格が表れる。
    表記の歌は引き裂かれる思いだが、相手には負担
    をかけまいとする心配りが感じられます。

作者・・紀野 恵=さのめぐみ。1965~ 。徳島生まれ。
    「未来」所属。

出典・・俵万智著「あなたと読む恋の歌百首」。


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シルレア紀の 地層は査き そのかみを 海の蠍の
我も棲みけむ
                   明石海人

(シルレアきの ちそうはとおき そのかみを うみの
 さそりの われもすみけん)

意味・・古代シルレア紀の地球。悠久の昔、深海の住家に
    蠍として私は住んでいたのである。

    古生代のシルレア紀の深海に生きていた自分を想
    像して詠んでいます。作者は日々死と隣り合わせ
    の苦悩の中にいた。ハンセン病により手足の指の
    欠損、全視力の喪失、喉を切開して吸気管を付け
    て息をする状態の時に詠んだ歌で、苦悩の中で転
    生を願っています。深海に生きる魚族のように、
    自ら燃えなければ何処にも(希望の)光はないと。

 注・・シルレア紀=46億年前に地球が誕生し、38億年前
     に生命が生まれた。4億年前に脊椎動物の魚が生
     まれ、サソリ形の節足動物が生まれた古生代をい
     う。
    地層=岩石のかけら、土砂・化石などがつみかさな
     って出来ている地下の層。ここでは地球・深海な
     どの意味。
    査(とお)き=はるかに遠い。
    そのかみ=昔、過去。
    蠍(さそり)=シルレア紀に絶頂期であったサソリ形
     の海棲動物、その後絶滅した。
    けむ=過去を推量する語。・・したであろう。
    転生=生まれ変わること。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    昭和3年ハンセン病と診断され岡山県の長島
    愛生園で療養生活を送る。盲目になり喉に吸
    気官を付けながらの闘病の中、歌集「白描」を出版。

出典・・歌集「白描」。

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