名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2017年04月


***************** 名歌鑑賞 *****************


龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなん
わが帰るとに
               大伴家持

(たったやま みつつこえこし さくらばな ちりか
 すぎなん わがかえるとに)

意味・・龍田山を越える時に眺めながらやって来た、あの
    桜の花は、すっかり散り果てていることであろう
     か。私の帰る頃には。

    防人を取り仕切る仕事で、難波に滞在中の時の歌
    です。今の仕事を無事に終わらせ、早く帰りたい
    という気持ちがあります。

 注・・龍田山=奈良県生駒郡の山。
    帰るとに=「と」はここでは時、折の意。

作者・・大伴家持=大伴家持。718~785。大伴旅人の長
    男。越中(富山)守。万葉集の編纂を行う。

出典・・万葉集・4395。


**************** 名歌鑑賞 **************


夜もすがら 竹の嵐に ふかれつつ 朝咲きたもつ
には桜ばな
                 尾上柴舟

(よもすがら たけのあらしに ふかれつつ あささき
 たもつ にわさくらばな)

意味・・夜通し風が吹いて竹林の激しい音が聞こえて
    いたが、朝、庭の桜の花を見たら、散らずに
    残っていた。何事も無かったかのように美し
    い花を咲かせている。

    桜の花は強風が吹いても散りません。時期が
    来たら風が無くても散ります。

    おだやかな面影の人も、内心はいろいろ苦労
    をしているのだ、という次の句を参考にして
    下さい。

    参考句です。
    
    梅寂し人を笑はせをるときも   横山白虹

    横山白虹はいつもにこにことしていて、軽口
    で、人を笑わせる側に立つ洒脱な紳士であっ
    た。だが、傍目にはそう見えても、けっして
    本心はにこにこしているだけではないのだぞ、
    といっいるような句です。
 
 注・・竹の嵐=竹の林に風が吹きつけ、竹がうなっ
     ているさま。
    横山白虹=よこやまはっこう。1899~1983。
     九大医学部卒。

作者・・尾上柴舟=おのえさいしゅう。1876~1957。
     東京大学国文科卒。歌集「銀鈴」「静夜」。

出典・・インターネット。


**************** 名歌鑑賞 ****************


過ぎきにし 四十の春の 夢のよは 憂きよりほかの
思ひでぞなき
                 覚審法師
 
(すぎきにし よそじのはるの ゆめのよは うきより
 ほかの おもいでぞなき)

意味・・過ぎて来た四十年の、春の夢のようにはかない
    人生は、憂いという以外の思い出はないことだ。

    いじめられたり、失恋したり、病気したり・・。
    憂いが大きい程、それを克服した時の喜びは大
    きいが・・。

 注・・春の夢=はかなさの喩え。
    春の夢のよ=春の夢の世。はかなさそのものの
     ような人生。

作者・・覚審法師=かくしんほうし。生没年未詳。比叡
     山の僧。

出典・・千載和歌集・1028。


**************** 名歌鑑賞 ****************


庭中の 阿須波の神に 小柴さし 我は斎はむ
帰り来までに
                主張丁若麻続部諸人

(にわなかの あすはのかみに こしばさし あれは
 いわわん かえりくまでに)

意味・・庭の中に祀(まつ)っている阿須波の神に、小柴を
    捧げ、私は身を清め無事をお祈りしましょう。夫
    が故郷に帰って来るその日まで。

    防人として出かけた夫の無事を祈り、早く帰って
    来て欲しいと祈った歌です。

 注・・阿須波の神=農業の神。
    小柴=招ぎ代(おぎしろ)として挿す木の枝。
    斎(い)はむ=神につかえる、慎む、物忌みする。
    物忌み=飲み食い・行いを慎み、心身を清める事。
    帰り来=主語は出でたった防人。
    祀る=神として崇め一定の場所に安置する事。

作者・・主張丁若麻続部諸人=しゆちょうちょうわかおみ
    べのもろひと「主張丁」は郡の四等官、公文の作
    成などを行う。防人として行った本人で、詠んだ
    歌はその家族。

出典・・万葉集・4350。


*************** 名歌鑑賞 ****************


数ならで 年経ぬる身は 今さらに 世を憂しとだに
思はざりけり
                 俊恵法師

(かずならで としえぬるみは いまさらに よを
 うしとだに おもわざりけり)

意味・・物の数にも入らずに何年も過ぎた身にとっては、
    今更世を辛い所などとさえ思わないことだ。

    不遇な状態のままで長年過ごして来た私には、
    少々の辛さは、辛いとは思わないものだ。

 注・・数ならで=数える価値がない、取るに足りない。

作者・・俊恵法師=しゅんえほうし。1113年生れ。東大
    寺の僧。

出典・・千載和歌集・1079。


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春がすみ 志賀の山越え せし人に あふ心地する
花ざくらかな
                 能因法師

(はるがすみ しがのやまごえ せしひとに あう
 ここちする はなざくらかな)

意味・・京都の山々には春霞がただよい、白雲のように
    花霞もかかっているだろう。私が歩くこの山路
    も桜が花盛りで、滋賀の山越えの路に落下を詠
    んだ古の歌人と来合わせた気分になって来る程
    である。

    古の歌人の落花を詠んだ歌は、紀貫之の歌で、
    「滋賀の山越えの途中で大勢の女性たちに逢っ
    た時に、彼女たちに詠んで贈った歌」の詞書が
    あり「梓弓 春の山べを 越えくれば 道もさ
    りあへず 花ぞ散りける」(古今集・115)です。

    「さりあえず」は避ける事が出来ない、の意。
    歌の意味・・のどやかな春の山路を超えて来た
    ら、道をよけて通る事も出来ない程、花が散っ
    ています。
    
作者・・能因法師=のういんほうし。1024~?。文章生
    (もんじょうしょう)となるが26歳ころ出家。

出典・・松本章男著「京都百人一首」。


**************** 名歌鑑賞 ***************


をちかたの 里は朝日に あらはれて けぶりぞ薄き
竹のひとむら
                  徽案門院一条

(おちかたの さとはあさひに あらわれて けぶりぞ
 うすき たけのひとむら)

意味・・遠方の里のあたりは射す朝日にくっきりと表れ、
    炊飯の煙が薄く靡(なび)いて竹の一群が霞んで
    見える。

    夜がすっかり明けて大気の澄んだ朝、遠く望む
    里のあたりが朝の光を受けてくっきり浮かび、
    里の家の周囲の竹の群れのあたりに薄く朝餉の
    煙が靡いて見えるという情景です。
    
 注・・をちかた=遠方。遠く離れたところ。
    けぶり=炊飯のの煙。
    ひとむら=一叢。一群。

作者・・徽案門院一条=きあんもんいんのいちじょう。
    生没年未詳。花園天皇の皇女・徽案門院に仕え
    る。

出典・・風雅和歌集。


**************** 名歌鑑賞 ***************


日をへつつ ゆくにはるけき 道なれど すえをみやこと
思はましかば
                   藤原脩範

(ひをへつつ ゆくにはるけき みちなれど すえを
 みやこと おもわましかば)

意味・・日数を経つつ行く遥かな道のりであるが、行く
    末を都と思うならばどんなにも嬉しかろうに。

    平治の乱で父・信西が破れたので、連座で隠岐
    に流される途次の歌です。長旅で疲れ果てたが
    行く先が希望の持てる所なら元気も出るのだが
    ・・。

作者・・藤原脩範=ふじわらのながのり。1143~1183。
    平治の乱で隠岐に配流、のち召還され正三位左
    京大夫にいたる。

出典・・千載和歌集・519。


**************** 名歌鑑賞 ***************


あたらしき パン屋に隣る 小鳥店 いろいろ聞こえ
小さくさわがし
                 片山貞美

(あたらしき パンやにとなる ことりてん いろいろ
 きこえ ちいさくさわがし)

意味・・パン屋の隣に新しく小鳥屋が出来た。さまざま
    な鳥の鳴き声が小さいながら騒がしくもまた心
    地よく聞こえて来る。

    昭和51年の作です。
    現在の大型スーパーが出現する前の時代です。
    通りには雑貨店があり魚屋があり八百屋あり、
    と店屋がずらっと並んでいた庶民の生活の匂い
    のある風景が詠まれています。

作者・・片山貞美=かたやまていび。1922~2008。国
    学院大卒。歌誌「短歌」を編集。

出典・・歌誌「短歌」(桜楓社「現代短歌鑑賞事典」)


**************** 名歌鑑賞 ***************


眼をあげよ もの思うなかれ 秋ぞ立つ いざみづからを
新しくせよ
                   若山牧水

(めをあげよ ものおもうなかれ あきぞたつ いざ
 みずからを あたらしくせよ)

意味・・相変わらず泥沼に足を踏み込んだような生活が
    続いているうちに、いつのまにか今年の夏も過
    ぎようとしてはや立秋の声を聞くようになった。
    顔を上げ目を見開いてはっきりと前方を見よ。
    いつまでもくだらぬ物思いなどにふけっている
    な。秋だ、秋だ。清々しい秋が来るのだ。さあ、
    これを機会に立ちあがって身も心も新しい自分
    になり、すっかり新しい生活に勇敢に入って行
    かなくては。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
       早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛
    す。

出典・・歌集「死か芸術か」。

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