名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2018年03月


***************** 名歌鑑賞 ****************


今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで
言うよしもがな
                  藤原道雅

(いまはただ おもいたえなん とばかりを ひとづて
 ならで いうよしもがな)

意味・・今となっては、ただもう諦めてしまおう、と
    いう事だけを、せめて人伝ではなく、じかに
    お目にかかってお話するてだてがあって欲し
    いものです。

    お互いに愛しあっているのに、親や周辺の反
    対にあって、恋人に会う事を諦めた時に詠ん
    だ歌です。
  
 注・・今はただ=逢う事を禁じられた今はもう。
    思ひ絶え=思いきる、諦める。
    とばかりを=・・という事だけを。

作者・・藤原道雅=ふじわらのみちまさ。993~1054。

出典・・後拾遺和歌集・750、百人一首・63。


***************** 名歌鑑賞 *****************


都出でて 逢坂越えし をりまでは 心かすめし
白河の関
                 西行

(みやこいでて おうさかこえしし おりまでは こころ
 かすめし しらかわのせき)

意味・・都を出て、程遠からぬ逢坂の関を越える頃まで
    は、これから随分遠い所まで行くのだなあと、
    時折,ちらっと心にかすめた事があったが、とう
    とうその白河の関までやって来てしまった。

    歌の詠まれた事情は前書きに書かれています。
    白河の関を越えて信夫の里という所までやって
    来たが、この辺りはこの世とは思えぬほど淋し
    い所である。都を出てからの日数も今更の如く
    思い出され、それにつけても、とうとう能因法
    師が「都をば霞とともにたちしかど秋風吹く白
    河の関」といった感慨を持った所まで辿り来て
    しまったと思う。それを思いこれを思い、自分
    の旅情も能因法師の旅の心と一緒になってしま
    った思いで、この歌を詠んだ。

 注・・逢坂=滋賀県大津市と京都府の境界の地。関所
     があった。
    白河の関=福島県白河市にあった関所。
    信夫=福島市の近傍の地。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤義
      清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。1140
    年23歳で財力がありながら出家。出家後京の東
    山・嵯峨のあたりを転々とした。陸奥の旅行も
    行い30歳頃高野山に庵を結び仏者として修行し
    た。

出典・・山家集・1127。


**************** 名歌鑑賞 ****************


呉竹の かた山ばやし 残る夜の ややしらみ行く
鶯の声
                後柏原天皇

(くれたけの かたやまばやし のこるよの ややしらみ
 ゆく うぐいすのこえ)

意味・・呉竹が多く生えている寂しい山の中の林で、夜
    明け方にあたりが少しずつ白んでいくなか、鶯
    の声が聞こえる。
   
 注・・呉竹=淡竹(はちく)の異名。葉が細く節が多い。
    かた山林=寂しい山の中の林。「片」には辺鄙
     の意がある。例として「片田舎」。
    残る夜=夜明け方。

作者・・後柏原天皇=ごかしわばらてんのう。1464~
           1526。

出典・・柏玉集(笠間書院「室町和歌への招待」)


*************** 名歌鑑賞 ***************


たのしみは 心にうかぶ はかなごと 思ひつづけて
煙草ふかすとき
                  橘曙覧

(たのしみは こころにうかぶ はかなごと おもい
 つづけて たばこふかすこと)

意味・・ぷかあ、ぷかあと煙草をふかす。心の鏡に様々
    な思いが、浮かんでは消えて行く。あんな事も
    あった、こんな事もあった。たわいもない事を
    とりとめもなく、思い浮かべながら煙草をふか
    す。ああ、こんな時なのだよ、なんともいえず
    楽しい気分になれるのは。

 注・・はかなごと=取り立てて言うほどではない事。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~18121868。
            早く父母と死別。家業を異母兄弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と交流。

出典・・独楽吟。


**************** 名歌鑑賞 ****************


器には 昨日のごとく 飯を盛る ならひに老いて
繰る夢もなく
                明石海人

(うつわには きのうのごとく めしをもる ならいに
 おいて たぐるゆめもなし)

意味・・昨日と同じように器に飯を盛る。そうして変哲も
    ない日々を習慣として老いて行く。もはや、見る
    べき夢もなく。

    治る見込みのない癩病を患い、妻子と別れ療養所
    で治療している時に、空にこそ光はあれど、自分
    の未来には光はない、と思った時分の頃を詠んで
    います。
    その後、名医との出会いがあり、癩は天刑でなく
    天啓だ、と言わせています。そして自ら光り輝く
    人生を送った。
    
 注・・ならひ=習ひ。習慣。
    天刑=天がくだす刑罰。
    天啓=天のみちびき。

作者・・明石海人=19011939。ハンセン病を患い岡山県
    の愛生園で療養。手指の欠損、失明、喉に吸気管
    を付けた状態で歌集「白描」を出版。

出典・・歌集「白描」。


**************** 名歌鑑賞 ****************


河そひの つつみの柳 うちなびく かげもみどりの
水の春かぜ
                 日野資枝

(かわそいの つつみのやなぎ うちなびく かげも
 みどりの みずのはるかぜ)

意味・・川沿いの土手の柳が、春風に吹かれてなびく
    姿が水面に映ってこちらも緑色に染っている。

    心地よい春景色です。

作者・・日野資枝=ひのすけき。1737~1801。従一位・
    権大納言。

出典・・小学館「近世和歌集」。



*************** 名歌鑑賞 ****************


かの時に 我がとらざりし 分去の 片への道は
いづこ行きけむ
                 美智子皇后

(かのときに わがとらざりし わかされの 
 かたえのみちは いずこゆきけん)

意味・・ある時に自らが選択した一つの道があった。
    当然、選択しなかった方の道もあったはず
    で、そのあり得たかも知れないもう一つの
    道は、もしそちらを択んでいたらどのよう
    な方向へ推移していったのだろうか、と思
    い返している。

 注・・分去(わかされ)=別れて去って行く道。
    択(えら)んで=よい方をとる。

作者・・美智子皇后=みちここうごう。1934~ 。


**************** 名歌鑑賞 ****************


きくからに いとどむかしの 恋しくて 庭火の笛の
音にぞ泣くなる
                 建礼門院右京大夫

(きくからに いとどむかしの こいしくて にわびの
 ふえの ねにぞなくなる)

意味・・ただでさえ宮使えの日々が恋しいのに、隣家
    で吹く「庭火」の曲の笛の音を聞いたために、
    いっそう昔が恋しく思われ、声をあげて泣い
    てしまう。

    宮使いをしていた当時を偲んだ歌です。
   「蛍の光」を聞けば学生時代を思い出すように、
    作者には、それを聞いたらある思い出につな
    がる曲があったのではないだろうか。「庭火」
    の曲はそのような音楽の一つであったと想像
    されます。

 注・・庭火=庭で焚く篝火(かがりび)。特に禁中で
     神楽の時などにたく篝火の事であるが、こ
     こでは神楽歌の曲名。歌詞は「深山には霰
     降るらし外山なるまさきの葛色づきにけり」
    音にぞ泣く=「笛の音」と「「音に泣く(声を
     出して泣く)」を掛ける。

作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんうきょう
    のだいぶ。1157~1227。高倉天皇の中宮平徳子
    (建礼門院)に仕えた。


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雨に濡れし 夜汽車の窓に 映りたる 山間の町のと
もしびの色
                  石川啄木

(あめにぬれし よぎしゃのまどに うつりたる やまあい
 のまちの ともしびのいろ)

意味・・夜の雨の中を、ごとごとと走る汽車に乗りながら
    ぼんやりと窓の外を眺めていると、山間の町の寂
    しい灯が見えてきた。灯の色はしっとりと雨に濡
    れ、窓に滲(にじ)み浮かんで見えている。しみ
    じみと旅情を感じつつ、山間の町の人々の暮らし
    を思い、ゆっくり流れてゆく灯を静かな心で見つ
    めていると、ほのかな温かみを感じたことだ。

    明治40年(1907)函館での職を失い、札幌に向か
         う時の歌です。にじむ明かりのもとには人々のさ
    うさやかな営みがある。生活は大丈夫なのか。深
    い悩みを抱えていないのか。それらに耳を澄ます
    世の中であってほしいと。

 注・・山間(やまあい)=山と山の間。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
    歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻に師事するた
    めに上京。新聞の校正係などの職につく。

出典・・歌集「一握の砂」。


*************** 名歌鑑賞 ***************



いくとせか わが身一つの 秋を経て 友あらばこそ
月はみてまし
                  武田信玄

(いくとせか わがみひとつの あきをへて ともあらば
 こそ つきはみてしか)

詞書・・述懐。

意味・・何年になろうか。知り合いもなく私は一人きりで
    寂しい秋を過ごして来た。私に友がいたならばこ
    のような秋には共に月を見て、心を慰めることが
    出来るのに。

    「友あらば」とは、今までずっと友がいなかった
    というのではなく、かっていた「友」が先に亡く
    なっている事を言っている。つまり、我が身は老
    い、友が皆先立ってしまってから何年も経った、
    友が生きていたなら共に月を見るであろうに、と
    いうのである。友がいたなら月を見るであろうが、
    いないので月を見ることもない、つまり、月を見
    ても仕方がない、心は慰められない、というので
    ある。

作者・・武田信玄=たけだしんげん。1521~1573。甲斐
    の戦国大名。名は晴信。

出典・・武田晴信朝臣百首和歌(笠間書院「室町和歌への
    招待」)


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