*************** 名歌鑑賞 ***************
みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば
君ぞ知りける
中宮定子
君ぞ知りける
中宮定子
(みなひとの はなやちょうやと いそぐひも わが
こころをば きみぞしりける)
こころをば きみぞしりける)
意味・・世間の人が皆、花や蝶やといそいそと美しい
ものに浮かれる日も、あなただけは私の本当
の気持ちを知ってくれているのですね。
ものに浮かれる日も、あなただけは私の本当
の気持ちを知ってくれているのですね。
落ちぶれた自分を捨てて、皆が、今をときめ
く人のもとに走り寄る日も、清少納言よ、そ
なただけは、私の心の底を、誰よりも知りぬ
いているのですね、と詠んでいます。
く人のもとに走り寄る日も、清少納言よ、そ
なただけは、私の心の底を、誰よりも知りぬ
いているのですね、と詠んでいます。
時代の背景。
平安時代(794~1192)は藤原氏が摂政関白と
して政権をにぎった時代である。彼等は始め
他の氏族を政界から追放して一門の繁栄をは
かったが、それが達成されると、次いで一門
の中で露骨な政権争奪が行われた。彼等が政
権獲得のために取った手段は、外戚政策、す
なわち自分の娘を妃に立てて皇室と親戚関係
を結ぶことにあった。この政権争奪の最後の
勝利者は藤原道長である。兄の藤原道隆の勢
力をくじいて政権をにぎったのである。そし
てこれに伴い、道隆の娘定子は、一条天皇の
妃としての幸福な生活から、たちまち悲運の
皇后としての暗く寂しい境遇におちいった。
この頃、定子の女房である清少納言のなぐさ
めの歌に返歌として詠んだ歌です。
平安時代(794~1192)は藤原氏が摂政関白と
して政権をにぎった時代である。彼等は始め
他の氏族を政界から追放して一門の繁栄をは
かったが、それが達成されると、次いで一門
の中で露骨な政権争奪が行われた。彼等が政
権獲得のために取った手段は、外戚政策、す
なわち自分の娘を妃に立てて皇室と親戚関係
を結ぶことにあった。この政権争奪の最後の
勝利者は藤原道長である。兄の藤原道隆の勢
力をくじいて政権をにぎったのである。そし
てこれに伴い、道隆の娘定子は、一条天皇の
妃としての幸福な生活から、たちまち悲運の
皇后としての暗く寂しい境遇におちいった。
この頃、定子の女房である清少納言のなぐさ
めの歌に返歌として詠んだ歌です。
作者・・中宮定子=ちゅうぐうていし。975~1000。
25歳。一条天皇の后。清少納言は定子の女房
(女官のこと)。
25歳。一条天皇の后。清少納言は定子の女房
(女官のこと)。
出典・・枕草子・225段。