名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2018年07月


*************** 名歌鑑賞 ****************


うらさぶる 心さねまし ひさかたの 天のしぐれの
流れ合う見れば                    
                                          長田王

(うらさぶる こころさねまし ひさかたの あめの
 しぐれの ながれあうみれば)

詞書・・和銅五年夏四月長田王を伊勢神官に派遣され
    た時、山辺の御井で作った歌。

意味・・寂しい思いが胸一杯にひろがる。大空のあち
    こちからしぐれがはらはらと降り続けるのを
    見ていると。

    結婚出来ない神官を寂しい思いで見つめてい
    ます。
    しぐれは晩秋から初冬のもので、夏四月の景
    ではない。旅愁を表すのに、この歌の寂しさ
    を利用したもの。旅先では土地の物を褒める
    歌と旅愁を述べる歌がよく詠まれた。

 注・・うらさぶる=心が晴れない、心さびしく思う。
    さねまし=さ・あまねし。「さ」は接頭語。
     すみずみまで行き渡っている。
    ひさかたの=天・雨・月などに掛かる枕詞。
    しぐれ=秋から冬に降ったり止んだりする
     小雨。 
    流れ合う=雨が降るの意。
    和銅五年=712年。
    神官=斎宮(いつきのみや)。神官には未婚の
     皇女が天皇の御代ごとに選ばれ神に奉仕し
     た。この間は結婚できない。ここでは神官
     のいる場所のこと。結婚出来ない神官を寂
     しい思いで見ている。
    山辺の御井=三重県の鈴鹿市山辺町付近。

作者・・長田王=ながたのおおきみ。?~737。近江
    守・正四位下。風流を解する人として知られ
    る。

出典・・万葉集・82。


************** 名歌鑑賞 **************


わがなしし 新墾の大田 もとほりて 土に礼する
母にしあるかも
                  吉植庄亮

(わがなしし あらきのおおた もとほりて つちに
 いやする ははにしあるかも)

意味・・私のたずさわった、新しく開墾した大きな
    田圃(たんぼ)のあたりを歩きめぐりながら、
    美しく開かれた土に、深々と母は頭をさげ
    ていることだ。

    病気の母が一命を取りとめて、息子にいた
    わられながら開墾された田圃を見て歩いて
    いる状況です。
    昭和10年、印旛沼の開墾を成し遂げた時、
    母に喜んで貰った時の喜びの歌です。

 注・・新墾(あらき)の大田=新たに開墾された田。
    もとほり=徘徊。めぐる、ぶらぶら歩く。

作者・・吉植庄亮=よしうえしょうりょう。1884~
    1958。東大卒。大正15年郷里千葉県印旛
    沼の開墾事業に着手。
 
出典・・東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」。


*************** 名歌鑑賞 **************


とどめおきて 誰をあはれと 思ふらん 子はまさるらん
子はまさりけり

                   和泉式部 

(とどめおきて たれをあわれと おもうらん こは
 まさるらん こはまさりけり)

詞書・・小式部内侍が亡くなって、孫がいるのを見て
    詠みました歌。

意味・・子と母をこの世に残しておいて、死んだ小式
    部はどちらを不憫(ふびん)に思っているだろ
    うか。子の方がまさるであろう。そう、自分
    も親よりも子への愛情が深かったのだよ。

 注・・小式部内侍=こしきぶのないし。?~1025。
     和泉守橘道貞と和泉式部の娘。「百人一首」
     に撰入されるほどの歌才があった。
    とどめおきて=母である自分と、子をこの世
     に残しおいて。
    あはれ=気の毒、不憫(ふびん)。

作者・・和泉式部=生没年未詳。

出典・・後拾遺和歌集・568。

参考です。
小式部内侍の百人一首の歌です。

「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず
 天の橋立」

大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは
遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、
また、母からの手紙も見ていません。


*************** 名歌鑑賞 ***************


越えわびる 逢坂よりも 音に聞く 勿来をかたき
関と知らなむ
                 道綱母
 
(こえわびる おうさかよりも おとにきく なこそを
 かたき せきとしらなん)

意味・・あなたが越えにくいと嘆いている逢坂の関は、
    まだ名前だけでも逢うという言葉を持っていま
    すが、私の方は名前からして勿来といって来て
    くれるなというなかなか人を寄せ付けない、堅
    固な難関だと知ってください。

    藤原兼家(道長の父)の求婚歌の返歌です。結婚
    を断った歌になっているが、返歌を返す事は当
    時、結婚を承諾する事と同じであった。
    兼家の求婚歌です。
   「逢坂の関やなにより近けれど 越えわびぬれば
    嘆きてぞふる」 (意味は下記参照)

 注・・わびる=気落ちする、途方にくれる。・・しか
     ねる。
    逢坂=滋賀県大津市逢坂。昔ここに関があった。
     「逢う」を掛ける。
    音に聞く=うわさに聞く。「逢う」という事を
     聞いている。
    勿来の関=福島県勿来町にあった関。「な来そ
     」を掛ける。
    かたき=難き。「固き」を掛ける。
    
作者・・道綱母=みちつなのはは。936~995。藤原道長
     の父である兼家と結婚。「蜻蛉日記」の作者。

出典・・蜻蛉日記。

兼家の求婚歌です。

逢坂の 関やなにより 近けれど 越えわびぬれば
嘆きてぞふる
                藤原兼家
 
意味・・人に逢うという名を持った逢坂の関は、一体
    何なのでしょう。すぐ目と鼻の近さにありな
    がら、まだ越え兼ねる、すなわちあなたに逢
    う事が出来ないので、嘆き暮らしています。

 注・・なにより=何より。どういうため。「より」
     は原因・理由を表す。・・のために。
    ふる=経る。月日がたつ。過ごす。

作者・・藤原兼家=ふじわらのかねいえ。929~990。
     従一位・摂政関白となり、子の道長、孫の
     頼通と続く藤原全盛時代を築く。

出典・・蜻蛉日記。


*************** 名歌鑑賞 ***************


歌よみて 罪せられきと 光ある 今の世を見よ
後の千とせに
                山川登美子

(うたよみて つみせられきと ひかりある いまの
 よをみよ のちのちとせに)

意味・・歌を詠んで罰せられた事実があったと、今の
    輝かしい世のことを、千年後の人々は思って
    欲しいことだ。

    登美子は明治37年に日本女子大学に入学した。
    その時に歌集「恋衣」を出版したが学校は喜ば
    ず、停学処分にした。この歌は、学校の古めか
    しい考え方や自由拘束への抗議で詠まれた歌で
    す。「光ある今の世」は、まだ暗い今の世の中
    を皮肉った言葉です。

 注・・光ある今の世=光のない暗い世の中、という
     ことを皮肉った文言。

作者・・山川登美子=やまかわとみこ。1879~1909。
    30歳。大阪梅花女学校卒。日本女子大学に入
    学するが肺結核を患い中退。晶子と共に鉄幹
    との恋愛関係にあった。

出典・・歌集「恋衣」。

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