名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2018年08月


*************** 名歌鑑賞 ***************


世の中は 心ひとつの 置きどころ 楽も苦となり
苦も楽となる

(よのなかは こころひとつの おきどころ らくも
 くとなり くもらくとなる)

意味・・物事は考えようだ。気の持ちようで楽しい事も
    心配事になるが、楽観的に考えれば苦しい事も
    楽しい事になるものだ。

    何事も苦しいと捉(とら)えると限りなく苦しい。
    人間関係や仕事、全てが苦しくなる。生きてい
    る以上は、それらの中に楽しみを見い出す。こ
    れは心次第、心の持ちようなのである。
    
出典・・斉藤亜香里著「道歌から知る美しい生き方」。


*************** 名歌鑑賞 ****************


朝づく日 匂へる空の 月見れば 消えたる影も
ある世なりけり
                香川影樹
                
(あさずくひ におえるそらの つきみれば きえたる
 かげも あるよなりけり)

意味・・朝日が光り輝く空に残る月を見ると、すっかり
    光も消えている。そのように時めいて光輝く存
    在もあれば、不遇のまま消えてゆく人もあるの
    が、この世なのだなあ。

    現在は年金制度、生活保護制度、健康保険制度
    などの社会保障があり、不遇の人は少なくなり
    改善されて来ている。

 注・・朝づく日=朝日。
    匂へる空=光輝く空。

作者・・香川影樹=かがわかげき。1768~1843。号は
    桂園。桂園派の和歌は歌壇の一大勢力となり近
    世に影響を与えた。

出典・・歌集「桂園一枝」(小学館「近世和歌集」)


*************** 名歌鑑賞 ***************


花さへに 世をうき草に なりにけり 散るを惜しめば
さそう山水
                  西行

(はなさえに よをうきぐさに なりにけり ちるを
 おしめば さそうやまみず)

意味・・私ばかりでなく、花までもが世の中を憂いもの
    として水面に散って浮き草のようになってしま
    った。散るのを惜しんでいると、一方では一緒
    に行こうと誘って流れて行く山川の水がある、
    花はそれに誘われて流れて行ってしまうことだ。

    歌合の評者の定家は「散るを惜しめば」を「春
    を惜しめば」と訂正し改めたらどうか、と述べ
    ている。現実的な光景を一般的な惜春の情にし
    はどうかと言ったもの。いずれにしても、散る
    のを惜しめば、春を惜しめば、山川の水が誘う
    ので、花は早く散り春は早く過ぎ去って行くと
    歌ったものです。人生の春を謳歌するのも、す
    ぐに過ぎ去る意を含んでいる。

 注・・世をうき草=「うき」は「憂き」と「浮き」を
     掛ける。「憂き」は人生の春を惜しむ心。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・宮河歌合(小学館「中世和歌集」)


*************** 名歌鑑賞 **************

稲荷山 すぎの青葉を かざしつつ 帰るはしるき
今日のもろひと 
                 六条知家

(いなりやま すぎのあおばを かざしつつ かえるは
 しるき きょうのもろひと)

意味・・今日出会う多くの人々が稲荷山からの帰りと
    はっきり分ります。みんな、杉の青葉を頭髪
    に挿して通り過ぎて行くので。

    「いなり」は「いねなり」で本来は稲を生ら
    せる豊作の神です。杉は枝葉が稲に似ている
    から稲の代用にされる。伏見の稲荷大社では
    杉の青葉を頭髪に挿して、来る秋の豊作を願
    い、山頂に鎮座する神蹟に参拝する風習が盛
    んであった。

 注・・稲荷山=京都市伏見区と山科区にまたがる山。
     ふもとに伏見稲荷がある。
    かざし=挿頭。草木の花や枝などを髪や冠な
     どに挿すこと。
    しるき=著き。はっきり分る、明白である。

作者・・六条知家=ろくじょうともいえ。1182~1258。
    藤原定家に指導を受けた歌人。

出典・・新撰和歌六帖(松本章男著「京都百人一首」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


にんげんの 靴がつけたる ホームの傷 光さすとき
いちめんに見ゆ
                   吉野昌夫

(にんげんの くつがつけたる ホームのきず ひかり
 さすとき いちめんにみゆ)

意味・・曇り日の下、作者はホームで電車の来るのを
    待っている。
    折から雲が切れて、明るい陽光が射した。瞬
    間、ホームの堅い石面に、無数の傷のあるの
    が作者の眼に入った。それは「にんげんの靴
    がつけた」傷だ。喜びを秘めた者も、苦悩を
    負った者も、みな靴を履いてこのホームで乗
    り降りをする。そういう人々の靴がつけた傷
    だ。

作者・・吉野昌夫=よしのまさお。1922~2012。東
    大卒。木俣修に師事。

出典・・東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」。


*************** 名歌鑑賞 ***************


古への 人の踏みけむ 古道は 荒れにけるかも
行く人なしに
               良寛 

(いにしえの ひとのふみけん ふるみちは あれに
 けるかも ゆくひとなしに)

意味・・昔のすぐれた人が踏み固めたという古い道は
    通る人もなく荒れてしまった事だ。そのよう
    に古くからの正しい教えは、踏み行う人もな
    く、すっかりすたれてしまったものだ。

    現在では「節約」は死語になり、物を大切にす
    るより「消費」が大切な時代になった。

 注・・古道=宗教、学問、芸術、道徳全般の古くか
     らの教え。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・良寛全歌集。


*************** 名歌鑑賞 ***************


蟻ひとつ わが足もとに 歩みきて ゆくへを索め
またゆきにけり          
                 福田栄一

(ありひとつ わがあしもとに あゆみきて ゆくえを
 もとめ またゆきにけり)

意味・・ちいさな蟻が一匹自分の足元に歩んで来て、
    どこに行ったらよいか、行方をさぐっていた
    が、またどこともなく去って行った。

    作者が中央公論の編集次長だった昭和19年
    に詠んだ歌です。詞書は「中央公論社の存在
    が国家意思遂行の為に支障ありとの理由によ
    って解散させられた」となっています。彷徨
    (さまよ)っている自分の姿を蟻に比喩してい
    ます。

 注・・索(もと)め=さがしまわる。

作者・・福田栄一=ふくだえいいち。1909~1975。
    東洋大卒。中央公論の編集委員。

出典・・歌集「この花に及かず」(武川忠一編「現代
    短歌」)


**************** 名歌鑑賞 ****************


放射能 見えないものに 襲われて 寒気感じる
節電の夏
                 安田大祐

(ほうしゃのう みえないものに おそわれて さむけ
 かんじる せつでんのなつ)

意味・・放射能は白血病などになる猛毒、危険なもので
    ある。だが目にも見えないし、匂いもない。い
    つ放射能に接するか分らないと思うと、寒気が
    する。節電で冷房を弱めているこの暑い夏に。

    平成23年3月11日に発生した東日本大地震の時
    に起きた原発事故の恐ろしさを痛感して詠んだ
    歌です。

作者・・安田大祐=やすだだいすけ。2011年当時大阪・
    清水谷高校2年生。

出典・・同志社女子大学編「31音青春のこころ・2012」。


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つはものの 手に手に折りて 敷き寝せる 青葉の上に
月照りわたる
                     森鴎外

(つわものの てにてにおりて しきねせる あおばの
 うえに つきてりわたる)

意味・・兵たちが、手に手に木の小枝を折って、それを
    敷いて寝ている。その青葉の上に月が冴(さ)え
    て照っている。

    鴎外は日露戦争に、軍医として出征している。
    陣中、地べたに青葉のまま小枝を敷いて睡眠を
    とるのである。このゴロ寝する、荒涼とした戦
    場の哀れさを詠んでいます。

作者・・森鴎外=もりおうがい。1862~1922。東大医
    学部卒。医者・小説家。

出典・・詩歌集「歌日記」(武川忠一篇「現代短歌鑑賞
    辞典」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


勝頼と 名乗る武田の 甲斐もなく いくさに負けて
信濃なければ 
                 織田信長

(かつよりと なのるたけだの かいもなく いくさに
 まけて しなのなければ)

意味・・「勝」が付く名の武田勝頼よ、戦いをした甲斐
    もなく負けて、領地だった甲斐も信濃も無くし
    て、かっこう悪いことだよ。

    1582年天下取りを目指して甲州征伐を開始して、
    信長は武田家を滅ぼし、甲斐・上野・信濃の領土
    を手にした。この時詠んだ狂歌です。自分の強さ
    を示し他の武将の威圧を目指したのだが、同じ年
    に明知光秀の謀反にあい、京都本能寺で自刃した。

 注・・勝頼=武田信玄の子。
    甲斐もなく=戦ったかいもなくと、領国の甲斐国
     もなく、を掛けている。
    信濃なければ=「品のなければ・かっこ悪い」と
     信濃国もない、を掛けている。

作者・・織田信長=1534~1582。

出典・・甫庵著「信長記」(綿抜豊昭著「戦国武将の歌」)

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