名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2018年09月


*************** 名歌鑑賞 ****************


あはれ知れ と我をすすむる 夜半なれや 松のあらしも
虫のなく音も       
                    明恵上人

(あわれしれ とわれをすすむる よわなれや まつの
 あらしも むしのなくねも)

意味・・松に吹く激しい風の音も虫の悲しげな鳴き声も、
    みな哀れを知れと私に勧める夜更けなのだなあ。
    しみじみと哀れを感じるよ。

    自分の実力が足りない事を自覚してくやし涙が
    出て来ることも、「哀れ」の感情のひとつです。

 注・・あはれ=悲しさ、寂しさ、気の毒だ。
    すすむ=勧む。促す。
 
作者・・明恵上人=みょうえしょうにん。1173~1232。
    華厳密教の始祖。
 
出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」。
 


*************** 名歌鑑賞 ***************


秋吹くは いかなる色の 風なれば 身にしむばかり
あはれなるらん
                 和泉式部

(あきふくは いかなるいろの かぜなれば みにしむ
 ばかり あわれなるらん)

意味・・秋はいろいろの色が目に沁みるのだが、秋に吹
    く風も、吹くといっそう秋の彩(いろどり)を添
     えて、身に沁るほど風情を感じさせられる。

    風に乗って飛んでいる赤トンボの風情。頭の垂
    れている黄色の稲にそよぐ風。風の誘いでなび
    く白い薄。青い空に白い雲を漂わす風。黄色い
    蜜柑畑から香を乗せて来る風。風に吹かれて落
    下する紅葉。風で白い月を隠す薄い雲。黄色の
    柿を食べれば、法隆寺の鐘の音を運ぶ風・・。
    秋に吹く風はどのような色でもしみじみと風情
    が感じられる。

 注・・なれば=だから、ゆえに。
    あはれ=しみじみと心を打つさま。感慨深い。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。976頃~1046頃。

出典・・詞花和歌集・109。


*************** 名歌鑑賞 ****************


嘆けとて いまはた目白 僧園の 夕べの鐘も
鳴りいでにけむ    
                北原白秋

(なげけとて いまはためじろ そうえんの ゆうべの
 かねも なりいでにけん)

意味・・目白の教会の夕方の鐘が鳴り出したが、
    今この鐘もまた、私に嘆きなさいと言っ
    て鳴り出したのであろうか。そのように
    聞こえることだ。

    詩壇の第一人者の地位を確保して、何の
    嘆きもなかったはすであるが、人妻俊子
    との恋愛が始まり、苦渋の多いものとな
    り、後に俊子の夫から姦通罪で告訴され
    た。そして、名声は瞬時に失墜した。

    参考です。
    目白の学習院の脇の歩道にある白秋の詩
    「葉っぱっぱ」です。

    杏(あんず)の葉っぱは  杏の香(か)がする
    蜜柑(みかん)の葉っぱは  蜜柑の香がする
    それでも葉っぱは  葉っぱっぱ

    煙草(たばこ)の葉っぱも  葉っぱっぱ
    山椒(さんしょう)の葉っぱも  葉っぱっぱ
    それでも葉っぱは  葉っぱっぱ

    いばらの葉っぱにゃ  お針がついてる
    花の無い葉っぱは  花のよに咲いてる
    それでも葉っぱは  葉っぱっぱ

    緑の葉っぱも  葉っぱっぱ
    真紅(まっか)な葉っぱも  葉っぱっぱ
    それでも葉っぱは  葉っぱっぱ 

 注・・はた=また。
    目白=東京都豊島区の目白。
    僧園=教会のこと。寺院。

作者・・北原白秋=1885~1942。城ヶ島の雨、
    ペチカ、からたちの花、等を書いた詩人。

出典・・歌集「桐の花」。


*************** 名歌鑑賞 ***************


母の齢 はるかにこえて 結う髪や 流離に向かう
朝のごときか
                 馬場あき子
 
(ははのよわい はるかにこえて ゆうかみや りゅうりに
 むかう あさのごときか)

意味・・亡き母をふと思いなが髪を結う。すでにはるかに
    母の齢を越えてしまった。それを思うと、今朝は、
    こうして髪を結い、よるべない漂泊に出る朝のよ
    うに思われる。
           
    短い生涯であった母に比べて、いつしか自分は母
    の齢をはるかに越えた。すでに母と別れた日は遠
    い昔となった。考えて見ると、母の短い生涯にも
    安息は無かっただろうが、自分にもまだ安心出来
    る安らかな生はない。
 
    「流離にむかう朝のごときか」には、親などに頼
    らず寂しいが、全てから離れて孤りになりながら、
    なおかつ一人の生を歩むといった思いがあります。
    流離については島崎藤村の詩「椰子の実」を参照
    して下さい。
    「結う髪」に焦点を集め、瞑想の一つの世界が始
    まるという事を自然に引き出している。

 注・・流離=流浪、故郷を離れてあちこちをさまよい歩
     くこと。親や人に頼らずに迷いながらも歩いて
     行く。
    よるべ=よって頼る所、また頼る人。
    安息=安らかに休むこと。

作者・・馬場あき子=ばばあきこ。1928~。昭和女子大卒。
    日本芸術院会員。「かりん」創刊。
 
出典・・歌集「飛花抄)」(栗本京子著「短歌を楽しむ」)
 
島崎藤村の詩「椰子の実」、参考です。
 
1 名も知らぬ遠き島より
  流れ寄る椰子の実一つ
  故郷(ふるさと)の岸を離れて
  汝(なれ)はそも波に幾月
 
2 旧(もと)の木は生(お)いや茂れる
  枝はなお影をやなせる
  われもまた渚を枕
  孤身(ひとりみ)の浮寝(うきね)の旅ぞ
 
3 実をとりて胸にあつれば
  新(あらた)なり流離の憂い
  海の日の沈むを見れば
  激(たぎ)り落つ異郷の涙
 
  思いやる八重の汐々(しおじお)
  いずれの日にか国に帰らん
 


*************** 名歌鑑賞 ****************

あさがほを なにはかなしと 思ひけむ 人をも花は
いかが見るらむ
                   藤原道信
              
(あさがおを なにはかなしと おもいけん ひとをも
 はなは いかがみるらん)

詞書・・女院にて槿を見給ひて。

意味・・朝顔の花を人はどうしてはかないものだと思っ
    ていたのだろうか。人間こそはかないものでは
    ないか、花はかえって人間をどのように思って
    見ていることだろうか。
 
    参考です。
    松樹千年終にこれ朽ちぬ 槿花一日おのづから
    栄をなす  (意味は下記参照)

 注・・槿=むくげ、あさがお。アオイ科の3m程の落葉
     潅木。花は朝開いて夕にはしぼんでしまう。
    かなし=哀し。せつない、気の毒だ。

作者・・藤原道信=ふじわらのみちのぶ。972~994。23
    歳。従四位上・左近中将。中古三十六歌仙の一人。
 
出典・・和漢朗詠集・294。

    参考です。
    松樹千年終にこれ朽ちぬ 槿花一日おのづから
    栄をなす    
                白楽天

    (しょうじゅせんねん ついにこれくちぬ 
     きんかいつじつ おのずから えいをなす)

意味・・松は千年の齢を保つというけれど、ついには
    朽ちてはてる時がある。あさがおの花は悲し
    花だとはいうけれども、自然彼らなりに一日
    の栄を楽しんでいる。

    他をうらやまず己の分に安んずべきことをい
    う。


*************** 名歌鑑賞 ****************


すみだ川 舟呼ぶ声も うづもれて 浮霧深し 
秋の夕浪
                 清水浜臣
            
(すみだがわ ふねよぶこえも うずもれて うきぎり
 ふかし あきのゆうなみ)

意味・・舟を呼ぶその声もその中に埋もれてしまうほどに、
    川波の上に一面にかかる霧が深い、隅田川の秋の
    夕暮れの景色は。

 注・・浮霧=空中に浮いているように見える霧。

作者・・清水浜臣=しみずはまおみ。1776~1824。江戸
    の医家に生まれ、医を継ぐ。
 
出典・・泊洦舎集・(さざなみのやしゅう)(福武書店「名歌
    名句鑑賞辞典)


*************** 名歌鑑賞 ****************


逢坂の 関の清水に 影見えて 今やひくらむ
望月の駒  
               紀貫之
                 
(おうさかの せきのしみずに かげみえて いまや
 ひくらん もちづきのこま)

意味・・逢坂の関のあたりの泉の水に秋の明月の光が
    射していて、その澄んだ水に姿を映しながら
    今引かれていることだろうか。あの望月の牧
    の馬よ。

    駒迎えの屏風の絵に添えられた歌です。駒迎
    えは陰暦の8月23日に行われた。

 注・・逢坂の関=京から大津へ出る逢坂越えにある
     関所。
    望月の駒=長野県佐久郡にある放牧場の馬。
     ここの貢馬の駒迎えは8月23日。
    駒迎え=東国から朝廷への貢馬を逢坂の関で
     出迎える年中行事。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。866~945。「古今
    和歌集」の中心的な撰者。「土佐日記」の作者。
 
出典・・拾遺和歌集・170。


*************** 名歌鑑賞 ****************


贅沢に なりたる子よと 寂しみて 皿に残しし
もの夫と食ふ
                                        松井阿似子
 
(ぜいたくに なりたるこよと さみしみて さらに
 のこしし ものつまとくらう)

意味・・贅沢になった我が子。好きな物だけは食べて
    嫌いな物は食べ残している。食べ残したおか
    ずは捨てるに捨てられないので、夫と一緒に
    食べている。なんだか寂しくなってくる。

    アメリカの社会学者がかって、日本人を評し
    て「胃袋いっぱい」「魂からっぽ」と言った
    そうです。表記の歌を評した感じです。「米」
    という言葉は、人手を実に八十八回も経て、
    初めて食膳にのるということからその文字が
    作られたと、昔の子供は教えられた。そして、
    一粒の米をこぼしても叱られ、副食が気に入
    らないという顔をしただけで、「いやなら食
    うな」と絶食を強いられて不思議でない時代
    の中を成長していった。しかし、現代っ子は
    あれこれ好きな物だけ食べ散らかし、少しで
    も空腹になれば、冷蔵庫の扉を開け、何かを
    引っ張りだせばすむのである。そうした我が
    子を、自らの手で育ててしまった親は、今更
    のように、「寂しみて」と言うしか仕方がな
    い思いをせずにいられないのだ。それは、自
    分自身の手で育てながら、自分達と余りにも
    価値観の違った者として育ってしまった我が
    子への失望であり、どうにも埋めることの出
    来ない人間的違和感への「寂しみ」を詠んで
    いる。

作者・・松井阿似子=伝未詳。

出典・・昭和万葉集(小野沢実著「昭和は愛し・昭和
    万葉集秀歌鑑賞」)


*************** 名歌鑑賞 ***************


咲きにけり くちなし色の 女郎花 言わねどしるし 
秋のけしきは
                 源縁法師
               
(さきにけり くちなしいろの おみなえし いわねど
 しるし あきのけしきは)

意味・・咲いたことだ。くちなし色の女郎花の花が。口に
    出して言わないけれど、はっきりしてきたものだ。
    秋の気配が。

 注・・くちなし色=赤味がかった濃い黄色。「口無し」
     の意を掛ける。
    しるし=知るし。わかる、感じる。

作者・・源縁法師=げんえんほうし。生没年未詳。比叡山
    の僧。
 
出典・・金葉和歌集・169。
 


*************** 名歌鑑賞 ****************


しののめの 空霧わたり 何時しかに 秋の景色に
世はなりにけり
                  紫式部
              
(しののめの そらきりわたり いつしかに あきの
 けしきに よはなりにけり)

意味・・夏だから暑い暑いと思って過ごしていたある日、
    ふと朝早く起きて外に出てみると、ひんやりと
    秋の気配が感じられる。夜が明けきれば、日差
    しが夏の暑気をよみがえらせる。しかし、朝霧
    が立ち込めているこのひと時、思いがけない秋
    がそこに来ていた。
 
    早い朝の静寂さが余情として残ります。
 
    この歌は寂寥感を持って捉えられてもいます。
    紫式部は1000年頃、平安時代の中期の王朝の
    藤原道長の中宮彰子に仕えた女房(女官)です。
    表記の歌が入っている玉葉和歌集は1300年頃
    の鎌倉時代に撰集されています。王朝の時代か
    ら武士の社会になって、王朝時代を懐かしむ
    「玉葉」の撰集者である京極為兼は王朝時代
    の世が秋の景色になったことの寂しい思いを
    この歌に見い出しています。
 
 注・・しののめ=東雲。明け方のほのかに空が白んで
     くる頃。

作者・・紫式部=むらさきしきぶ。978~1016。「源氏
    物語」「紫式部日記」。
 
出典・・玉葉和歌集。

このページのトップヘ