名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年01月


*************** 名歌鑑賞 ****************


むば玉の 今宵ばかりぞ あけ衣 明けなば人を
よそにこそ見め     
                藤原兼輔

(むばたまの こよいばかりぞ あけごろも あけなば
 ひとを よそにこそみめ)

意味・・今宵だけは緋(あけ)の衣(五位)になったあなた
    と共に酒も飲めますが、一夜明ければよその人
    としてあなたを見ることになるでしょう。

    お祝いの席で詠んだ歌です。
    出世した同僚に対して、明日からは上司として
    のお付き合いになります、という気持ちを詠ん
    でいます。

 注・・むば玉の=ぬばたまの。黒、闇、宵などの枕詞。
    あけ衣=緋衣。緋色の制服。平安時代は五位の
     官人が着た。

作者・・藤原兼輔=ふじわらのかねすけ。877~933。
    紫式部の曽祖父。10世紀の歌壇の中心的存在。
 
出典・・後撰和歌集・1116。


*************** 名歌鑑賞 ****************


むかし いじられたがしうと きついみそ
                     柳水
(昔 弄られたが姑 きつい味噌)

意味・・「私が嫁に来た時には、姑(しゆうとめ)は
    しっかり者で随分泣かされたが、今思って
    も、よく辛抱したと思う」という自慢話を
    始めている。こんなところへ嫁に来て、大
    変だと、行く先を考えこんでいる花嫁。順
    送りだから、今度はおまえの番だといわぬ
    ばかりに聞こえるが、そんな苦労はさせな
    いというつもりかも知れない。

 注・・いじられた=弄られた。弄(もてあそ)ぶ。
     意地悪された。
    きつい=はなはだしい。
    みそ=味噌。「味噌を上げる」の略で自慢
     をする、手前味噌の意。

作者・・柳水=伝未詳。江戸時代宝暦期(1760年頃)
    の川柳作家。

出典・・川柳評万句合(小学館「日本古典文学全集・
    川柳」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


都だに 消えあへず降る 白雪に 高野の奥を
思ひこそやれ          
                                     詠み人知らず

(みやこだに きえあえずふる しらゆきに たかのの
 おくを おもいこそやれ)

意味・・都でさえ、十分消えないうちに白雪が
    降っているので、あなたの住む高野の
    奥はどんなにきびしい毎日かと思いや
    っています。

    都から高野山に移り住んだ人に贈った
    歌です。

 注・・高野=和歌山県高野山。

出典・・風葉和歌集・430。 


風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 
君が心か   
                壬生忠岑

(かぜふけば みねにかかるしらくもの たえて
 つれなき きみがこころか)


意味・・風が吹くと峰から離れて行く白雲が吹き
    ちぎられて絶えてしまう、その「絶えて」
    のように、あなたとの関係がすっかり途
    絶えてしまった。なんとつれないあなた
    の心であろうか。

    切ない恋を詠んだもので、通じない我が
    思いを嘆き、自分に無関心な相手の女性
    を悔しく思う気持を詠んでいます。

 注・・たえて=「絶える」と「たえて(まったく
     の意)」を掛ける。
    つれなき=無情だ。
 
作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。
    古今集の撰者の一人。
 
出典・・古今和歌集・601。


*************** 名歌鑑賞 ****************


玉守に 玉は授けて かつがつも 枕と我は
いざ二人寝む    
                坂上郎女

(たまもりに たまはさずけて かつがつも まくらと
 われは いざふたりねん)

意味・・掌中の珠(たま)といつくしんだ我が娘を、
    玉守(婿)に渡して母親の私はほっと安堵
    いたしました。娘のいなくなった部屋で、
    どれどれ今夜から枕を相手に寝ましょう。

    這えば立て、立てば歩めとただいちずに
    我が子の健やかな成長を念じて我が身を
    忘れる事幾年。昨今は匂うばかりに美し
    く成長し、話し相手とし頼りになった頃、
    手放して他人に委ねばならぬ母親の気持
    ちです。娘の門出を祝う母。母親として
    大任を果たし肩の荷を降ろした喜びと同
    時に、娘の去ったあとの部屋の広さを
    しみじみと味わいつつ、枕を抱いて寝る
    母の寂しさ。複雑な心情を詠んだ歌です。

 注・・玉守=娘を玉に、相手の男をその番人に
     譬えたもの。
    かつがつ=不十分であるがまあまあの意、
     どうやら。

作者・・坂上郎女=さかのうえのいらつめ。生没
    年未詳。大伴旅人は兄、大伴家持は甥に
    あたる。

出典・・万葉集・652。


*************** 名歌鑑賞 ****************


人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方
仇は敵なり
             武田信玄

(ひとはしろ ひとはいしがき ひとはほり なさけは
 みかた あだはてきなり)

意味・・人そのものが城である。人がいればこそ、
    城の頑丈な砦の石垣の働きもするし、敵
    から守る堀にもなって自陣を守り栄えさ
    せる。だから、人には温情をかけること
    が大事で、人を恨んだり罰したりするの
    は間違いなのだ。

作者・・武田信玄=たけだしんげん。1521~1573。
    戦国の武将。

 


*************** 名歌鑑賞 ****************


夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 
雪ぞ降りたる        
              詠み人知らず

(ゆうされば ころもてさむし たかまつの やまの
 きごとに ゆきぞふりたる)

意味・・夕方になると、着物の袖がうすら寒い。
    ふと見上げると、あれあのように高松山
    の木という木全部に雪が降り積もってい
    る。ああ寒いはずだ。

 注・・衣手=着物の袖。
    高松の山=奈良市の東部にある山。

出典・・万葉集・2319。


*************** 名歌鑑賞 ****************


わが庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひ来ませ 
杉立る門
                 詠み人知らず

(わがいおは みわのやまもと こいしくは とぶらい
 きませ すぎたてるかど)

意味・・私の粗末な家は三輪山の麓にあります。私が恋しく
    なったら、どうぞ訪ねて来て下さい。門の脇にある
    杉を目印として。

    さびれる都をいち早く出て、世のわずらわしさから
    開放され、物心過不足なく過ごしている人が、旧知
    に案内がてら詠んだ歌です。

 注・・庵(いお)=粗末な家。自分の家を謙遜していう。
    三輪=奈良県桜井市三輪。
 
出典・・古今和歌集・982。



*************** 名歌鑑賞 ****************


駒とめて 袖うちはらふ 陰もなし 佐野のわたりの
雪の夕暮れ       
                 藤原定家

(こまとめて そでうちはらう かげもなし さのの
  わたりの ゆきのゆうぐれ)

意味・・馬を止めて、雪の降りかかった袖を払う物陰も
    ない。佐野のあたりの雪の夕暮れは。
    
    馬を配し、時を夕暮れとし、一帯を白一色にして
    降る雪の中を、旅人が悩んでいる情景を詠んでい
    ます。

    本歌は、
   「苦しくも降りくる雨か三輪が崎狭野の渡りに家
    もあらなくに」です。  (意味は下記参照)

 注・・佐野=和歌山県新宮市内。
    わたり=辺り、あたり。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
   「新古今和歌集」の撰者の一人。

出典・・新古今和歌集・671。

本歌です。

苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに
家もあらなくに         
                 長忌寸意吉麻呂

(くるしくも ふりくるあめか みわのさき さのの
 わたりに いえもあらなくに)

意味・・困ったことに降ってくる雨だ。三輪の崎の狭野
    の渡し場には雨宿りする家もないのに。

    旅の途中で雨に降られて困った気持を詠んでい
    ます。

注・・三輪の崎=和歌山県新宮市の三輪崎。
   狭野=三輪崎の南の地。
   渡り=川を横切って渡るところ。 

作者・・長忌寸意吉麻呂=ながのいみきおきまろ。生没
    年未詳。700年前後の人。

出典・万葉集・265。


*************** 名歌鑑賞 ****************


逢坂の 関のあなたも まだ見ねば あづまのことも
しられざりけり
                 大江匡衡

(おうさかの せきのあなたも まだみねば あづまの
 ことも しられざりけり)

意味・・逢坂の関もまだ越えていない私は、それより
    向こうの東(あずま)のこと(琴)も何もしらない
    若者です。
    まだどなたとも男女の契りを結んでいません
    ので、吾(あ)が妻という者もおりません。

    鎌倉時代の説話集「十訓抄・じっきんしょう」
    に出てくる歌です。大江匡房の若き日の話です。
    彼は博学で知られる人であり、当時蔵人(くらう
    ど)の役にあった。痩せて、ひょろりと背が高く、
    いかり肩であった彼が、宮中をよろよろして歩く
    のを女房(女官)たちはからかってやろうと思った。

    御簾(みす)のきはに呼び寄せて「これ弾き給へ」
    とて和琴を押し出しければ

    御簾のすぐそびまで呼び寄せて「これをお弾きく
    ださい」と和琴を差し出した。和琴とは、日本古
    来の六弦の琴で、あづま琴とも言う。匡衡は打て
    ば響くように、上記の歌で答えた。からかったの
    が若い女房だったので、少し色恋の匂いもこめら
    れており、女房たちは返歌する事も出来なかった。
    この「十訓抄」は「人倫を侮(あなど)らざる事」・
    人間を見くびるな、という教えとなっています。
    人を風貌や衣服などの外見で軽々しく判断し、決
    してみくびってはならないという戒めです。

 注・・逢坂の関=滋賀県大津市と京都府との境界に
     あった関。
    あづまのこと=「東のこと」「あづま琴」「吾妻
     のこと」を掛ける。

作者・・大江匡衡=おおえのまさひら。952~1012。正四
    位式部大輔。中古三十六歌仙。

出典・・十訓抄。

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