名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年01月


*************** 名歌鑑賞 ****************


人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方
仇は敵なり
             武田信玄

(ひとはしろ ひとはいしがき ひとはほり なさけは
 みかた あだはてきなり)

意味・・人そのものが城である。人がいればこそ、
    城の頑丈な砦の石垣の働きもするし、敵
    から守る堀にもなって自陣を守り栄えさ
    せる。だから、人には温情をかけること
    が大事で、人を恨んだり罰したりするの
    は間違いなのだ。

作者・・武田信玄=たけだしんげん。1521~1573。
    戦国の武将。

 


*************** 名歌鑑賞 ****************


夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 
雪ぞ降りたる        
              詠み人知らず

(ゆうされば ころもてさむし たかまつの やまの
 きごとに ゆきぞふりたる)

意味・・夕方になると、着物の袖がうすら寒い。
    ふと見上げると、あれあのように高松山
    の木という木全部に雪が降り積もってい
    る。ああ寒いはずだ。

 注・・衣手=着物の袖。
    高松の山=奈良市の東部にある山。

出典・・万葉集・2319。


*************** 名歌鑑賞 ****************


わが庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひ来ませ 
杉立る門
                 詠み人知らず

(わがいおは みわのやまもと こいしくは とぶらい
 きませ すぎたてるかど)

意味・・私の粗末な家は三輪山の麓にあります。私が恋しく
    なったら、どうぞ訪ねて来て下さい。門の脇にある
    杉を目印として。

    さびれる都をいち早く出て、世のわずらわしさから
    開放され、物心過不足なく過ごしている人が、旧知
    に案内がてら詠んだ歌です。

 注・・庵(いお)=粗末な家。自分の家を謙遜していう。
    三輪=奈良県桜井市三輪。
 
出典・・古今和歌集・982。



*************** 名歌鑑賞 ****************


駒とめて 袖うちはらふ 陰もなし 佐野のわたりの
雪の夕暮れ       
                 藤原定家

(こまとめて そでうちはらう かげもなし さのの
  わたりの ゆきのゆうぐれ)

意味・・馬を止めて、雪の降りかかった袖を払う物陰も
    ない。佐野のあたりの雪の夕暮れは。
    
    馬を配し、時を夕暮れとし、一帯を白一色にして
    降る雪の中を、旅人が悩んでいる情景を詠んでい
    ます。

    本歌は、
   「苦しくも降りくる雨か三輪が崎狭野の渡りに家
    もあらなくに」です。  (意味は下記参照)

 注・・佐野=和歌山県新宮市内。
    わたり=辺り、あたり。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
   「新古今和歌集」の撰者の一人。

出典・・新古今和歌集・671。

本歌です。

苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに
家もあらなくに         
                 長忌寸意吉麻呂

(くるしくも ふりくるあめか みわのさき さのの
 わたりに いえもあらなくに)

意味・・困ったことに降ってくる雨だ。三輪の崎の狭野
    の渡し場には雨宿りする家もないのに。

    旅の途中で雨に降られて困った気持を詠んでい
    ます。

注・・三輪の崎=和歌山県新宮市の三輪崎。
   狭野=三輪崎の南の地。
   渡り=川を横切って渡るところ。 

作者・・長忌寸意吉麻呂=ながのいみきおきまろ。生没
    年未詳。700年前後の人。

出典・万葉集・265。


*************** 名歌鑑賞 ****************


逢坂の 関のあなたも まだ見ねば あづまのことも
しられざりけり
                 大江匡衡

(おうさかの せきのあなたも まだみねば あづまの
 ことも しられざりけり)

意味・・逢坂の関もまだ越えていない私は、それより
    向こうの東(あずま)のこと(琴)も何もしらない
    若者です。
    まだどなたとも男女の契りを結んでいません
    ので、吾(あ)が妻という者もおりません。

    鎌倉時代の説話集「十訓抄・じっきんしょう」
    に出てくる歌です。大江匡房の若き日の話です。
    彼は博学で知られる人であり、当時蔵人(くらう
    ど)の役にあった。痩せて、ひょろりと背が高く、
    いかり肩であった彼が、宮中をよろよろして歩く
    のを女房(女官)たちはからかってやろうと思った。

    御簾(みす)のきはに呼び寄せて「これ弾き給へ」
    とて和琴を押し出しければ

    御簾のすぐそびまで呼び寄せて「これをお弾きく
    ださい」と和琴を差し出した。和琴とは、日本古
    来の六弦の琴で、あづま琴とも言う。匡衡は打て
    ば響くように、上記の歌で答えた。からかったの
    が若い女房だったので、少し色恋の匂いもこめら
    れており、女房たちは返歌する事も出来なかった。
    この「十訓抄」は「人倫を侮(あなど)らざる事」・
    人間を見くびるな、という教えとなっています。
    人を風貌や衣服などの外見で軽々しく判断し、決
    してみくびってはならないという戒めです。

 注・・逢坂の関=滋賀県大津市と京都府との境界に
     あった関。
    あづまのこと=「東のこと」「あづま琴」「吾妻
     のこと」を掛ける。

作者・・大江匡衡=おおえのまさひら。952~1012。正四
    位式部大輔。中古三十六歌仙。

出典・・十訓抄。

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