名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年02月


*************** 名歌鑑賞 ****************


あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに
なりぬべきかな      
                  藤原伊尹

(あわれとも いうべきひとは おもおえで みの
 いたづらに なりぬべきかな)

意味・・私のことをかわいそうだと言ってくれそうな人は
    誰も思い浮かんでこない。そんな孤独な私はこの
    まま死んでしまいそうです。

    失恋の痛手に身も心も弱り果て、自分が死んだと
    しても、かわいそうだと悲しんでくれる人は誰も
    いない。憐憫(れんびん)の情だけでもかけてほし
    いと思うけれども、それもかなわず、自分は独り
    恋こがれてむなしく死んでしまうのだろう、と悲
    嘆した歌です。

 注・・おもほえで=「思ほえ」は思われる、思い浮かぶ。
    「で」は打ち消しの助詞、思い浮かばないで。
    身のいたづらに=「いたづら」はむだだの意、身
     をむだにすること、すなわち死ぬことをいう。

作者・・藤原伊尹=ふじわらのこれまさ。924~972。
    後撰和歌集の撰者の一人。
    
出典・・拾遺和歌集・950、百人一首・45。


*************** 名歌鑑賞 ****************


鶯の 谷よりいづる 声なくば 春来ることを
誰か知らまし       
               大江千里

(うぐいすの たによりいずる こえなくば はるくる
 ことを たれかしらまし)

意味・・長い冬から開放され、谷間を出て梢にさえずる
    鶯の声を聞かないで、誰が春の来たことを知る
    ことが出来ようか。

作者・・大江千里=おおえのちさと。9世紀後半から10
    世紀前半に活躍し歌人。在原業平の甥。

出典・・古今和歌集・14。



*************** 名歌鑑賞 ****************

梅散るや難波の夜の道具市
                  建部巣兆

(うめちるや なにわのよるの どうぐいち)

意味・・かって栄えた人々が生活に窮して手放した
    由緒ある家具・小道具などが、夜の灯を浴
    びて売られている。美しい道具類が、灯火
    にあってますます古めかしくも上品なもの
    に見える。梅の花がはらはらと、売る人、
    買う人、売られる道具の上に散りかかり、
   「商業」というものが、ふと美しく、悲しく
    寂しいものに思われてくる。
 
    華やかな大阪商業都市の道具市の風景です。
    梅の花の散る象徴は、伝統ある家柄の人達
    の没落かも知れない。
       
 注・・難波=大阪。古い歴史の町でり、活況を呈
     する商業都市でもある。
    道具市=古道具をせり売りする市。夜間営
        業が多い。
     梅散るや=仁徳天皇を梅の花によそえて王
             仁 (わに)が詠んだ歌「難波津に咲くやこ
    の花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」
    (古今集・仮名序)は、難波に都を置いた
    といわれる仁徳天皇の賛歌である。「今は
    春べと咲いた」梅も、巣兆の句では「散っ
    て」しまう。それは伝統ある家柄の人達の
    没落を象徴しているのかも知れない。
    (難波に梅の花が咲いています。今こそ春
    が来たと梅の花が咲いています)
    冬ごもり=春の枕詞。
作者・・建部巣兆=たけべそうちょう。1761~18
     14。本名山本英親。加舎白雄(かやしらお)
     門。蕪村風の絵も描く。

出典・・句集「曾波河里・そばかり」(尾形仂篇「俳
    句の解釈と鑑賞辞典」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


世の中は 夢か現か 現とも 夢とも知らず 
ありてなければ               
              詠み人知らず 

(よのなかは ゆめかうつつか うつつとも ゆめとも
 しらず ありてなければ)

意味・・この世の中は、いったい夢であろうか、それと
    も現実であろうか。世の中は現実であるか、夢
    であるか私には分らない。どうせあれどもなき
    が如くなのだから。

    過去の苦しい思いは悪夢というように、過去の
    事はもう現在は実在しない、存在していたが今
    は夢という事もできる。
    
 注・・ありてなければ=現実に存在しながら、はかな
     く消え去るのでいっている。常住不変ではな
     いこと。諸行無常。

出典・・古今和歌集・942。


*************** 名歌鑑賞 ****************


梅が香に 昔をとへば 春の月 こたへぬ影ぞ 
袖に映れる
               藤原家隆

(うめがかに むかしをとえば はるのつき こたえぬかげぞ
 そでにうつれる)

意味・・梅の香りに誘われて懐かしさのあまり昔のことを
    春の月に尋ねると、答えない月の光が涙に濡れた
    私の袖の上に映った。
 
    伊勢物語四段が背景となっています。
    愛情が深くなっていた女性がいたが、突然身を隠
    した(知らせずに結婚した)。翌年探し訪ねてみる
    と、落ちぶれた姿になっていた。還らぬ昔を思う
    と懐旧の涙が出た。

 注・・梅が香に=梅の花盛りの頃を思い出して、以前付
     き合っていた女性が恋しくなったので、の意。
    影=月の光。
    袖=懐旧の涙で濡れた袖。

作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
    非参議従二位。「新古今集」撰者の一人。

出典・・新古今和歌集・45。 


*************** 名歌鑑賞 ****************

難波人 芦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ
常めづらしき            
                  詠人知らず

(なにわびと あしびたくやの すしてあれど おのが
 つまこそ とこめずらしき)

意味・・難波の人が芦を燃やすので家の中が煤けて
    いるように、私の家内(うちのばあさん)も
    汚(きたな)く年老いたが、永年つれそった
    私にとっては、いつまでも見飽きないかけ
    がえのない人だよ。

 注・・芦火=燃料として芦を焚くので家の中は
     煤ける。
    常(とこ)=不変、永遠。
    めづらしき=賞美するにふさわしい。 

出典・・万葉集・2651。


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はかなしな 窓のくれ竹 うつ声に 夜はのあらしを
さとるばかりは
                 心敬

(はかなしな まどのくれたけ うつこえに よわの
 あらしを さとるばかりは)

意味・・思えばはかないことだ。窓の呉竹を打つ音に
    せいぜい夜更けの嵐を知るくらいで、誠の道
    を悟り得ないとは。

    竹の打つ音を聞いて、香厳(きょうげん)禅師
    は撃竹の悟りを開いたのだが、自分はただ、
    強い風が吹いているだけしか感じ得ず、寂し
    い思いだ、という気持です。
  
    香厳禅師が掃除をしていて、掃いた時に石が
    竹に当たって音がした。これを聴いて悟りを
    開いたという故事を念頭に詠んでいます。

    香厳禅師がどんな事を悟ったのかを凡人には
    分るはずはないが考えてみました。
    掃除をする→箒が石を捕らえる→石が箒で飛
    ばされる→石が竹に当たる→音がする→香厳
    が聴いた→香厳は修業中であった→聴いた音
    に何かのヒントにならないかと考えた→悟り
    を開いた。この一連の流れは因果関係になっ
    ている。世の中は因果関係で成り立っている
    と悟ったのだろうか。香厳がどんな修行をし
    ていたのか、もちろん分らないが、人間関係
    を好くしたいと考えていたのなら、因果関係
    の結論から、人を褒めれば人間関係は好くな
    り、相手を腐せば人間関係は悪くなる・・。
    また志を達成したいのなら、どうすれば志を
    達成できるのかと、いつも思いを深めている
    大切さを悟ったのだろうか。

 注・・竹うつ声=撃竹の悟りのこと。香厳(きようげ
     ん)禅師が自分の非力を知り山で修業中、道
     を掃除していて小石が竹に当たる音を聞き、
     忽然(こつぜん)として大悟したという。

作者・・心敬=しんけい。1406~1475。十住心院の
    僧。権大僧都。

出典・・寛正百首(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
                紀内侍
            
(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
 とわば いかがこたえん)

意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
    全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
    いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
    か、と問うたならば、どのように答えようか。

後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
    の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)

 注・・勅=天皇が下す命令。
    かしこし=畏し。おそれおおい。

作者・・紀内侍=きのないし。生没年未詳。紀貫之の娘。

出典・・拾遺和歌集・531。

参考です。

「大鏡」の昔話。

勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば 
いかが答へむ

時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。
色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。
受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。
探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。
色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。
何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。
美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
  
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
 いかが答へむ」

『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』 

紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。
慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。
それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。

『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。


*************** 名歌鑑賞 ****************


憶良らは 今は罷からむ 子泣くらむ それその母も 
我を待つらむぞ        
                  山上憶良

(おくららは いまはまからん こなくらん それその
 ははも われをまつらんぞ)

意味・・私ども憶良のような者はもうこれで失礼します。
    家では子どもが泣いていましょう。多分その子
    の母も私の帰りを待っていることでしょう。

    宴を退席する時に詠んだ歌です。

 注・・それ=其れ。多分。
    罷(まか)る=貴人のもとから退出する。
 
作者・・山上憶良=やまのうえおくら。660~ 733。
    701年遣唐使として渡唐。
 

出典・・万葉集・337。


*************** 名歌鑑賞 ****************


身をかくす 憂き世のほかは なけれども のがれしものは
心なりけり
                    兼好法師

(みをかくす うきよのほかは なけれども のがれし
 ものは こころなりけり)

意味・・辛い身体を隠すところといっても、この憂き世
    以外にはないけれども、とにかく心だけは憂き
    世から逃れたことだ。

    辛い世の中であるが、心は気を紛らわせること
    が出来て、安らかである、と詠んでいます。

作者・・兼好法師=けんこうほうし。1283頃の生まれ。
    70歳くらい。後二条院に仕えたが30歳頃出家。
    「徒然草」で有名。

出典・・岩波文庫「兼好法師家集・54」。

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