名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年02月


*************** 名歌鑑賞 ****************

難波人 芦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ
常めづらしき            
                  詠人知らず

(なにわびと あしびたくやの すしてあれど おのが
 つまこそ とこめずらしき)

意味・・難波の人が芦を燃やすので家の中が煤けて
    いるように、私の家内(うちのばあさん)も
    汚(きたな)く年老いたが、永年つれそった
    私にとっては、いつまでも見飽きないかけ
    がえのない人だよ。

 注・・芦火=燃料として芦を焚くので家の中は
     煤ける。
    常(とこ)=不変、永遠。
    めづらしき=賞美するにふさわしい。 

出典・・万葉集・2651。


*************** 名歌鑑賞 ****************


はかなしな 窓のくれ竹 うつ声に 夜はのあらしを
さとるばかりは
                 心敬

(はかなしな まどのくれたけ うつこえに よわの
 あらしを さとるばかりは)

意味・・思えばはかないことだ。窓の呉竹を打つ音に
    せいぜい夜更けの嵐を知るくらいで、誠の道
    を悟り得ないとは。

    竹の打つ音を聞いて、香厳(きょうげん)禅師
    は撃竹の悟りを開いたのだが、自分はただ、
    強い風が吹いているだけしか感じ得ず、寂し
    い思いだ、という気持です。
  
    香厳禅師が掃除をしていて、掃いた時に石が
    竹に当たって音がした。これを聴いて悟りを
    開いたという故事を念頭に詠んでいます。

    香厳禅師がどんな事を悟ったのかを凡人には
    分るはずはないが考えてみました。
    掃除をする→箒が石を捕らえる→石が箒で飛
    ばされる→石が竹に当たる→音がする→香厳
    が聴いた→香厳は修業中であった→聴いた音
    に何かのヒントにならないかと考えた→悟り
    を開いた。この一連の流れは因果関係になっ
    ている。世の中は因果関係で成り立っている
    と悟ったのだろうか。香厳がどんな修行をし
    ていたのか、もちろん分らないが、人間関係
    を好くしたいと考えていたのなら、因果関係
    の結論から、人を褒めれば人間関係は好くな
    り、相手を腐せば人間関係は悪くなる・・。
    また志を達成したいのなら、どうすれば志を
    達成できるのかと、いつも思いを深めている
    大切さを悟ったのだろうか。

 注・・竹うつ声=撃竹の悟りのこと。香厳(きようげ
     ん)禅師が自分の非力を知り山で修業中、道
     を掃除していて小石が竹に当たる音を聞き、
     忽然(こつぜん)として大悟したという。

作者・・心敬=しんけい。1406~1475。十住心院の
    僧。権大僧都。

出典・・寛正百首(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば
いかが答えむ
                紀内侍
            
(ちょくなれば いともかしこし うぐいすの やどはと
 とわば いかがこたえん)

意味・・勅命だから、この紅梅を献上することを断るのは、
    全く畏れ多いことだが、、もし鶯がやって来て、
    いったい私の宿はどこに行ってしまったのだろう
    か、と問うたならば、どのように答えようか。

後書・・かく奏(そう)せさせければ、掘らずなりにけり。

    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事の歌、「大鏡」
    の昔話です。 (大鏡の昔話は下記参照)

 注・・勅=天皇が下す命令。
    かしこし=畏し。おそれおおい。

作者・・紀内侍=きのないし。生没年未詳。紀貫之の娘。

出典・・拾遺和歌集・531。

参考です。

「大鏡」の昔話。

勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば 
いかが答へむ

時は天暦、村上天皇の御代のことでございます。
どうしたことでありましょうか、清涼殿の御前に
ありました梅の木が枯れてしまったのでございます。
長年愛でられていました梅を失われた帝はたいそう
お嘆きになりました。
色のなくなった庭は、そこだけぽっかりと穴が空い
たようで、どうにも寂し気で物足りなく思われます。
そこで帝は新たな梅を探すことを命じられたので
ございます。
受けた者は帝の御命令を受け、京中を探しました。
あちらの梅、こちらの梅と、巷で評判になっており
ます梅、それこそ何百という梅の木を見たのでござ
います。けれども、帝の御前に出せるべくほどの
梅の木、というと中々見つけることが出来ません。
探し疲れ、見つけ倦ねていた時、家臣が西の方に
ある家に、色濃く咲いている梅があるらしいとの
噂を聞き付けて参りました。早速行ってみると、
どうでしょう、枯れてしまった梅に勝るとも劣ら
ぬ 見事な梅があったのでございます。
色は艶々しく、花の付き方は品よく、その芳香は
四方に漂い、皆天上もかくやという心持ちになった
のでございます。これならきっと帝のお気に召す
だろうと思い、早速掘り取らせることにしました。
一刻も早く帝の御前にと急く心を抑えていました
ところ、その家の者が「お願いがございます」
と進み出て参りました。
何事かと思って聞くと「畏れ多くも帝の御前に上
がる梅ですが、その枝にこれを結びつけることを
お許し下さいませんでしょうか」と折り畳んで結
ぶばかりになっている文を差し出します。不思議
にも思いましたが、綺麗な薄様に書かれたそれは
別 段怪し気なところもなく、また「これほどの梅
の木を持つ家の主のこと、何かわけがあるのだろう」
と思いまして、枝にそれを結び付けさせて梅の木を
持ち帰ったのでございます。
美々しい梅の木を御覧になった帝はたいそうお喜
びになりました。周りの者がお止めする間もなく、
思わず庭に下りられたほどでございます。満足げ
に目を細め、眺めておいででございましたが、
ふと、枝先に結び付けられた文に気付かれたので
ございます。
「何か」と仰られ御覧になると、女性の筆跡でこう
書いてございました。
  
「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば 
 いかが答へむ」

『帝の御命令でございますこと、畏れ多く謹んで
贈呈致します。しかしながら、毎年この庭に来て
この梅の枝に宿る鴬が、我が宿は如何したかと尋
ねられたならば、さてどう答えたらよいのでござ
いましょう』 

紙の匂いも艶な感じのするもので、筆跡も黒々と
美しく、これは並々ならぬ 人の手によるもので
あろうと思われます。文といい、立派な梅の木と
いい、どうにも不思議にお思いになられた帝は
「どういう者の家か」とお尋ねになられたので
ございます。
慌ててその家の素性を質したところ判りました
ことは、梅の木のありました館は、かの紀貫之
さんの御息女が住んでいる処であったということ
でございます。そして、その梅の木は父である
貫之が非常に愛した木であり、御息女はそれを
父とも形見とも思い、慈しんでおいでの梅で
ございました。
それを帝に申し上げたところ「さても残念な
ことであることよ」と思し召されたということ
でございます。

『大鏡』によると梅の木は清涼殿に移植されて
終わっていますが、この後に再び元の邸に戻され
たとの話も伝わっています。


*************** 名歌鑑賞 ****************


憶良らは 今は罷からむ 子泣くらむ それその母も 
我を待つらむぞ        
                  山上憶良

(おくららは いまはまからん こなくらん それその
 ははも われをまつらんぞ)

意味・・私ども憶良のような者はもうこれで失礼します。
    家では子どもが泣いていましょう。多分その子
    の母も私の帰りを待っていることでしょう。

    宴を退席する時に詠んだ歌です。

 注・・それ=其れ。多分。
    罷(まか)る=貴人のもとから退出する。
 
作者・・山上憶良=やまのうえおくら。660~ 733。
    701年遣唐使として渡唐。
 

出典・・万葉集・337。


*************** 名歌鑑賞 ****************


身をかくす 憂き世のほかは なけれども のがれしものは
心なりけり
                    兼好法師

(みをかくす うきよのほかは なけれども のがれし
 ものは こころなりけり)

意味・・辛い身体を隠すところといっても、この憂き世
    以外にはないけれども、とにかく心だけは憂き
    世から逃れたことだ。

    辛い世の中であるが、心は気を紛らわせること
    が出来て、安らかである、と詠んでいます。

作者・・兼好法師=けんこうほうし。1283頃の生まれ。
    70歳くらい。後二条院に仕えたが30歳頃出家。
    「徒然草」で有名。

出典・・岩波文庫「兼好法師家集・54」。

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