名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年03月


*************** 名歌鑑賞 ****************


いたづらに 過ぐる月日も おもしろし 花見てばかり
くらされぬ世は
                   四方赤良

(いたずらに すぐるつきひも おもしろし はなみて
 ばかり くらされぬよは)

意味・・なんということもなく過ぎてゆく月日でも、
    本当は面白いのではないか。春だからといっ
    て、花を見てばかりでは、暮らして行けない
    世の中なんだから。

    本歌の発想を揶揄(やゆ)しながら、平凡な日
    常の現実に誠実に生きようとする作者の態度
    です。
    朝早くから夜遅くまで働く庶民は生活して行
    くのに精一杯であり、花を見て楽しもうとい
    う余裕が無い。今日も一日なんとなく過ごし
    てしまった、と思う余裕も無い生活をしてい
    る。生活に追われて虚しいと考えることすら
    ない。そのような庶民にとってみれば、充実
    した一日を送っていることになり、見方を変
    えれば面白い日々を送っているのではないか、
    と詠んだ狂歌です。

    本歌です。
    いたづらに過ぐす月日は多かれど花見て暮らす
    春ぞすくなき      
              古今和歌集・藤原興風 

    (何もしないで過ぎていく一日一日は多いけれ
    ども、いざ春となって花を見るとなると、楽
    しい春の日というものは本当に短いものだ) 

 注・・いたづらに=なんのかいもないさま。むなしい
     こと。
    揶揄=からかうこと。

作者・・四方赤良=よものあから。1749~1823。支配
    勘定の幕臣。江戸時代の狂歌師。

出典・・万載(小学館「日本古典文学全集・狂歌」)


*************** 名歌鑑賞 ****************


われのみや 世を鶯と なきわびむ 人の心の 
花と散りなば
                 詠み人知らず

(われのみや よをうぐいすと なきわびん ひとの
 こころの はなとちりなば)

意味・・もしもあの人の心が、花が散るように私から
    すっかり離れてしまったら、私だけが世を憂
    きものとはかなんで、鶯のように泣くのだろ
    うか。

 注・・鶯=「うぐいす」に「憂く」が掛けられている。

出典・・古今和歌集・798。


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奈良の春十二神将剥げ尽くせり                     
                   夏目漱石

(ならのはる じゅうにしんしょう はげつくせり)

意味・・「あおによし奈良の都は咲く花の匂うがごとく
    いま盛りなり」と詠まれた奈良時代の春。
    その時代に造られた新薬師寺の十二神将像、そ、
    の像の鮮やかな色は剥げ落ちてしまっている。
    色は剥げ尽くしているが、生き生きとした像を
    見ると感嘆させられる。

    この句は明治29年の作です。
    明治時代は、日本の文化がどんどん塗り替えら
    れていった時代。西洋化を急ぐ事が至上命題と
    されていた。
    十二神将の像、造られた当時は群青や緑、朱や
    金の色が施され、華麗なものだったとされてい
    る。色は剥げ尽くしても、命を失わないこの像。
    古びいて行く毎に魅力を増す十二神将。
    西洋化に色が塗られている時代。どんな色に塗
    り替えるか。外側だけを塗りたくる西洋の模倣
    だけで終わらせたくない・・・。

 注・・十二神将=奈良・新薬師寺にある十二神将が有
     名であり、奈良時代(八世紀)に造られた最古
     のもの。官毘羅(くびら)大将、代折羅(ばさら
     )大将、迷企羅(めくら)大将など12神将が薬師
     如来に従っている。薬師如来を信仰する者は
     守護されるとされ、各神将はそれぞれ七千、
     総計八万四千の煩悩(人の悩み)に対応すると
     されている。

作者・・夏目漱石=なつめそうせき。1867~1916。東大
    英文科卒。小説家。

出典・・大高翔著「漱石さんの句」。


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浪もなく 風ををさめし 白河の 君のをりもや 
花はちりけん
                西行

(なみもなく かぜをおさめし しらかわの きみの
 おりもや はなはちりけん)

意味・・四海波静かに、風も枝を鳴らさぬまで、統治されて
    いた白河院の御世でも、やはりこうして花は散った
    ことだろう。

    花が散るのを惜しんで詠んだ歌です。
    四海波静かに出来るほどの白河院でさえ、花を散ら
    す風は治められなかっただろう、と諦めた気持です。
    白河院は「賀茂川の水、双六の賽、三蔵法師、これ
    ぞ我が心にかなわぬもの」と嘆き、その権威を誇っ
    たという逸話があります。
 
    花は散り、人は年を取り老いて行く、という無常観
    を詠んでいます。元気な今なら海洋の怒涛にも荘厳
    な山岳にも接する事が出来る。老いたら何も出来な
    いのだぞ、 若い今の内にやりたいことはやり遂げる
    のだぞ、といっているみたい。

  注・・白河院=1055~1129。72代天皇。後拾遺和歌集・
      金葉和歌集の撰集を命じる。
    無常=いつも変化していること、全ての物が生滅
     変転してとどまらないこと。
 
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。
 
出典・・山家集・107。


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わび人の 涙に似たる 桜かな 風身にしめば 
まづこぼれつつ 
               西行

(わびびとの なみだににたる さくらかな かぜみに
 しめば まずこぼれつつ)

意味・・世を住み詫びている人の涙に似た桜であることだ。
    憂き世の風が身に沁(し)みると真っ先に涙がこぼ
    れるように、風が吹くと先ず散ってしまうものだ。

    花見をして楽しむ人がいる一方、いじめられたり
    リストラされたり、病身であったりして気落ちし
    て途方にくれる人もいる。涙を流す人もいる。

 注・・わび人=世捨て人、失意の人、思いわずらう人。
     つらく思う人。
    憂き世=つらいことの絶えないこの世。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・山家集・・1035。


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いかばかり うれしからまし 面影に 見ゆるばかりの
あふ夜なりせば    
                  藤原忠家

(いかばかり うれしからまし おもかげに みゆる
 ばかりの あうよなりせば)

意味・・恋しい人の面影をいつも思い浮かべているが、
    面影に見るほど度々現実に逢う夜であったら
    どんなに嬉しいことであろうか。

作者・・藤原忠家=ふじわらのただいえ。1033~1091。
    大納言正二位。

出典・・後拾遺和歌集・736。


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いとけなし 老いてはよわりぬ 盛りには まぎらはしくて
ついにくらしつ       
                    明恵上人

(いとけなし おいてはよわりぬ さかりには まぎらわ
 しくて ついにくらしつ)
              
詞書・・人寿百歳七十稀ナリ、一分衰老一分痴、中心二十
    年事、幾多嘆キ咲キ幾多悲シム。この詩の心を詠
    める。

意味・・年老いて心は幼稚(痴呆)になり、身も弱ってしま
    った。盛りの時には心が他に紛れて最後までうか
    うか過ごしてしまったことだ。

    人生の意気盛んなときは20年ほどの間。その時期
    に恋や人との交わりなどでつまらない事に悩んで
    しまい、大事な時を充実せずに過ごしてしまった。
    悲しいことである。

    詞書は次の詩の心を詠む、です。

    人寿百歳 七十稀なり
    一分衰老 一分痴となる
    中心 二十余年の事
    幾多歓楽し(幾多嘆キ咲キ) 幾多悲しむ

    寿命百とは言いながら七十稀(まれ)よ
    たとえ古希まで生きたとしても
    一部は老いぼれ 一部はぼける
    人の盛りのわずかな年は
    喜びと悲しみの 繰り返し。

 注・・いとけなし=幼けなし。幼い。
    人寿百歳七十稀=出典未詳。「人生百歳七十稀」は
     白楽天の詩。
    一分衰老一分痴=一部分は老衰し、一部分は痴呆し
     てしまった。
    幾多嘆キ咲キ幾多悲シム=多く嘆いたり笑ったり悲
     しんだりしてきた。
    
作者・・明恵上人=みょうえしょうにん。1173~1232。8歳
    で母を失い、続いて父が戦死して孤児となる。伯父
    に頼って神護寺に入り16歳で出家。鎌倉時代の僧。 
    
出典・・明恵上人歌集(岩波書店「中世和歌集「鎌倉篇」)


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花を見て 花を見こりし 花もなし 花見こりしは 
今日の花のみ 
                 橘曙覧

(はなをみて はなをみこりし はなもなし はなみ
 こりしは きょうのはなのみ)

意味・・花を見て美しいので、また見に来ようと思って
    も次に来た時はもう美しい花はないものだ。

    美しい花を見て楽しめるのは今日のこの日の花
    だけである。一期一会と、只今現在のこの美し
    い花を存分にたんのうしょう。

    「花」の繰り返しの面白さもあります。

 注・・こり=凝り。深く思い込む、熱中する。
    一期一会=一生に一度の出会いのことで、人と
     の出会いは大切にすべきとの戒め。ここでは
     もともと茶道の心得を説いた言葉で、今日と
     いう日、そして今いる時というものは二度と
     再び訪れるものではない。その事を肝に銘じ
     て茶道を行うべきである、の意。
    たんのう=十分に満足する、心行くまで味あう。

作者・・橘曙覧=1812~1868。紙商の家業を異母弟に
    譲り隠棲。福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全家集」。


*************** 名歌鑑賞 ****************


春は花 秋には月と ちぎりつつ けふを別れと 
おもはざりけり
                藤原家経

(はるははな あきにはつきと ちぎりつつ けふを
 わかれと おもわざりけり)

意味・・春は花見に、秋は月見にというように、あなた
    と親交を結んで来ましたが、まさか今日の日が
    別れの日だとは思いもしませんでした。

    能因法師が伊予に下向する時に別れを惜しんで
    詠んだ歌です。

 注・・ちぎり=契り。約束、言い交わすこと。

作者・・藤原家経=ふじわらのいえつね。1001~1058。
    讃岐守・正四位下。

出典・・後拾遺和歌集・482。


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ももしきの 大宮人は いとまあれや 桜かざして
今日も暮らしつ
                  山部赤人

(ももしきの おおみやびとは いとまあれや さくら
 かざして きょうもくらしつ)

意味・・世の中は平和で、大宮人は暇があることだ。
    昨日も今日も一日中、桜の花を折りかざして
    遊び暮らしている。

    山部赤人は万葉時代の人で750年頃の人。
    一方、新古今和歌集は1205年に成立してい
    る。450前に詠まれた歌を撰んでいる。新古
    今の撰者は桜の元で遊べるほどの平和を望ん
    でいたのであろうか。

 注・・ももしきの=「大宮」の枕詞。
    大宮人=宮中に仕える人。
    あれや=あるのかなあ。「や」は詠嘆を表す。
    桜かざして=桜の花を髪や冠(かんむり)に挿
     して飾った。

作者・・山部赤人=やまべのあかひと。生没年未詳。
    奈良時代の歌人。

出典・・新古今和歌集・104。

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