名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年07月


陸奥の 真野の萱原 遠けども 面影にして 
見ゆといふものを
               笠女郎
(みちのくの まののかやはら とおけども おもかげ
 にして みゆというものを)

意味・・奥州の真野の萱原はほんとうに遠い所だと話に
    聞いていますが、そんなに遠い萱原でも目の前
    にその姿が浮かぶということです。
    まして近くにおいでになるあなたを恋しく思わ
    ないわけにはゆきません。

    笠女郎が大伴家持に贈った歌で、近くにいる
    家持になぜ逢えないのかと諷した歌です。

 注・・陸奥=東北地方の総称。
    真野の萱原=歌枕。福島県相馬郡鹿島町真野川
     の流域。

作者・・笠女郎=かさのいらつめ。生没年未詳。大伴家
    持と交渉のあった女性。
 
出典・・万葉集・396。  


足なへの 病いゆてふ 伊予の湯に 飛びても行かな
鷺にあらませば        
                 正岡子規 
(あしなえの やまいいゆちよう いよのゆに とびても
 ゆかな さぎにあらませば)

意味・・足が萎(な)えて歩けない病気が治ると昔から
    いい伝えられている故郷の道後温泉に飛んで
    行きたいものだなあ、もしも自分が鷺だった
    なら。

 注・・足なへ=足萎へ。足が萎えて歩行が自由にな
     らない事。
    いゆてふ=癒ゆてふ。「癒ゆ」は治ること。
     「てふ」は「といふ」のつまった形。
    伊予の湯=愛媛県松山市の道後温泉。
    鷺にあらませば=鷺であったならば。太古、
     足にけがをしている鷺が、湧き出している
     湯に足をひたして傷を治したのが道後温泉
     の起源という伝説がある。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35
    歳。22歳で肺を病み喀血してから子規の雅
    号を用いる。23歳頃より全く歩けなくなった。

出典・・学灯社「現代短歌評釈」。


古の 人に我れあれや ささなみの 古き都を
見ればかなしも    
                 高市黒人
(いにしえの ひとにわれあれや ささなみの ふるき
 みやこを みればななしも)

詞書・・近江の旧き都を感傷して作る歌。

意味・・私は昔の人であろうか。そうではないはず
    なのに、ささなみの大津の宮の廃墟を見る
    と、この都の栄えた頃の人であるかのよう
    に悲しいことだ。

    国土の荒廃を悲しんで詠んだ歌です。
    当今の普通の人ならば旧都の址(あと)を見
    てもこんなに悲しまぬであろうが、こんな
    に悲しいのは、古の人だからであろうかと、
    疑うが如くに感傷したものです。
           
 注・・近江の旧き都=天智天皇の近江の大津の宮
     の廃墟。壬申(じんしん)の乱(672)で戦火
     で焼かれ廃墟になった。
    ささなみ=琵琶湖中南部沿岸の古名。

作者・・高市黒人=生没不詳。柿本人麻呂と同時代 
    (700年頃)の人。

出典・・万葉集・32。


下下も下下 下下の下国の 涼しさよ
                        一茶
(げげもげげ げげのげこくの すずしさよ)

前書・・奥信濃に湯浴みして。

意味・・今こうして自分は下々の下国にいるが、一人湯浴
    みをしていると、下国ながらも、何の煩わしさも
    なく、涼しく全く気持ちよいものだ。
 
 注・・下下=きわめて程度の低いこと、最下等、下の下。
    下国=つまらない国、故郷をさしていったもの。
     土地が痩せ、耕地も狭く、ろくな産物もでない
     国。

作者・・小林一茶=1763~1827。北信濃(長野県)の農民
    の子。3歳で生母に死別。継母と不和のため15歳
    で江戸に出て奉公生活に辛酸をなめた。
 
出典・・七番日記。


身をしれば 人の咎とも おもはぬに うらみがほにも 
ぬるる袖かな           
                  西行

(みをしれば ひとのとがとも おもわぬに うらみ
 がおにも ぬるるそでかな)

意味・・身の程を知っているので、あの人のつれなさ
    を悪いとは思わないのに、いかにも恨めしそ
    うな様子で涙に濡れる私の袖だ。

    取るに足りない身なので、冷淡な仕打ちを受け
    けるのも仕方がないと思いつつ、恨まずにいら
    れない悔しい気持を詠んでいます。
    
 注・・咎(とが)=欠点、罪。
 
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。後鳥羽院の
    北面武士であったが、23歳で出家した。
 
出典・・新古今和歌集・1231。

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