名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年07月


*************** 名歌鑑賞 ****************


何をして 身のいたづらに 老いぬらん 年の思はむ
ことぞやさしき            
                   詠み人知らず
                  
(なにをして みのいたずらに おいぬらん としの
 おもわん ことぞやさしき)

意味・・私はいったい何をして、このようにむなしく年
    老いてしまったのだろうか。一緒に過ごして来
    た年が、私のことを何と思っているであろうか
    と、年に対して恥ずかしいことである。
 
    とりたてて言えるような事は何もなく、むなし
    く年老いたと、過去を顧みた歌です。

 注・・いたづらに=無用の状態に、むだに。むなしく。
    やさしき=恥ずかしい。

出典・・古今和歌集・1063。


*************** 名歌鑑賞 ****************


柏木の 森のわたりを うち過ぎて 三笠の山に
われは来にけり       
                 壬生忠岑

(かしわぎの もりのわたりを うちすぎて みかさの
 やまに われはきにけり)

意味・・私は柏木の森を通り過ぎて三笠の山まで
    やって来ました。
    兵衛府でのお勤めをすました私は、この
    たび皆様のおられる近衛府にお勤めする
    事になりました。

    兵衛府から近衛府に栄転した時のお祝い
    の席で詠んだ歌です。

 注・・柏木=奈良市にある地名。兵衛府(ひよう
    えいふ)、衛門府(えいもんふ)の異称、
    皇居を守る仕事をする。
    三笠=奈良市にある山の名。近衛府(こんえ
    いふ)の異称、天皇の護衛の仕事をする。

出典・・壬生忠岑=生没年未詳。古今和歌集の撰者
    の一人。

出典・・古今和歌集・1127。
 


*************** 名歌鑑賞 ****************


この谷や 幾代の飢えに 瘠せ瘠せて 道に小さなる
媼行かしむ       
                                          土屋文明  

(このたにや いくよのうえに やせやせて みちに
 ちさなる おうなゆかしむ)

意味・・この山奥の谷よ、ここに幾代も幾代も飢餓に
    耐えて人々はかろうじて生き抜いて来たのだ。
    今その谷の道をとぼとぼとちいさな老婆が歩
    いて行く。この谷の貧しさの象徴ででもある
    かのように。

    作者は昭和20年に戦災を被り群馬県吾妻群の
    川戸部落に疎開した、その頃の作です。
    川戸部落は吾妻渓谷の奥の貧しい不便な山村
    であり、作者はここで土地を耕し生活をした
    のである。村民は渓谷に棚田を作り稲を植え
    たが、冷害で全然稔らない田もあった瘠せ地
    である。

 注・・この谷や=この谷よ。「や」は詠嘆を示す語。
    幾代=幾代も幾代も。長い時代の経過を示す。
    媼(おうな)=老女。

作者・・土屋文明=1890~1990。長野県諏訪高女の
    校長。万葉集の研究家。

出典・・歌集「山川水」(学灯社「現代短歌評釈」)


*************** 名歌鑑賞 ***************


おもふこと かくてや終に やまがらす 我がかしらのみ
しろくなれれば
                   小沢蘆庵
               
(おもうこと かくてやついに やまがらす わがかしら
 のみ しろくなれれば)

意味・・思うことも実現しないまま、こうして終わって
    しまうのか。山烏よ、お前の頭は白くならない
    で、私の頭ばかりが白くなっていく。

 注・・やまがらす=「終にやまむ」を「やまがらす」
     に掛ける。

作者・・小沢蘆庵=おざわろあん。1723~1801。和歌
    の指導のみで生活を送ったので貧しかった。

出典・・歌集「六帖詠藻」(小学館「近世和歌集」)。


訪ひ行くに 好かぬとぬかす 憎い人 
                   島村桂一

(トヒイクニ スカヌトヌカス ニクイヒト)

意味・・私が知人の所に訪ねて行くと、お世辞にも
    遠いところを良く訪ねてくれた、とは言わ
    ずにあからさまに嫌な顔をする。憎たらし
    い人だ。

    回文になっています。

    訪ねる私はこんな人です。
    かにかくに疎くぞ人の成りにける貧しき
    ばかりは 悲しきはなし   
              (意味は下記参照)

作者・・島村桂一=しまむらけいいち。回文作家。

出典・・東京堂出版「島村桂一著回文川柳辞典」。

参考歌です。
かにかくに 疎くぞ人の 成りにける 貧しきばかり
悲しきはなし      
                  木下幸文
 
(かにかくに うとくぞひとの なりにける まずしき
 ばかり かなしきはなし)

意味・・何のかんのといっても、友は貧しい私と疎遠に
    なってしまった。なぜか、それは自分が貧窮の
    境涯にあるからである。貧しいほど人間は悲し
    いことはない。友人達さえも遠ざかってしまう
    のだから。
    
 注・・かにかくに=とにかく。

作者・・木下幸文=きのしたたかふみ。1779~1821。
     香川景樹に師事。

出典・・家集「亮々(さやさや)遺稿」(笠間書院「和歌
    の解釈と鑑賞辞典)


*************** 名歌鑑賞 ***************


ながれての 末をも何か 頼むべき 飛鳥の川の
あすしらぬよに     
                 永福門院

(ながれての すえをもなにか たのむべき あすかの
 かわの あすしらぬよに)

意味・・生きていく先のことなど、どうしてあてに
    できようか。渕瀬の変りやすい飛鳥川のよ
    うに、明日のことさえもわからない世の中
    なのに。

    明日の事は明日案じよ、明日は明日の風が
    吹くということです。

    参考歌です。
   「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日
    は瀬になる」   (意味は下記参照)

 注・・ながれての=時がたってゆく。月日が流れる。
    頼む=あてにする、期待する。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    藤原実兼(さねかね・太政大臣)の娘。伏見天
    皇の中宮。

出典・・永福門院百番歌合(岩波書店「中世和歌・鎌倉
    編」)

参考歌です。
世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる         
                詠み人しらず

(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
 のふちぞ けふはせになる)

意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
    不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
    日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
    いる。

出典・・古今和歌集・933。


*************** 名歌鑑賞 ****************


かかる世に かげも変らず すむ月を 見る我が身さへ
恨めしきかな            
                  西行

(かかるよに かげもかわらず すむつきを みるわがみ
 さえ うらめしきかな)

意味・・戦乱の続く世に、常に変る事のない光を放っている
    月が恨めしいことだ。そしてこの世を見てどうしょ
    うも出来ない我が身までも恨めしく思われることだ。

    戦乱の続く世に、変らぬ平和な光を放つ月を羨まし
    く思い、何も出来ない自分を恨めしい思いで詠んだ
    歌です。

 注・・かかる世=このような世。前書きにより、保元の乱
     が起き、崇徳院が思いもよらぬ事に負けてしまい、
     出家してしまった、このような世。
    保元の乱=1156年に皇位継承問題や摂政家の内紛に
     より朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇 方に分裂し、
     双方の武力衝突に到った政変。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・歌集「山家集・1227」。


**************** 名歌鑑賞 ***************


君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 
思ひけるかな
                 藤原義孝
            
(きみがため おしからざりし いのちさえ ながくも
 がなと おもいけるかな)

意味・・あなたと逢う為には、惜しくも思わなかった命
    までも、逢う事が出来た今となっては、長くあ
    ってほしいなあと思うことです。

    以前は恋の成就のためならば命まで捨てても惜
    しくないと思い、恋に殉じる覚悟もしていたが、
    いざ逢瀬がかなってしまうと、今度は恋のため
    に少しでも長生きがしたいと思うようになり、
    生への執着を生んでいます。

作者・・藤原義孝=ふじわらのよしたか。954~974。
    21歳。右少将・従五位。

出典・・後拾遺和歌集・669、百人一首50。



*************** 名歌鑑賞 ****************


たのしみは 百日ひねれど 成らぬ歌の ふとおもしろく
出できぬる時
                   橘曙覧
           
(たのしみは ももかひねれど ならぬうたの ふと
 おもしろく いできぬるとき)

意味・・私の楽しみは、何日も何日も苦労しながら
    思うように歌えなかった歌が、ふとなにか
    のきっかけで面白く出来上がったときだ。
    歌詠みにとって、苦吟のはてに生れた一首
    ほど喜ばしいものはない。

    夢に見るくらい考えているとある時ひよっ
    こと閃く。こんな時は嬉しいものです。

 注・・百日(ももか)=多くの日数。
    ひねる=苦吟する。和歌や俳句を苦心して
     作る。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
    越前国福井(今の福井市)の紙商の長男。家
    業を異母弟に譲って隠棲。歌集「志濃夫廼
    舎」。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集・557」。



*************** 名歌鑑賞 ****************


露の身の 消えもはてなば 夏草の 母いかにして
あらんとすらみ                         
                 詠み人知らず

(つゆのみの きえもはてなば なつくさの はは
 いかにして あらんとすらん)

意味・・露のようにはかないわが身が命耐えて
    しまったならば、母はどのようにして
    生きて行くことだろうか。

    母に先立ち死にそうな娘の心を詠んだ
    歌です。
 
 注・・露の身=露のようにはかない身。
    夏草の=葉を導く枕詞。ここでは同音の
    「はは」を導いている。
    あらん=生きている、健在である。

 出典・・金葉和歌集・619。 

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