名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年08月


夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは かたへ涼しき
風や吹くらむ
                  凡河内躬恒
            
(なつとあきと ゆきかうそらの かよいじは かたえ
 すずしき かぜやふくらん)

意味・・去る夏と、来る秋とがすれ違う空の通路では、
    片側は来る秋で涼しい風が吹いていることだ
    ろう。

    陰暦六月の末に詠んだ歌です。現在の8月8日
    の立秋の前日になります。

 注・・行きかふ=行くと来るのがすれ違う。
    かよひぢ=空の通路。
    かたへ=片方。片側。

作者・・凡河内躬恒=おおしこうちのみつね。生没年
    未詳。三十六歌仙の一人。平安時代前期の歌人。
 
出典・・古今和歌集・168。
  


 ちち君よ 今朝はいかにと 手をつきて 問ふ子を見れば
死なざりけり       
                   落合直文

(ちちきみよ けさはいかにと ておつきて とうこを
 みれば しなざりけり)

意味・・「お父様、けさはご機嫌いかがですか」と畳の
    上にかしこまり、手をついて、朝の挨拶をする
    わが子を見ると、かりそめの病に臥している我
    が身ながら、これくらいのことでは死なれない、
    もっともっと長生きせねばこの子たちがかわい
    そうだという気持ちがひしひし起こってくる事
    だ。

 注・・いかにと=「おはしますか」等の句を省略。

作者・・落合直文=おちあいなおふみ。1861~1903。
    明治21年「老女白菊の花」を発表して国文学の
    普及に尽くす。

出典・・学灯社「現代短歌評釈」。


 筑紫にも 紫生ふる 野辺はあれど なき名悲しぶ
人ぞ聞えぬ      
                 菅原道真
(つくしにも むらさきおうる のべはあれど なきな
 かなしぶ ひとぞきこえぬ)

意味・・筑紫にも紫草の生えている野辺はあるけれど、
    その紫草の縁から、私の無実の罪をきせられて
    いる名を悲しんでくれる人が耳に入らないこと
    だ。
    
    一本の紫草から、武蔵野の草の全てに心が引か
    れると詠んだ本歌を背景にしています。

    本歌は、
    「紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながら
    あはれとぞ見る」      (意味は下記参照)

     都から遠く離れた大宰府に左遷され、誰にも相
    手にされない菅原道真の心中は どんなにか辛く
    寂しく、悔しかったことでしょう!

    人から足をすくわれる。
    自分が可愛がっていた部下にそむかれ、上司に
    裏切られる。あんな人とは思わなかったのに・・
    と、こういうことは人生には付物です。悔しい
    思いになります。そんな時にどう対処しらよい
    のだろうか、と問題提起の歌と捉える事が出来
    ます。

 注・・筑紫=筑前・筑後(いづれも福岡県)の総称。
    紫=紫草。根から紫の染料を採った。本歌では
     「紫」が注目されたが、紫に縁がある作者の
     いる「筑紫」は注目されない、の意。
    なき名=身に覚えの無い評判、無実の罪をきせ
     られている名。無実の汚名。

作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903没。59歳。
    正一位太政大臣。謀略により太宰権師に左遷さ
    れた。漢学者。

出典・・新古今和歌集・1697。

本歌です。
紫の ひともとゆえに 武蔵野の 草はみながら 
あはれとぞ見る         
                詠人知らず
(むらさきの ひともとゆえに むさしのの くさは
  みながら あわれとぞみる)

意味・・ただ一本の紫草があるために、広い武蔵野
    じゅうに生えているすべての草が懐かしい
    ものに見えてくる。

    愛する一人の人がいるのでその関係者すべ
    てに親しみを感じると解釈されています。

 注・・紫=紫草。むらさき科の多年草で高さ30
     センチほど。根が紫色で染料や皮膚薬に
     していた。
    みながら=全部。
    あはれ=懐かしい、いとしい。

出典・・古今和歌集・867。 


まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 
音のさやけさ                
                 詠み人知らず
            
(まがねふく きびのなかやま おびにせる ほそ
 たにがわの おとのさやかさ)

意味・・吉備の中山の麓を帯のように流れている細い
    谷川の音のなんと清々しいことか。

 注・・まがねふく=鉄を溶かして分けること。吉備国は
     鉄を産したので、ここでは吉備の枕詞。
    吉備=備前、備中、備後、美作の四国。岡山県と
      広島県の一部。
    中山=備前と備中の境の山。
 
出典・・ 古今和歌集・1082 。 


 来めやとは 思ふものから 蜩の 鳴く夕暮れは
立ちまたれつつ
                詠み人知らず
             
(こめやとは おもうものから ひぐらしの なく
 ゆうぐれは たちまたれつつ)

意味・・来てくださるだろうか、いや期待はしないほうが
    いい。そう思いながらも、蜩の鳴き出す夕暮れに
    なると、じっと座っていられなくなる、私は。

    和泉式部の参考歌です。

   「なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは
    ものぞかなしき」

    私には、あなたという誇らしい恋人があります。
    この世に、あなたのやさしさを超えるなぐさめが
    あろうとは思いません。それなのに、夕暮れとも
    なると、どうにもならない悲しみにうつむいてし
    しまうのです。いったいどこから湧いてくる悲し
    みなのでしょうか。

    当時は通い婚であったので、夫は妻の家に行って
    いた。

 注・・来めや=来るだろうか、いや来ないだろう。「め
     や」は反語。

出典・・古今和歌集・772。


 唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 
旅をしぞ思ふ              
                 在原業平
            
(からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる
 たびをしぞおもう)

(か・・・・ き・・・・・・ つ・・・・  は・・・・・・
 た・・・・・)

意味・・くたくたになるほど何度も着て、身体になじんだ衣服
    のように、慣れ親しんだ妻を都において来たので、都を
    遠く離れてやって来たこの旅路のわびしさがしみじみと
    感じられることだ。

    三河の国八橋でかきつばたの花を見て、旅情を詠んだ
    ものです。各句の頭に「かきつばた」の五文字を置い
    た折句です。この歌は「伊勢物語」に出ています。

 注・・唐衣=美しい立派な着物。
    なれ=「着慣れる」と「慣れ親しむ」の掛詞。
    しぞ思う=しみじみと寂しく思う。「し」は強調の意
     の助詞。
    三河の国=愛知県。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。従四位
     ・美濃権守。行平は異母兄。

出典・・古今集・410、伊勢物語・9段。


 とにかくに あなさだめなき 世の中や 喜ぶものあれば
わぶるものあり
                   源実朝
              
(とにかくに あなさだめなき よのなかや よろこぶ
 ものあれば わぶるものあり)

意味・・とにもかくにも、なんと定めない世の中であろうか。
    喜ぶ者がいるかと思うと、つらがり苦しむ者もいる。

 注・・あな=強い感動から発する語。ああ、まあ。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
    源頼朝の次男で鎌倉幕府の三代将軍。鶴岡八幡宮で
    暗殺された。
 
出典・・金槐和歌集・714。


 故郷は 浅ぢが原と あれはてて よすがら虫の
ねをのみぞ聞く
                道命法師
         
(ふるさとは あさじがはらと あれはてて よすがら
 むしの ねをのみぞきく)

詞書・・長恨歌の内容を描いた絵の中に、玄宗皇帝が、
    安禄山の変も治まって、もとの所に帰って来
    て、秋の虫が鳴き、あたり一面草が枯れはて
    て、それを見て帝が悲しんでいる絵の有り様
    を詠んだ歌。

意味・・古里の長安は浅茅が原となってすっかり荒れ
    果ててしまって、夜通し虫の鳴く声ばかりを
    耳にすることだ。
 
    戦火で長安の都が焼野原となった哀れさを詠
    んでいます。

 注・・長恨歌=唐の白楽天が作った長編叙事詩。唐
     の玄宗皇帝が、安禄山の変で、最愛の楊貴
     妃を亡くした悲愁の情を、七言、120句で
     綴ったもの。

作者・・道命法師=どうみょうほうし。974~?。中古
    三十六歌仙の一人。
 
出典・・後拾遺和歌集・270。


 大空の 塵とはいかが 思ふべき 熱き涙の
ながるるものを
                与謝野寛 
(おおぞらの ちりとはいかが おもうべき あつき
 なみだの ながるるものを)

意味・・大空に浮かぶかすかな塵のような自分だと、
    どうして思う事が出来ようか。熱い涙の流れ
    る我が身であるのに。

    広大な天地、悠久な時間からすれば、人間の
    存在は塵のようなものだ。しかし自分はそう
    はさせたくない。楽しい事も苦しい事も時が
    経ると消え失せるものなので、名が残る事を
    成し遂げたい。命を燃やし尽くして生きて行
    きたい。自分にはその情熱があるのだ。

    参考です。
    「楽も苦も 時過ぎぬれば 跡もなし 世に残る
    名を ただおもふべし」  (島津家の家訓)

作者・・与謝野寛=よさのひろし。1873~1935。号
     は鉄幹。明星を創刊して浪漫主義文学の
     運動の中心になる。慶大教授。「東西南
     北」「相聞」。

出典・・歌集「相聞」(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞」)


子の為に 残す命も へてしがな 老いて先立つ
否びざるべく
                 藤原兼輔
         
(このために のこすいのちも へてしがな おいて
 さきだつ いなびざるべく)

意味・・我が子の為にしてやれる残りの命も少なくなって
    しまった。年老いて子に先立つ事は逆らいようの
    ない事だ。

    我が亡き後、子供たちはどのようにして生きてい
    くことか。

 注・・へて=経て。時がたつ。
    否び=承知しない。断る。

作者・・藤原兼輔=ふじわらのかねすけ。877~933。
    紫式部の曽祖父。通称堤中納言。

出典・・家集「兼輔集」。
 

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