名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年08月


 わが世をば 今日か明日かと 待つかひの 涙の滝と
いづれ高けむ
                    在原業平
          
(わがよをば きょうかあすかと まつかいのなみだの
 たきと いずれたかけん)

意味・・我が世に時めく日を、今日か明日かと待っているが、
    待ち甲斐もない心細さに流れる涙の滝と、この布引
    の滝とはどちらが高いだろうか。

又の意・わが生涯の終わりを今日か明日かと待つ間の心細さ
    に流れる涙の滝と、この布引の滝とは、どちらが高
    いだろうか。

    布引の滝を見て詠んだ歌です。

 注・・世=生涯の意にも取れる。
    かひの涙=「甲斐の無み」を掛ける。「かひ」は
     間(かい)の意にも取れる。
    布引の滝=神戸市の北方布引山中にある滝。
     上下二段に分かれ、上を雄滝(45m)、下を雌滝
     (20m)という。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。蔵
    人頭。伊勢物語が有名。

出典・・伊勢物語・87段。


 滝の上の 三船の山に 居る雲の 常にあらむと 
我が思はなくに
                 弓削皇子
                
(たきのうえの みふねのやまに いるくもの つねに
 あらんと わがおもわなくに)

意味・・滝の上の三船山には、あのようにいつも雲が
    かかって見えるが、私達はいつまでもこの世
    にあろうとは思えない。それが悲しい。

    今の良き状態が長く続くとは思われない、と
    戒めた気持を詠んでいます。

 注・・三船の山=奈良県吉野の宮滝付近にある山。
    あらんと=生きているだろうと。
    なくに=・・ないのに、・・ないのだから。

作者・・弓削皇子=ゆげのみこ。699年没。30歳前
    後。天武天皇第六皇子。
 
出典・・万葉集・242。


 人の世の 憂きをあはれと 見しかども 身にかへ
むとは 思はざりしを
                  右大臣の北の方
(ひとのよの うきをあわれと みしかども みにかえん
とは おもわざりしを)

意味・・他人の夫婦仲の情けなさをしみじみと気の 
    毒に見たことはありますが、自分の身に換
    えて袖を涙で濡らそうとは思いもかけませ
    んでした。

 注・・人=他人。
    世=世の中、男女の仲、夫婦の仲。

作者・・右大臣北の方=源氏物語に登場する貴人の
    正妻。

出典・・源氏物語・夕霧の巻。


 何事も 変わりのみ行く 世の中に 同じ影にて 
すめる月かな        
                 西行
(なにごとも かわりのみゆく よのなかに おなじ
 かげにて すめるつきかな)

意味・・何事もすべて変わってばかり行く世の中で、
    昔と同じように月は澄んだ光を放つってい
    る。

    西行の生きた時代は動乱の相次ぐ世の中で
    あり、それを背景に、昔と変わらない光を
    放つ月をしみじみと羨ましく感じて詠んで
    います。
 
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名は
    佐藤義清。鳥羽院北面武士。23才で出家。
 
出典・・歌集「山家集」。


 家ろには 葦火焚けども 住み好けを 筑紫に到りて 
恋しけ思はも            
                  物部真根

(いえろには あしびたけども すみよけを つくしに
  いたりて こいしけおもはも)

意味・・家では、葦火を焚くと煙たく煤けて汚いがそれでも
    住み良いものだ。遠く離れて筑紫に着いたら、こん
    な家のことも恋しく思うことだろうな。

    上野国(こうずけこく)の防人(さきもり)の歌です。
    今いる所が不憫に思っていたことだが、それに比べ
    ここよりもっと環境の悪い所に行けば、ここは住み
    良い所だと思うだろう、と詠んでいます。
    
 注・・家ろ=「ろ」は親愛をこめた接尾語。
    葦火=暖のため、家の中で葦を焚く事。煤けて汚い。
    筑紫=福岡県の北部。
    上野国=今の群馬県のあたり。
    防人=上代、東国から送られて九州の要地を守った
     兵士。

 作者・・物部真根=もののべのまね。生没年未詳。上野国の人。

 出典・・万葉集・4419。


 鶉鳴く 古りにし里ゆ 思へども 何ぞも妹に
逢ふよしもなき 
                大伴家持
               
(うずらなく ふりにしさとゆ おもえども なにぞも
 いもに あうよしもなき)

意味・・鶉の鳴く古びた里にいた頃から想い続けていた
    のに、どうしてあなたに逢う機会もないのであ
    ろうか。

    家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈った歌です。

 注・・鶉鳴く=「古る」の枕詞。草深い荒涼のさまを
     表している。
    古りにし里=ここでは旧都奈良をさす。
    ゆ=動作の時間的・空間的起点を表す。・・か
     ら。
    妹=男性から女性を親しんでいう語。妻・恋人
     にいう。

作者・・大伴家持=718~785。おおとものやかもち。
    大伴旅人の長男。万葉集後期の代表的歌人。
    中納言、従三位。

出典・万葉集・775。


 ながむれば 千々にもの思ふ 月にまた わが身ひとつの
峰の松風
                   鴨長明
                
(ながむれば ちぢにものおもう つきにまた わがみ
 ひとつのみねのまつかぜ)

意味・・しみじみと見入っていると、さまざまな物思い
    をさせる月に加えて、さらにまた、一人住まい
    の私の身だけに吹いて、物思いをいっそう深く
    させる松風だ。

    山の庵に一人住む身のものとして詠んだ歌です。
    次の本歌を念頭に詠んでいます。

   「月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身ひとつの
    秋にはあらねど」   (意味は下記参照)

 注・・ながむれば=ぼんやりと思いふけると、しみじみ
     と見入っていると。
    千々に=さまざまに。
    わが身ひとつの=私の身にだけ吹いて、物思いを
     いっそう深くさせる、の意。

作者・・鴨長明=かものちょうめい。1154~1216。1204
    年出家する。「方丈記」の作者。

出典・・新古今集・397。

本歌です。
月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身一つの
秋にはあらねど
                  大江千里
              
(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみ
 ひとつの あきにはあらねど)
 
意味・・月を見ると、私の想いは、あれこれと限りなく物悲
    しくなる。私一人だけの秋ではないのだけれど。
    
    秋の月を見て悲しく感じるのは、誰でも同じであろ
    うけれども、自分だけがその悲しみを味わっている
    ように思われる。
注・・ちぢに=千々に、さまざまに、際限なくの意。
    もの=自分を取りまいているさまざまな物事。

作者・・大江千里=おおえのちさと。生没年未詳。在原業平
    の甥。

出典・・古今集・193、百人一首・23。


 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に
出でし月かも 
                 安部仲麻呂
          
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの
 やまに いでしつきかも)

意味・・大空を遠く見晴らすと、あれは故国の春日に
    ある三笠の山に上った月と同じ月なのだなぁ。

    遣唐使として派遣され仲麻呂が、帰国する時
    に月を見て詠んだ歌です。
    月を見やる視線は、奈良の都で過ごした過去
    への視線です。  

 注・・春日=現在の奈良公園から春日神社のあたり。
    三笠の山=春日神社の後方にある山。

作者・・安倍仲麻呂=あべのなかまろ。698~770。
    遣唐使として渡唐。帰国出来ないまま唐土で
    没。

出典・・古今和歌集・406、百人一首・7。


枝に漏る 朝日の影の 少なさに 涼しさ深き
竹の奥かな 
                京極為兼
             
(えだにもる あさひのかげの すくなさに すずしさ
 ふかき たけのおくかな)

意味・・枝の間から漏れて来る朝日の光が少ないために、
    夏の朝も涼しさが底深く感じられる、竹林の奥
    まった景色は。
    
    竹林の朝のひんやりとした涼しさを詠んでいま
    す。

作者・・京極為兼=きょうごくのためかね。1254~1332。
    正二位権大納言。1316年から死去まで土佐に配
    流される。

出典・・玉葉集・419。
 


思ふこと なくて見まほし ほのぼのと 有り明けの月の
志賀の浦波       
                    藤原師賢
(おもうこと なくてみまほし ほのぼのと ありあけの
 つきの しがのうらなみ)

意味・・何の物思いもなく見たいものだ。ほのぼのと明けて
    ゆく有明の月の下、寄せては返す志賀の浦波のこの
    美しい光景を。

    1331年後醍醐天皇は北条氏討伐を企てたが、計画が
    漏れて奈良に退散した。近臣の師賢が僧兵を味方に
    つけようとしたが失敗。その帰り路で詠んだ歌です。

作者・・藤原師賢=ふじわらのもろかた。1301~1332。32
    歳。後醍醐天皇に重要される。正二位大納言。

出典・・新葉和歌集。
 

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