名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年09月


 月夜には 門に出で立ち 夕占問ひ 足占をぞせし
行かまくを欲り
                 大伴家持
 
(つくよには かどにいでたち ゆうけとい あうら
 をぞせし いかまくをほり)

意味・・月夜になると門の外に立ち出でて、夕方の辻
    占いをしたり、足占いをしたりしたのですよ。
    あなたの所に行きたいと思って。

    この歌は家持が坂上大嬢(さかのうえのおおい
    らつめ)に占いの結果、凶と出たので行けなか
    ったと弁じた歌です。
    花占い・・マーガレットの花びらを一枚一枚
    ちぎっては「愛している」「愛していない」
    と口ずさんで、最後に残った花びらの時、口
    ずさだ言葉で占いをする。
    夕占いは辻に立って、通る人の状態を見て占
    い、足占いは花占いと同様に一歩一歩、歩く
    度に「今日はあの人に逢える」「逢えない」
    と唱えて目標の地点に着いた時の言葉で吉凶
    を占う。
    
 注・・夕占(ゆうけ)=夕方辻に立って往来の人の話
     を聞き、それによって吉凶・禍福を占う。
    足占(あうら)=足(あし)占い。歩きながら、
     一歩一歩に吉凶の言葉を唱え、目標の地点
     に達した時の言葉で吉凶を占う。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
     大伴旅人の長男。越中守。万葉集の編纂を
     行う。

出典・・万葉集・736。


 君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く
                   額田王
               
(きみまつと わがこいおれば わがやどの すだれ
 うごかし あきのかぜふく)

意味・・あの方のおいでを待って恋しく思っていると、
    家の戸口の簾をさやさやと動かして秋の風が
    吹いている。

    夫の来訪を今か今かと待ちわびる身は、かす
    かな簾の音にも心をときめかす。秋の夜長、
    待つ夫は来ず、簾の音は空しい秋風の気配を
    伝えるのみで、期待から失望に思いは沈んで
    行く。

 注・・屋戸=家、家の戸口。

作者・・額田王=ぬかたのおおきみ。生没年未詳。
    万葉の代表的歌人。

出典・・万葉集・488。


 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも
なしと思へば
                  藤原道長
            
(このよをば わがよとぞおもふ もちづきの かけたる
 ことも なしとおもへば)

意味・・この世の中は自分のためにあると思う。  
    今宵の満月が欠けているところが無いように、
    自分も不満が全く無いことを思うと。

    栄華を極めたわが思いを満月にたとえた王者
    の風格を詠んだ歌です。
    
 注・・望月=満月。

作者・・藤原道長=ふじわらのみちなが。966~1027。
    摂政太政大臣。藤原氏の最盛期を築く。
 
出典・・小右記(しょうゆうき) (笠間書院「和歌の解釈
    と鑑賞辞典」)


な がむらん 浅茅が原の 虫の音を 物思ふ人の 
心とを知れ
                 散逸物語
            
(ながむらん あさじがはらの むしのねを ものおもう
 ひとの こころとをしれ)

意味・・あなたが眺めているであろう浅茅が原で鳴く虫の
    音を物思いに沈んでいる私の心と御承知下さい。

    悲しく泣いている虫の音。それはあなたにつれな
    くされて泣いている私ですよ。可哀想とは思いま
    せんか。

 注・・散逸物語=散逸して現在は無くなってしまった物
     語。
    風葉物語=1271年に撰集された物語歌撰集。源氏
     物語、狭衣物語など、当時多く存在していた物語
     から撰ばれた。
 
出典・・風葉和歌集・295。


 逢ひみても あかぬ信太の 森の露 すえをや千枝に 
ちぎりをかまし       
                 招月正徹
(あいみても あかぬしのだの もりのつゆ すえおや
 ちえに ちぎりおかまし)

意味・・あの人といくら逢っても飽きることがない。
    信太の森の露が千枝の端々に置くように、
    将来を幾重にも約束して置きたいものだ。

    将来の約束を確実にしたい、という気持を
    詠んでいます。

 注・・信太の森=和泉国(大阪)の歌枕。
    すえ=枝の先端と将来の意を掛ける。
    千枝=千重を掛ける。
 
作者・・招月正徹=しょうげつせいてつ。1381~
    1459。室町中期の歌僧。
 
出典・・正徹詠草(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


海ならず 湛へる水の 底までに 清き心は
月ぞ照らさん     
                菅原道真

(うみならず たたえるみずの そこまでに きよき
 こころは つきぞてらさん)

意味・・海どころでなく、さらに深く満ちている
    水の底までも清いというほどに清い私の
    心は、天の月が照らして、明らかに見て
    くれるだろう。

    菅原道真が右大臣の時に讒言(ざんげん)
    により大宰府に配流されて詠んだ歌です。
    心の奥底までの潔白さが誰にも見て貰え
    ない嘆きを、天に恥じない自負の高揚に
    転じて、自らを慰めたものです。

 注・・讒言=事実をまげ人を悪く言うこと。
    海ならず=海どころでなく。
    湛(たた)へる=満ちる、充満する。

作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903年没、
    59歳。従二位右大臣。当代随一の漢学者。

出典・・新古今和歌集・1699。
 


 夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に
こほろぎ鳴くも 
              湯原王
               
(ゆうづくよ こころもしのに しらつゆの おくこの
 にわに こおろぎなくも)

意味・・月の出ている夕暮れ、心がしんみりするほどに、
    白露のおりているこの庭で、秋の虫が鳴いてい
    るよ。

 注・・しのに=しみじみと、しんみりと。
    こほろぎ=当時は今のコオロギ・松虫・鈴虫・
     キリギリスなど秋に鳴く虫を総称した。

作者・・湯原王=ゆはらのおおきみ。生没年未詳。奈良
    時代の人。志貴皇子の子。
 
出典・・ 万葉集・1552。


村雨の 露もまだ干ぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる
秋の夕暮れ      
                     寂蓮法師
        
(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きり
 たちのぼる あきのゆうぐれ)

意味・・ひとしきり降った村雨が通り過ぎ、その雨
    の露もまだ乾かない杉や檜の葉に、早くも
    霧が立ちのぼって、白く湧き上がってくる
    秋の夕暮れよ。

    深山の夕暮れの風景。通り過ぎた村雨の露
    がまだ槙の葉に光っている。それを隠すよ
    うに夕霧が湧いて来て幽寂になった景観を
    詠んでいます。

 注・・村雨=にわか雨。
    露=雨のしずく。
    まだ干ぬ=まだ乾かない。
    槙(まき)=杉、檜、槙などの常緑樹の総称。

作者・・寂蓮法師=じゃくれんほうし。1139~1202。
     俗名は藤原定長。新古今集の撰者の一人。
    従五位上。

出典・・新古今集・491、百人一首・87。
 


時しもあれ 秋やは人の 別るべき あるを見るだに
恋しきものを      
                 壬生忠岑

(ときしもあれ あきやはひとの わかるべき あるを
 みるだに こいしきものを)

意味・・一年の季節もいろいろあるのに、ただでさえ
    もの悲しいこの秋に、人が永の別れを告げて
    いいのだろうか。そうではあるまい。生きて
    元気である友達を見ていても恋しくなるとい
    うのに。

    人の死別した当座のショックに基ずく歌です。

 注・・時しも=時もあろうに。「しも」は上接する
     語を強調する。
    やは=反語の意を表す。・・だろうか、いや
     ・・ではない。
    別る=離別する、死別する。
    ある=生きている、健在である。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。
    従五位下。古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・839。
 
 


 いつとても 恋しからずは あらねども 秋の夕べは
あやしかりけり
                   詠人知らず
              
(いつとても こいしからずは あらねども あきの
 ゆうべは あやしかりけり)

意味・・いつといって恋しくない時はないけれど、特に
    秋の夕暮れというのは不思議に人恋しいもので
    ある。

 注・・あやしかり=不思議なものだ。

出典・・古今和歌集・546。

このページのトップヘ