名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年10月


 思ひやれ 真木のとぼそ おしあけて 独り眺むる
秋の夕暮れ        
                  後鳥羽院
              
(おもいやれ まきのとぼそ おしあけて ひとり
 ながむる あきのゆうぐれ)

意味・・想像して欲しい。真木の戸を押し開けて、
    独り物思いにふけりながら眺める秋の夕暮
    のわびしさを。

    承久の乱(1221年)によって隠岐(おき)に配
    流された無念の気持を詠んでいます。

 注・・真木のとぼそ=杉やヒノキなどで作った戸。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。82
    代天皇。承久の乱で鎌倉幕府に破れ隠岐に配
    流された。

出典・・遠島御百首(岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」)


 秋寒や行く先々は人の家
                   小林一茶

(あきさむや ゆくさきざきは ひとのいえ)

意味・・秋も寒くなって来た。住みつく家もなく
    自分の行く先々はみんな人の家で、頼る
    べき人とてない。秋のわびしさがひとし
    お感じられる事だ。

    41才の時の作で、2年前に父を亡くし、
    流浪の旅の孤独感を感じていた時期です。
    これといって頼みとする人のいないわび
    しさ、寂寞(せきばく)感がただよってい
    ます。親身になってくれる人が欲しいが
    それは出来ない相談。自分自身を頼りに
    生きて行かねばと・・。

作者・・小林一茶=こばやしいっさ。1763~1827。
    農民の出身。3才で母と死別、38才で
    父と死別。奉公生活に辛酸をなめた。

出典・・享和句帳。


 むばたまの わが黒髪は 白川の みつはくむまで
なりにけるかな
                檜垣の嫗
 
(むばたまの わがくろかみは しらかわの みつは
 くむまで なりにけるかな)

意味・・私の黒髪も白くなり、歯もぬけた老人になっ
    てしまいました。使用人もいなくなり白川で
    自ら水を汲むような落ちぶれた身分になった
    ものです。
    女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
    にも)知る人には会いたくないのです。

    昔の檜垣御前の名声に好奇心をもった小野好
    古(よしふる)が大宰府にやって来た時、消息
    を訪ねていたのに応えて詠んだ歌です。

    「大和物語」に檜垣御前の話がのっています。
    華やかな過去を有する女性が、年老いて後の
    自分の落ちぶれた姿を人目にさらすのを恥じ
    貴人の招きに応じなかったという逸話です。
    (あらすじは下記参照)      
       
 注・・むばたまの=ぬばたまの、と同じ。黒・髪な
     どにかかる枕詞。
    白川=熊本県の有明海に注ぐ川。「髪が白い」
     を掛ける。
    みつはくむ=三つ歯組む。歯が多く欠落した
     老人の顔相。「水は汲む」を掛ける。
    
作者・・檜垣の嫗=ひがきのおうな。生没年未詳。筑紫
     (福岡県・九州の総称)に住んでいながら色好
     みの美人として都の人にも知られていた女性。

出典・・後撰和歌集・1219。

大和物語・126段のあらすじです。
    純友(すみとも)の乱の時、伊予で朝廷に反乱
    を起し、また博多を襲った藤原純友の一党を
    征伐をする為に小野好古が追捕使として筑紫
    に赴きます。
    一方、檜垣御前は純友の博多襲撃の余波を受
    けて家を焼かれ、家財道具も失い、零落した
    姿であばら家に住んでいます。
    才気に富んだ風流な遊君であったとの檜垣御
    前の名声に好奇心を動かしていた小野好古が
    大宰府の巷間を探し求めたが消息が知れない。
    ある時、白川の畔(ほとり)で水を汲んでいる
    老女を、土地の人からあれが檜垣御前だと教
    えられ、好古の館へ招いてみたのだが、女は
    自分の老残の姿を恥じて参上せず。ただ、歌
    を詠んで届けてよこした。
    「むばたまのわが黒髪は白川のみつはくむまで
    なりにけるかな」
    女性がこんな老いた姿では、昔の私を(間接
    にも)知る人には会いたくないのです。

 注・・純友の乱=藤原純友は、西国で海賊討伐を命ぜ
     られていたが、936(承平6)年、自ら海賊を率
     いて朝廷に反抗、瀬戸内海横行の海賊の棟梁
     となり略奪・放火を行い、淡路・讃岐の国府、
     大宰府を襲う。941(天慶4)年 小野好古らに
     よって反乱は鎮圧され、純友は敗死した。


 おほかたの 秋来るからに わが身こそ かなしき
ものと 思ひ知りぬれ             
                   詠人知らず
                 
(おおかたの あきくるからに わがみこそ かなしき
 ものと おもいしりぬれ)

意味・・誰の上にも来る秋が来ただけなのに、私の
    身の上こそ誰にもまして悲しい事だと思わ
    れて来る。

    実りの秋、収穫の秋、清々しく気持ちの良
    い秋のはずなのだが。主役を終え一線を退
    いた者にしては、草木が枯れ始め寂しく、
    また厳しい冬が近づく事が、自分の身体に
    あわさって悲しく感じて来るのだろうか。

 注・・おほかた=世間一般。普通であること。
    わが身こそ=私の身の上こそ。「こそ」は
    「おほかた」の人の中でも自分一人が特に。

 出典・・古今和歌集・185。


 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず
いねにけらしも    
                舒明天皇

(ゆうされば おぐらのやまに なくしかは こよいは
 なかず いねにけらしも)

意味・・夕方になると何時もきまって小倉山で鳴く
    鹿が、今夜はまだ鳴かない。たぶんもう寝
    てしまったのだろうなあ。

    時を定めて鳴く鹿の声を聞いていると、又
      鹿の鳴くのを心待ちするものです。その待
    っている声が、いつもの時刻になっても聞
    えないのはなんだか心寂しいものです。
    どうしたのかなあと気にかかる。そういう
    気持を詠んでいます。

 注・・小倉山=奈良県桜井市内にある山。

作者・・舒明天皇=じょめいてんのう。593~641。
    34代天皇。

出典・・万葉集・1511。


 露と散り 雫と消える 世の中に 何と残れる
心なるらん
                豊臣秀吉

(つゆとちり しずくときえる よのなかに なんと
 のこれる こころなるらん)

意味・・人生は露のようにはかなく、また雫のようにあっけ
    なく消えるものと知っているものの、やはり死が近
    づくと後に残った幼い子のことが気掛かりになって
    来る。死にたくない。
    
    秀吉の子、秀頼はまだ5歳で跡継ぎになるまで10年
    はかかるが、それまで政権の委譲が出来るように安
    定していて欲しいものだ、という気持ちを詠んでい
    ます。辞世の歌といわれています。

作者・・豊臣秀吉=とよとみひでよし。1536~1598。木下
    藤吉郎と称して織田信長に仕え、その後天下を統一
    した。

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の
惜しくもあるかな       
                 右近

(わすらるる みをばおもわず ちかいてし 
 ひとの いのちの おしくもあるかな)

意味・・あなたに忘れられる私の身を、少しも私は
    辛(つら)いとは思いません。ただ、私への
    愛を神に誓ったあなたの命が、神罰を受け
    て縮まるのではないかと、惜しまれるので
    す。

    当時は神仏に対する信仰が強く、神に誓っ
    た愛を破ると神罰が下って命を失うに違い
    ないと信じられていた。
    相手の男に捨てられながらも、なおその男
    の身を案じるという、愛を捨てることの出
    来ない悲しみが詠まれた歌です。

 注・・忘らるる=恋をしている相手の男性に忘れ
     られる。
    誓ひてし=いつまでも心変わりせずに愛す
     ると、神かけて約束した。
    惜しく=失うのにしのびない。男が神罰を
     こうむって命を落とすことを心配する。

作者・・右近=うこん。生没未詳。十世紀前半の女
    性歌人。

出典・・拾遺和歌集・870、百人一首・38。


 鳴き弱る 籬の虫も 止めがたき 秋の別れや 
かなしかるらむ
                紫式部

(なきよわる まがきのむしも とめがたき あきの
 わかれや かなしかるらん)
 
詞書・・その人、遠きところへ行くなり。秋の果つる
    日来たるあかつき、虫の声あはれなり。

意味・・垣根のキリギリスの鳴き声が弱まっている。
    それにつけても秋の別れを止めることは出来
    ないものだなあ。

    秋の虫の鳴き声が弱まって、秋も終わろうと
    している寂しさを詠んでいます。
    なお、題意により、仲の良い友が遠くに嫁ぎ、
    別れの寂しさも重ねています。

 注・・籬(まがき)=竹や柴で粗く編んだ垣根。
 
作者・・紫式部=むらさきしきぶ。970~1016。
 
出典・・家集「紫式部集」。
 


 山城の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ
秋は散りけり
               柿本人麻呂
          
(やましろの くせのさぎさか かみよより はるは
はりつつ あきはちりけり)

意味・・ここ山城の久世の鷺坂では、神代の昔からこの
    ように春には木々が芽ぶき、秋になると木の葉
    が散って、時は巡っているのである。
 
    たえず往還する鷺坂の景が、いつの年にも規則
    正しく季節に応じて変化する様を、神代の昔か
    ら一貫してこうだったのだと感動した歌です。

注・・山城の久世の鷺坂=京都府城陽市久世神社の坂。
   萌(は)り=春に草木の芽や蕾がふくらむこと。

出典・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年未詳。
    710年頃の宮廷歌人。

出典・・万葉集・1707。


 行く水は 堰けばとまるを 紅葉ばの 過ぎし月日の
また返へるとは         
                  良寛

(ゆくみずは せけばとまるを もみじばの すぎし
 つきひの またかえるとは)

意味・・流れる水は堰き止めれば止まるのに、過ぎて
    しまった月日が再び戻ってくるとは聞いた事
    がないなあ。

    堰で秋を留めると詠んだ歌として、
    「落ちつもる紅葉を見れば大井川いせきに秋
    もとまるなりけり」があります。
              (意味は下記参照)

    うかうかしていると、生き生きとした盛んな
    年頃は過ぎ去って行く。二度と同じ月日はも
    う戻って来ない。

 注・・紅葉ばの=「過ぎ」の枕詞。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・谷川敏朗著「良寛全歌集」。

参考歌です。
落ちつもる 紅葉を見れば 大井川 ゐせきに秋も
とまるなりけり    
                 藤原公任
意味・・大井川の堰(いせき)に散り落ちて積もっている
    紅葉をみると、堰は水をせき止めるだけでなく
    紅葉を止め、秋という季節もここに止めている
    のであった。

    冬になったが、まだいせきに秋は残っている
    という事を詠んでいます。

 注・・ゐせき=堰。水をせき止める施設。

作者・・藤原公任=ふじわらのきんとう。966~1041。
    正二位権大納言。三船の才と言われて詩歌管弦
    の三方面の才能を兼備していた。和漢朗詠集を
    撰集した。

出典・・後拾遺和歌集・377。
 

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