名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年11月


 照る月の 冷えさだかなる あかり戸に 眼は凝しつつ
盲ひてゆくなり
                   北原白秋
             
(てるつきの ひえさだかなる あかりどに めは
 こらしつつ しいてゆくなり)

意味・・ガラス戸に照っている月の光がいかにも冷え
    冷えとした冷たい感じなのは、盲(めし)いて
    ゆく眼にもはっきり分かるのだが、この冷え
    冷えしたガラス戸を、よく見えない眼で見つ
    めながら、この冷たい世界で、だんだん自分
    は盲人になってゆくのだ。

    眼底出血して入院している時に詠んだ歌です。
    失明への恐れという事態になって自分の気持
    を整理しています。
    
 注・・さだかなる=はっきりしているの意。
    あかり戸=明かりをとる戸の意でガラス戸。
    凝(こら)しつつ=「凝す」はじっと見つめる。
    盲(し)ひて=「しふ」(廃ふ)は器官の働きが
     なくなる意。「盲」は「めしひて」と読む
     べきだが、リズムの上で「め」をはぶいた
     もの。

作者・・北原白秋=きたはらはくしゅう。1885~19
    42。近代詩歌にすぐれた仕事を残す。詩集
    「邪宗門」歌集「桐の花」「黒檜」。

出典・・歌集「黒檜・くろひ」(笠間書院「和歌の解
    釈と鑑賞事典」)


 水鳥の 立ちの急ぎに 父母に 物言ず来にて
今ぞ悔しき      
               有度部牛麻呂
             
(みずとりの たちのいそぎに ちちははに ものはず
 きにて いまぞくやしき)

意味・・水鳥が飛び立つ時のような、旅立ちの慌(あわ
    ただ)しさにまぎれ、父母にろくに物を言わず
    に来てしまって、今となって何とも悔しくて
    ならない。

    慌しく防人として連れ出された心残りを詠んだ
    歌です。

 注・・水鳥=「立ち」の枕詞。
    物言(ものは)ず来て=「物言(ものい)はず来て」
     の訛り。言い残したことが多い。
    防人=上代、東国から送られて九州の要地を守っ
     た兵士。
    
作者・・有度部牛麻呂=うとべのうしまろ。生没年未詳。
    防人。

出典・・万葉集・4337。 


 木の葉ちる 宿は聞きわく ことぞなき 時雨する夜も
時雨せぬ夜も      
                   源頼実

(このはちる やどはききわく ことぞなき しぐれ
 するよも しぐれせぬよも)

意味・・風が吹くたびに、屋根に木の葉の散る音がする。
    まるで通り雨の音のようだ。この家では、聞き
    分けるすべもないな。時雨が降る夜も、降らな
    い夜も。

    落ち葉雨の如し、を詠んだ歌です。

 注・・時雨=秋から冬にかけて、降ったり止んだり
     する小雨。

作者・・源頼実=みなもとのよりざね。生没年未詳。
    後朱雀院に仕え、蔵人左衛門小尉となる。

出典・・後拾遺和歌集・382。


来ん世には 心の中に あらはさん あかでやみぬる
月の光を
                 西行 

(こんよには こころのうちに あらわさん あかでや
 みぬる つきのひかりを)

意味・・来世には心の中に現そう。この世ではいくら
    見ても見飽きることのなかった月の光を。

    月輪観(がちりんかん)を詠んでいます。「求
    道者が、己の心は円満な月の如く、円満清浄
    であって、その光明があまねく世界を照らす
    と観ずる法をいう。密教では誰もが本来仏性
    を具有すると説く。その仏性は様々なものに
    邪魔されて普段は隠れているけれども、努力
    して障害を取り除けば本有の仏性が現れて、
    誰でも覚者になり得ると教える。この本有の
    仏性を心月輪(しんがちりん)ともいう」、すな
    わち「行者が自己の内奥に満月の如く輝く仏
    性が存在することを自覚するための観法」。

 注・・心の中にあらはさん=心中に月を現ずる。心
     月輪(しんがちりん)。心が月のごとく円満
     清浄に輝いていると自覚すること。月輪観
     による表現。
    あかでやみぬる=この世で最後まで見飽きず
     に終わったの意。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
     清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
     1140年23歳で財力がありながら出家。出家
     後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
     陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
     仏者として修行する。家集「山家集」。

出典・・千載和歌集・1023。
 


 受け継ぎて 国の司の 身となれば 忘るまじきは 
民の父母
                 上杉鷹山

(うけつぎて くにのつかさの みとなれば わするまじきは
 たみのちちはは)

意味・・米沢藩の藩主となったが、藩主の決意として忘れては
    ならないのが、民は自分の子供として、我が子を思う
    父母の立場で藩政を司る事である。

    側近の細井平洲は「人の父母と申すものは、子どもを
    不憫(ふびん)に思って、我が身が飢え凍える苦しみ
    よりは、子どもらの飢え凍えるのを悲しむというのが
    人情であります。従って、君が人の上に立ち、一国の
    民を子と思われるのであれば、君一人だけが安楽に
    いようなどとの心はなくなるはずのものでございます」
    と言っています。
    これを鷹山が藩主として誓いの言葉として歌に詠んだ
    ものです。

作者・・上杉鷹山=うえすぎようざん。1751~1822。米沢藩
    の藩主。


 命にも まさりて惜しく あるものは 見果てぬ夢の
覚むるなりけり     
                  壬生忠岑

(いのちにも まさりておしく あるものは みはてぬ
 ゆめの さむるなりけり)

意味・・命は惜しいものであるが、それにもまして
    惜しいのは、思う人との楽しい逢瀬の夢を
    おしまいまで見ないうちに、それが覚めて
    しまうことであった。

    詞書に「昔、ものなど言ひ侍りし女の亡く
    なりしが、夢に暁がたに見えて侍りしを、
    え見はてで覚め侍りにしかば」とあります。
    愛人の夢は惜しいが、ことに今は亡き昔の
    愛人で、その思いも強かったことでしょう。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。
    従五位下。古今集撰者の一人。

出典・・古今和歌集・609。
 


 津の国の 難波の春は 夢なれや 葦の枯葉に
風渡るなり           
                西行

(つのくにの なにわのはるは ゆめなれや あしの
 かれはに かぜわたるなり)

意味・・津の国の難波のあの美しい春景色は
    夢だったのであろうか。今はただ、
    葦の枯葉に風が渡ってゆくばかりで
    ある。

    能因法師の「心あらん人にみせばや
    津の国の難波あたりの春のけしきを」
    を本歌としています。           
              (意味は下記参照) 
  
 注・・津の国の難波=摂津の国の難波の浦。
     今の大阪市。
    夢なれや=夢であったのか。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。
    新古今集には一番入選歌が多い。
 
出典・・新古今和歌集・625。

本歌です。
心あらむ 人にみせばや 津の国の 難波あたりの
春の景色を              
                 能因法師
(こころあらむ ひとにみせばや つのくにの なにわ
 あたりの はるのけしきを)

意味・・情趣を理解するような人に見せたいものだ。
    この津の国の難波あたりの素晴しい春の景色を。
    心あらん(好きな)人の来訪を間接的に促した歌です。
 
作者・・能因法師=のういんほうし。988~?。1014年頃
    出家。中古三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・43。


 何すかと 使の来つる 君をこそ かにもかくにも
待ちかてにすれ
                大伴四綱

(なにすかと つかいのきつる きみをこそ かにも
 かくにも まちかてにすれ)

意味・・どんなつもりで使いなんかよこすのだろう。
    何をおいてもあなたをこそ、今や遅しと待ち
    かねているのです。

    皆が来るのを期待して待っている人なのに、
    宴席に出席出来ないという連絡を受けて詠ん
    だ歌です。

 注・・かにもかくにも=ともかくも。
    かてに=・・・出来ないで。
 
作者・・大伴四綱=おおとものよつな 。738年防人司
    の次官。
 
出典・・万葉集・629。


 若竹の 生い行く末を 祈るかな この世を憂しと
いとふものから
                紫式部

(わかたけの おいゆくすえを いのるかな このよを
 うしと いとうものから)

意味・・いやなことばかりの世の中。でも今はこの子が
    若竹のようにすくすく生きてくれますようにと
    ひたすら祈ります。

    幼児が熱をだしたので、疫病の兆候ではないか
    と心配して、祈って詠んだ歌です。

 注・・若竹=その年に生えた竹。ここでは我が児を暗
     示している。
    憂し=つらい、憂鬱。
    いとふ=厭う、嫌う。

作者・・紫式部=むらさきしきぶ。970~1016。源氏物
    語の作者。
 
出典・・紫式部集。


紅葉ばの 過ぎにし子らが こと思へば 欲りするものは
世の中になし             
                   良寛

(もみじばの すぎしこらが こともえば ほりする
 ものは よのなかになし)

意味・・亡くなってしまった愛(いと)しい子供のことを
    思うと、その悲しみのために、欲しいと思うも
    のはこの世の中に何ひとつとして、ないことだ。

    本歌は、
    「紅葉ばの過ぎにし子らとたづさわり遊びし磯を
     見れば悲しも」です。  (万葉集・1796) 

    (死んでしまった子供と、手を取り合って遊んだ
     磯を見ると悲しいことだ。)

 注・・紅葉ば=「過ぎ」の枕詞。
    過ぎ=時がたつ、終わる、死ぬ。
 
作者・・良寛=1758~1831。
 
出典・・谷川敏朗著「良寛全歌集」。

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