名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2019年12月


 たらちめは かかれとてしも むばたまの わが黒髪を
なでずやありけむ
                    遍照 

(たらちめは かかれとてしも むばたまの わが
 くろかみを なでずやありけん)

意味・・私の母はよもやこのように出家剃髪せよと
    言って、私の黒髪を撫でいつくしんだので
    はなかったろうに。

    詞書により、出家直後に詠んだ歌です。
    出家直後の悔恨に近い複雑な心情が、母親
    へのいとおしさとともに詠まれています。

 注・・たらちめ=母の枕詞。母。
    かかれ=斯かれ。このような。
    出家=家庭生活をも捨てて仏門に入る事。
     仏門では5戒とも250戒とも言われる戒
     を修行して解脱への道を求める。

作者・・遍照=へんじょう。814~890。僧正。3
    6歳の時に出家。

出典・・後撰和歌集・1240。

書かざりし日のあざやかに日記果つ
                    田口紅子

(かかざりし ひのあざやかに にっきはてつ)

意味・・日記が一冊終わりました。振り返ってページを
    繰っていると、白紙の日が幾日かあります。書
    けない事があったわけではありません。書かな
    かったのです。日記に残さなくても決して忘れ
    ることのない一日です。
 
      書かなかった事の一例。
    今日の出来事は一生忘れられない。日記に書か
    なくても忘れたくても忘れられない。
    生まれて一ヶ月の乳児の検診に行って診て貰う
    と、医者からむごい事を言われた。「赤ちゃん
    の耳は聞こえてないですね」。「本当ですか、
    間違いじやないですか」「いや、本当に聞こえ
    ていません」「治りますか」「治らないでしょ
    う」。
    どうしたらいいのだろう。一晩中泣き明かして
    も気が治まらない。

作者・・田口紅子=たぐちべにこ。1948~ 。鷹羽狩
    行に師事。1981年毎日歌壇嘗受賞。

出典・・メールマガジン・黛じゅん『愛の歳時記』


いまぞ知る 人をも身をも 恨めしは 我がをろかなる
心なりけり 
                  藤原良基

(いまぞしる ひとをもみをも うらめしは わが
 おろかなる こころなりけり)

意味・・今となって初めて理解できたよ。他人をそして
    自分を恨んだりしたのは、私の愚かな心のなせ
    ることだったと。

    利己的利害にとらわれて、種々の軋轢(あつれき)
    を生じていた頃を述壊しての作と思われます。

作者・・藤原良基=ふしわらのよしもと。1320~1388。
    南朝と北朝の対立が激しい時代の北朝の摂関職に
    あった。

出典・・岩波書店「中世和歌集・室町篇」。
 


 淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに
古思ほゆ
                柿本人麻呂

(おうみのみ ゆうなみちどり ながなけば こころも
 しのに いにしえおもほゆ)

意味・・近江の湖の夕べの波の上を飛ぶ千鳥よ、お前が
     鳴くと、心もしおれて昔のことが(繁栄していた
     頃の都が)思われることだ。

    壬申の乱後、荒れた近江の都を過ぎる時に詠んだ
    歌です。

 注 ・・淡海の海=近江の海、すなわち琵琶湖のこと。
    情(こころ)もしのに=心もしおれなびくように。
    古思ほゆ=昔のことが思われる。「古」は、今は
     廃墟と化したこの地に、壮麗な大津の宮があっ
     た時代をさしている。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年未詳。

出典・・万葉集・266。


 楽しみは 書よみ倦める をりしもあれ 声知る人の 
門たたく時 
                   橘曙覧

(たのしみは しょよみうめる おりしもあれ こえ
 しるひとの かどたたくとき)
 
意味・・私の楽しみは、読書にそろそろ飽きてきたちょうど
    その時、声を聞いただけで、ああ、あの人だと分か
    る知り合いが、我が家の戸をたたいて訪ねた時です。

    似た心境として、
    長く仕事を続けていると疲れてくる。ここで一息入
    れたいところだ。でも、あともう少しあともう少し
    と思いながら仕事を進めるが、余りはかどらない。
    この時コーヒータイムしませんかと誘われると踏ん切
    りがつく。誘ったり誘われたり、こういう人間関係
    を持つことは楽しいものだ。

 注・・倦める=飽きる。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く父母
    に死別。家業を異母弟に譲り隠棲した。福井藩の重
    臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。


わがまたぬ 年は来ぬれど 冬草の かれにし人は
おとづれもせず 
                 凡河内躬恒

(わがまたぬ としはきぬれど ふゆくさの かれにし
 ひとは おとずれもせず)

意味・・私が待ってもいない新年はもはや目の先
    まで来てしまったが、今時の枯葉同様に
    離(か)れてしまったお方は、訪問はおろ
    か手紙も下さらない。

    年をとると知友を懐かしむ気持ちになり、
    また、新年になるとまた年をとってしま
    うのか、という気持ちです。

 注・・冬草の=「かれ」に掛かる枕詞。
    かれ=「枯れ」と「離れ」を掛ける。
    おとづれ=便りをする。訪問をする。

作者・・凡河内躬恒=おうしこうちのみつね。
    生没年未詳、900年前後に活躍した人。
    古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・338。


 かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山
おもひでの川
                石川啄木
             
(かにかくに しぶたみむらは こいしかり おもいでの
 やま おもいでのかわ)

意味・・とにかくも故郷の渋民村が恋しい。あの思い出の
    岩手山と姫神山よ。あの思い出の北上川の清流よ。

    少年時代、朝夕仰いだ岩手山と姫神山の麗峰と北
    上川の清流は、たえず啄木の脳裏にあって、東京
    時代の都会の苦しい現実にあえぐ心を慰めてやま
    なかった。

 注・・かにかくに=とにかくも。
    おもひでの山=岩手山(岩手富士の愛称を持つ、
     2041m)と姫神山(1125m)。
    おもひでの川=北上川。延長369キロ。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
    歳。岩手県生まれ。盛岡中学を中退後上京。代用
    教員や地方の新聞記者を経て朝日新聞の校正係り
    の職につく。

出典・・一握の砂。


 山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 
母かとぞ思ふ
                 行基菩薩
            
(やまどりの ほろほろとなく こえきけば ちちかとぞ
 おもう ははかとぞおもう)

意味・・山鳥がほろほろと鳴く声を聞いていると、父が
    呼ぶ声かとも母が呼ぶ声かとも思われまことに
    なつかしい。

    今は亡き父や母の慈愛をしのぶ歌です。

 注・・山鳥=キジ科の野鳥。

作者・・行基菩薩=ぎょうきぼさつ。668~749。大僧正。

出典・・玉葉和歌集。


 思わじと 思うも物を 思うなり 思わじとだに
思わじやきみ         
                沢庵

(おもわじと おもうもものを おもうなり おもわじ
 とだに おもわじやきみ)

意味・・思うまいと思い込むことも、そのことに
    とらわれて思っているということなので
    す。思うまいとさえ思わないことです。

    「思」の語を重ねて詠んだ歌として、
    「思ふまじ 思ふまじとは 思へども思
    ひ出して袖しぼるなり」があります。
     (意味は下記参照)

作者・・沢庵=たくあん。1573~1645。大徳寺
    の僧。

参考歌です。
思ふまじ 思ふまじとは 思へども 思ひ出だして
袖しぼるなり          
                 良寛

意味・・亡くなった子を思い出すまい、思い出すまい
    とは思うけれども、思い出しては悲しみの涙
    で濡れた着物の袖を、しぼるのである。

    文政2年(1819年)に天然痘が流行して子供が
    死亡した時の歌です。


 野に生ふる 草にも物を 言はせばや 涙もあらむ
歌もあるらむ
                  与謝野鉄幹
            
(のにおうる くさにもものを いわせばや なみだも
 あらん うたもあるらん)

意味・・野に生えている、物を言わない草にも出来れば
    物を言わせたいものだ。そうすれば草にも涙も
    あるだろうし、歌もあるであろう。

    野の草は表情を外に出さないが、その身になる
    と喜びや悲しみもあり、物に感じて流す涙を持
    つだろうし、感動して歌いだしたくなる歌を内
    にたたえているであろう、と想像して詠んでい
    ます。

 注・・言はせばや=言わせたいものだ。「ばや」は
     希望を表す助詞。

作者・・与謝野鉄幹=よさのてっかん1873~1935。
    与謝野晶子と共に浪漫主義文学の運動の中心と
    なる。

出典・・歌集「東西南北」。

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