名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年01月


 里人の 裾野の雪を 踏分けて ただ我がためと 
若菜つむらん
               後鳥羽院

(さとびとの すそののゆきを ふみわけて ただわが
 ためと わかなつむらん)

意味・・村里の人が山の裾野の雪を踏み分けて、若菜を摘んで
    いるが、ただもう自分が生きてゆくためにと摘むので
    あろうか。

    「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣手に雪は
     降りつつ」(意味は下記参照)を念頭に置きつつ、
     そのように人のために摘む風流な若菜では無いと
     詠んだ歌です。

 注・・若菜=せりやなずななど、食用や薬用の草の総称。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。承久の乱で
    隠岐に流された。新古今和歌集の撰集を下命。

出典・・遠島百首(岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」)

参考歌です。

君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に
雪は降りつつ
                  光考天皇

意味・・あなたに差し上げるために春の野に出て若菜を摘む
    私の袖には雪がしきりに降りかかっているのです。

    雪と寒さを押して摘んだ自分の志を伝えています。

作者・・光考天皇=こうこうてんのう。820~887。

出典・・古今和歌集・21、百人一首・15。


いのちながらへて 還るうつつは 想はねど 民法総則と
いふを求めぬ
                     吉野昌夫

(いのちながらえて かえるうつつは おもわねど みんぽう
 そうそくと いうをもとめぬ)

意味・・大学生も招集という事態にとなり、学業を捨てて入隊
    する事になったため、帰還を望むという情況ではない
    のだが、縁があって「民法総則」を買い求める事が出
    来た。

    学徒出陣の時は、東大農業経済学科の学生であった。
    当時は書店に本が並んでいる状態ではなく、教授に頼
    んでやっと買えたものです。

 注・・うつつ=現。現実、現にあること。

作者・・吉野昌夫=よしのまさお。1922~2012。東大農業経
    済学科卒。木俣修に師事。

出典・・歌集「遠き人近き人」(馬場あき子篇著・現代秀歌百人
    一首」。 


 涙やは 又もあふべき つまならん 泣くよりほかの 
なくさめぞなき
                 藤原道雅
             
(なみだやは またもあうべき つまならん なくより
 ほかの なぐさめぞなき)
 
意味・・涙というものは再び逢えるきっかけになる
    ものだろうか、いやそうではない、なのに
    泣けば心が慰められる。今はもう泣くこと
    以外の慰めはないことだ。

 注・・やは=反語の係助詞。・・だろうか、いや
     ・・ではない。
    つま=端。端緒、手がかり、きっかけ。

作者・・藤原道雅=ふじわらのみちまさ。993~10
    54。左京大夫・従三位。

出典・・後拾遺和歌集・742。


 みよしのの 山の白雪 踏み分けて 入りにし人の
おとづれもせぬ       
                 壬生忠岑

(みよしのの やまのしらゆき ふみわけて いりにし
 ひとの おとづれもせぬ)

意味・・俗世を逃れてみ吉野の山の白雪を踏み分けて入っ
    た人が、帰って来ないばかりでなく、便りもくれ
    ないとは、いったいどうしたわけなのだろうか。

    寒さの厳しい山で住む友を思いやる気持を詠んだ
    歌です。
    当時、次の歌のように、吉野山は、俗世を逃れ住
    む別天地でもあった。
    
    み吉野の 山のあなたに 宿もがな 世の憂き時の
    かくれがにせむ   (古今集 詠み人知らず)

   (山深い吉野山の、さらに向うに、宿でも欲しいもの
    である。この世がいやになった時の隠れ家にしたい
    と思うので)

 注・・みよしの=吉野は奈良県南部の地、「み」は美称。
      ここでは、世を逃れる人の入る山。
    入りにし人=山に入って、そのまま出家した人
    おとづれ=音信、たより。

出典・・古今和歌集・327。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。910年
    頃活躍した人。古今集の撰者の一人。


 ほがらかに をさなき吾が児が 笑ふなべ 笑はむとすれば 
咳いでむとす
                    古泉千樫
                 
(ほがらかに おさなきわがこが わらうなべ わらわんと
 すれば せきいでんとす)

詞書・・病床雑詠。

意味・・安静して寝ているものにとっては、子供の声は唯一
    のなぐさめである。なにが原因で笑うのか知らない。
    ただもうおかしくておかしくて笑いこけている。無心
    にほがらかなその声を耳にすると、自分までがつい
    つり込まれて笑い出したくなってしまう。しかし
    その刺激はすぐに咳を誘発してしまう。一瞬にして
    深い悲しみがわきあがって来る。

作者・・古泉千樫=こいずみちかし。1886~1927。41歳。
    伊藤左千夫門下。小学校教員。

出典・・歌集「青牛集」。


 此木戸や 錠のさされて 冬の月
                    宝井其角
                 
(このきどや じょうのさされて ふゆのつき)

意味・・夜も更けてほとんど人通りの絶えた刻限である。
    大木戸の門はすでに閉ざされており、空には寒々
    とした冬の月が冴えわたっている。

        門限に間に合わなかった、遠回りして別の道を通
    り帰らねばならないのか。この寒い夜に。残念!

 注・・木戸=城戸・城門で、城や柵に設けた門である
     が、ここでは江戸時代市街地の通路に警備の
     ために設けた門。夜十時以降はこれを閉ざし
     て一般の通行を禁じた。

作者・・宝井其角=たからいきかく。1661~1707。母
    の性、榎本と称していたがのちに宝井と改めた。
    医術・儒学を学ぶ。15歳頃芭蕉に入門。
 
出典・・猿蓑。


 大という 字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて
帰り来れり
                 石川啄木

(だいという じをひゃくばかり すなにかき しぬことを
 やめて かえりきたれり)

意味・・大という字を百あまりも砂に書いているうちに
    心も慰んで、自殺することをやめて帰って来た。

    大,大・・大空、大海・・大きな山、川、家・・
    大きい・気持ち、態度、振る舞い、器、考え・・
    大きな財産、大きな力・・。

    私は若い。若いということは未来がある。それ
    だけですでに大きな財産だ。大きな力だ。苦労
    や悲しみもあろうが希望もあり楽しみもあるも
    のだ。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
      26歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻
    に師事するために上京。

出典・・歌集「一握の砂」。

たらちねの 母が手離れ かくばかり すべなきことは
いまだせなくに
                   詠み人知らず

(たらちねの ははがてはなれ かくばかり すべなき
 ことは いまだせなくに)

意味・・母さんの手を離れ物心ついてからというもの、
    こんなにもせんない思いは、いまだかってした
    ことがありません。

    母を頼り、母に甘え、なにもかも母に相談して
    いた時代はもう過ぎてしまった。今は私は子供
    ではない。色々なことを自分で判断し解決する
    娘時代になったのだ。それにしても、この胸の
    もやもやとせつなさはどうしたのだろう。この
    やるせなさは、母の手を離れて初めて経験する
    気持ちだ。

    この歌には「恋」とか「ものを思う」という言
    葉など、なにも使っていないが「かくばかりす
    べなきこと」が「恋はすべなし・好きな人を思
    ってどうしようもない」ということであり恋の
    歌です。

 注・・たらちねの=「母」の枕詞。
    母が手=母の養育。
    すべなき=途方にくれるさま、どうしようもない。

出典・・万葉集・2368。


 たのめつつ 逢はで年経る 偽りに 懲りぬ心を
人は知らなん
                 藤原仲平
            
(たのめつつ あわでとしふる いつわりに こりぬ
 こころを ひとはしらなん)

意味・・そのうちに逢いましょうと何度も期待をさせて
    逢いもしないで歳月を過ごすという偽りにも、
    懲りずにお慕いする私の心をあなたは知ってい
    ただきたいものです。

 注・・たのめつつ=頼りにさせる、期待させる。

作者・・藤原仲平=ふじわらのなかひら。875~945。
    左大臣。

出典・・後撰和歌集・967。


 是がまあ つひの栖か 雪五尺
                       一茶
                   
(これがまあ ついのすみかか ゆきごしゃく)

意味・・長い漂泊の果てに、ようやく帰り住むこととなった
    故郷である。しかし、いま眼前に見る五尺の雪、こ
    の雪の中で自分のこれからの余生を過ごすのかと思
    うと、芯の底から深いため息がわいてくる。

    文化9年(1812)、一茶50歳の冬、継母・義弟との遺
    産相続問題の解決の為に帰郷した時の作。故郷柏原
    に定住、放浪生活に終止符を打つことになった。

 注・・是がまあ=嘆声を示す。
    つひの栖=最後の落ち着き場所。死に場所。

作者・・一茶=いっさ。1763~1827。長野県柏原の農民の
    子。亡父の遺産を巡る継母・義弟との長い抗争の果
    てに、51歳で故郷に帰住。

出典・・七番日記。

このページのトップヘ