名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年02月


一夜寝ば 明日は明日とて 新しき 日の照るらむを
何か嘆かむ
                 半田良平 

(いちやねば あすはあすとて あたらしき ひのてる
 らんを なにかなげかん)

意味・・つらい苦しいことの連続の日だか、一晩寝たら
    明日は明日で新しい日が照るであろう。だから
    どうして嘆いたりしょうか。    
 
    作者には三人の息子がいた。昭和17年に次男を
    昭和18年に長男を肺結核で失う。昭和20年には
    三男を戦死で失い、自分も肋膜を病んで病臥し
    ていた。この頃に詠んだ歌です。明るさのない
    苦難の続く日々であるが、それでも明日を信じ
    て「新しき日の照る明日」と希望を持って生き
    抜く。「明日は明日の風が吹く」明日は明日で
    なるようになるのだから、くよくよしても始ま
    らない。嘆いたりはしないぞ。

作者・・半田良平=はんだりょうへい。1887~1945。
     生涯私立東京中学に勤務。窪田空穂に師事。
     
出典・・歌集「幸木」。


 いざ子ども 早く大和へ 大友の 御津の浜松 
待ち恋ひぬらむ
                 山上憶良

(いざこども はやくやまとへ おおともの みつの
 はままつ こひぬらむ)

意味・・さあ人々よ、早く日本へ帰ろう。今頃はきっと
    御津の浜松が我々を待ちこがれていることだろ
    う。
    
    山上憶良が遣唐使の随員として中国に滞在した
    時に、故国日本を恋い慕って詠んだものです。
    大きな仕事を成し遂げた安堵感、そしてその宝
    物を早く持ち帰り皆に見せてやりたいという願
    望が込められています。

 注・・いざ子ども=目下の者への呼びかけ。
    早く大和へ=早く日本へ帰ろう。
    大友の御津=大阪湾難波にある港、遣唐船が発
     着した。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。
    遣唐使として渡唐。
 
出典・・万葉集・63。


 降りつみし 高ねのみ雪 解けにけり 清滝川の
水の白波
                  西行 

(ふりつみし たかねのみゆき とけにけり きよたき
 がわの みずのしらなみ)

意味・・降り積もった高嶺の雪が解けたのだなあ。清滝川
    の水が烈しく立てている白波は。

 注・・み雪=「み」は語調を整える接頭語。
    清滝川=京都の愛宕山の東を南流し大井川に合流。

作者・・西行=さいぎょう。1118~119。

出典・・新古今和歌集・27。


 梅遠近 南すべく 北すべく
                  蕪村
               
(うめおちこち みんなみすべく きたすべく)

意味・・梅の開花の知らせが近隣からも遠方からも
    届いた。さて南の梅を見に行こうか、それ
    とも北へ行こうか。忙しい春になったぞ。

 注・・遠近(おちこち)=遠い所近い所、あちこち。

作者・・蕪村=ぶそん。1716~1783。与謝蕪村。
    南宗画でも大家。

 出典・・おうふう社「蕪村句全集」。


 おく山の くちきに花は さきぬとも 数ならぬみを
誰かたづねむ
                  熊谷直好

(おくやまの くちきにはなは さきぬとも かずならぬ
 みを たれかたづねん)

意味・・奥山の朽木に咲くはずもない花が咲いたとしても、
    ものの数にも入らない存在である自分を誰が訪ね
    て来ようか。

    朽木に花が咲くと仮定するのは、埋もれた存在で
    ある自分でも何らかの成果を上げる可能性はある
    という自負を詠んでいます。

 注・・数ならぬ=特に取り立てて数えるほどの値打ちが
     ない。

作者・・熊谷直好=くまがいなおよし。1782~1862。周
    防岩国藩士。香川景樹に師事。

出典・・小学館「近世和歌集」。


 降る雪の みのしろ衣 うちきつつ 春きにけりと
おどろかれぬる
                 藤原敏行
             
(ふるゆきの みのしろころも うちきつつ はるきに
 けりと おどろかれぬる)

詞書・・正月一日、一条の后の宮にて、しろきおほうちき
    をたまわりて。

意味・・雪を防ぐ蓑代衣ではないが、雪のような白い衣を
    賜わり、それを何度も肩にかけつつ、暖かい御厚
    情に、我が身にも春が来たことだと、驚いている
    のでございますよ。

    新年を賀する気持と自分にも春が来たと喜ぶ気持
    を詠んでいます。

 注・・みのしろ衣=蓑代衣。蓑の代わりに着る防雨衣。
    「降る雪のみのしろ衣」は「降る雪のような白い
     衣」の意と「経(ふ)る身」を掛ける。
    うちきつつ=「着る」に軽い接頭語をつけた「う
     ち着つつ」と「袿(うちき)」を掛ける。「袿」
     は狩衣の時に着る内着。
    一条の后=在原業平・素性法師・文屋康秀らに歌
     を詠ませている歌壇のパトロン的な存在。
    おほうちき=大袿。公儀などの参加者が賜る袿。
     女性の場合は正装の上に着る上着、男性場合は
     狩衣の下に着る内着。

作者・・藤原敏行=ふじわらのとしゆき。901年没。従四
    位上・蔵人頭。「秋きぬと目にはさやかに見えね
    ども・・」の歌を詠んだ人。

出典・・後撰和歌集・1。


 暁の ゆうつけ鳥ぞ あはれなる ながきねぶりを
思う枕に
                式子内親王
 
(あかつきの ゆうつけとりぞ あわれなる ながき
 ねぶりを おもうまくらに)

意味・・夜明けを告げて人の目を覚まさせる鶏の声が、
    無明長夜を嘆いている我が枕に悲しく聞こえ
    て来る。

    暁の鶏の鳴き声は、心の迷いを覚まさせる為
    に鳴くかの如く聞こえる・・なら良いのだが。

    この歌の時代は、武家と朝廷との対立、朝廷
    内での対立があった。式子内親王は陰謀に連
    座して危うく厳刑に処される所であった。
    また、持病も次第に悪化していた。
    式子内親王は後白河天皇の第三皇女として生
    まれたが物心がつくと斎院として賀茂神社に
    送られた。斎院は神聖なる神に奉仕する巫女
    (みこ)だから処女でなければならない。この
    ため一生を独身で過ごした。

    このような煩悩・悩みの結果出家する事にな
    り、この頃詠んだ歌です。

 注・・ゆふつけ鳥=木綿付鳥、夕告鳥。鶏のこと。
    ながきねぶり=無明(むみょう)長夜。仏教の
     語で明り無く暗い事。煩悩(ぼんのう・欲
     による悩み事)が理性を眩(くら)まし、妄
     念の闇に迷って真理が分らない事。

作者・・式子内親王=しきしないしんのう。1149~
    1201。後白河天皇皇女。賀茂の斎院を勤め
    た。後に出家。

出典・・新古今和歌集・1810。


人知れぬ 大内山の 山守は 木隠れてのみ 
月を見るかな
              源頼政
 
(ひとしれぬ おおうちやまの やまもりは こがくれ
 てのみ つきをみるかな)

意味・・人に知れない大内山の山守である私は、木に
    隠れた状態でばかり月を見ることです。

    大内山の山守,つまり内裏守護番の私はいつも
    物陰からひっそりと帝を拝見するばかりです。

    内裏守護の役にありながら昇殿を許されない
    無念さを、帝を月に、我が身を賎(いや)しい
    山守になぞらえて表現しています。
    「平家物語」はこの歌によって頼政は昇殿を
    許されたという。

 注・・大内山=皇居、宮中。
    山守=山を守る事、山の番をする事。ここで
     は内裏の守護番。
    木隠れて=表立たない状態の比喩。
    昇殿=清涼殿の殿上の間の出入りが許される
     事。

作者・・源頼政=みなもとのよりまさ。1104~1180。
    平氏に叛(そむ)き宇治河合合戦に破れ自害。
    従三位。

出典・・千載集・978。
 


 うき世には よしなき梅の にほひ哉 色にこころを
とめじとおもふに       
                  伏見院

(うきよには よしなきうめの においかな いろに
 こころを とめじとおもうに)

意味・・はかない無常のこの世には不都合な梅の花
    の匂いだなあ。この世にありとあらゆる形
    ある存在には心を留めまいと思うのに、つ
    い梅の匂いに心が乱されてしまう。

 注・・うき世=浮き世、憂き世。中世では「憂き
      世」の意が多い。つらい世の中。
    よしなき=由無き、理由がない、根拠がな
      い。
    色=仏教語の色(しき)の事。形を有し、
      感覚の対象となる生成変化する全ての
      存在。有形の万物。欲望の対象。

作者・・伏見院=ふしみいん。1265~1317。92
    代天皇。「玉葉和歌集」を勅撰。

出典・・金玉和歌集(岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」)


 冬ごもり こらえこらえて 一時に 花咲きみてる
春はくるらし
                 野村望東尼
               
(ふゆぐもり こらえこらえて いっときに はなさき
 みてる はるはくるらし)

意味・・冬の間は引きこもっていて、厳しい寒さをひたすら
    じっとこらえていると、いっきに花が咲き満ちる春
    が来るものだ。人生もこれと同じである。

作者・・野村望東尼=のむらもとに。1806~1867。幕末の
    志士達の活躍を陰で支えた。

出典・・防洲日記。

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