名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年03月


 散り散らず 聞かまほしきを 古里の 花見て帰る
人も逢はなむ
                  伊勢
              
(ちりちらず きかまほしきを ふるさとの はなみて
 かえる ひともあわなん)

意味・・もう散ってしまったか、それともまだ散らずに
    残っているか、聞いてみたいのだが、古里の花
    を見て帰って来る人があれば、逢って欲しいも
    のだ。

    古都奈良の花見の様子は昔と同じように華やか
    であったかどうかを聞いて、昔を偲びたいとい
    う気持ちです。

 注・・古里=ここでは古京奈良の都。和歌では衰えて
     いくものに対する愛惜の気持ちをこめて用い
     られる。

作者・・伊勢=いせ。874~938。古今集時代の代表女
    流歌人。

出典・・拾遺和歌集・49。


 世の中の 人の心は 花染めの 移ろひやすき 
色にぞありける
               詠み人しらず
               
(よのなかの ひとのこころは はなぞめの うつろい
 やすき いろにぞありける)

意味・・世の人の心などというものは、露草で染めた
    染物のように、すぐにさめやすい、うわべだ
    けの美しさだったのだなあ。

    恋・愛情関係について詠んだ歌です。

 注・・花染め=露草の汁で染めたもので、色があせ
     やすい。
    うつろひ=変わってゆく、心変わりする。
    色=表面の華やかさ。美しいという意が含ま
     れる。

出典・・古今和歌集・795


 梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと
葵花咲く
              詠み人知らず
         
(なしなつめ きみにあわつぎ はうくずの のちも
 あわんと あういはなさく)

意味・・梨・棗・黍(きび)・粟と次々に実のっても、私は
    早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続け
    る葛のように後には逢えるよ、葵の花が咲く頃に
    は。

    植物六種の取り合せと掛詞の面白さを詠んでいる。

 注・・梨棗=字音の等しい「離・早(りそう)」を掛ける。
    黍(きみ)に粟つぎ=「君に逢わず」を掛ける。
    延(は)ふ葛=「後は逢はむ」の枕詞。
    葵(あふひ)=アオイ科の草。「逢う日」を掛ける。

出典・・万葉集・3834


 いしばしる 滝なくもがな 桜花 手折りてもこむ
見ぬ人のため
                詠み人しらず
                
(いしばしる たきなくもがな さくらばな たおりても
 こん みぬひとのため)

意味・・ほとばしり流れる急流がなければよいのになあ。
    あの川向こうの桜の花を折り取って来ようものを。
    この美しい桜を見ない人のために。

 注・・いしばしる=滝の枕詞。流水が岩にぶつかり激
     しく飛沫をあげること。
    滝=急流。
    なくもがな=願望を表す。なければいいのに。

出典・・古今和歌集・54。


 多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の 
ここだ愛しき             
                  詠人知らず

(たまがわに さらすてづくり さらさらに なにそこの
 この ここだかなしき)

意味・・多摩川に晒(さら)す手作りの布のように、さらに
    さらに、どうしてこの子がこんなにもいとしくて
    ならないのだろう。

    川に布を晒すのは、柔らかく美しくするためです。
    多摩川流域は麻の栽培が盛んであった。
    律令時代に税の一つに「調」があり、麻布が収め
    られていた。東京の「調布」や「麻布」の地名は
    その名残りです。

 注・・手作り=手織りの布。
    さらす=水に晒して布地を美しくする。
    さらさらに=「さらにさらに」を掛ける。
    ここだ=量の多いこと。はなはだしいこと。

出典・・万葉集・3373。
 


 遠近の 鶯の音も のどかにて 花の咲き添ふ
宿の夕暮れ
               永福門院 
         
(おちこちの うぐいすのねも のどかにて はなの
 さきそう やどのゆうぐれ)

意味・・鶯の鳴き声も増えてきて、あちらこちらから、
    のどかな鳴き声が聞こえて来る。家のあたり
    は花もいろいろ咲き始めて、この春の夕暮れ
    は気持ちのいいものだ。

    「花の咲き添ふ」は、何かの花の咲いている
    所に、他の花も咲いて、花が増えていく様子。
    桜に続き、山吹、そして山つつじというふう
    に。
作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
     伏見天皇の中宮(后と同じ意)。

出典・・永福門院百番御自歌合(岩波書店「中世和歌集・
    鎌倉篇」)


 年ごとに かはらぬものは 春霞 たったの山の
けしきなりけり
                藤原顕輔
            
(としごとに かわらぬものは はるがすみ たったの
 やまの けしきなりけり)

意味・・いつの年も変らない風情は、春霞が立つこの頃
    の滝田の山の姿である。

 注・・たったの山=「立つ」と「滝田の山」を掛ける。

作者・・藤原顕輔=ふじわらのあきすけ。1090~1155。
    正三位左京の大夫。「詞歌和歌集」の撰者。

出典・・金葉和歌集・10。



道のべの 柳ひと枝 もちづきの 手向けにせんと 
折ってきさらぎ        
                腹唐秋人

(みちのべの やなぎひとえだ もちづきの たむけにせんと
 おってきさらぎ)

意味・・西行にゆかりのある道のべの柳の一枝を、二月
    十五日の忌日に手向けにしょうと思って、こう
    して手折って来たことだ。

    題は「西行忌」です。
    西行の有名な歌を二首織り込んで詠んだ歌です。
   「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ち
    どまりつれ」   (意味は下記参照)
   「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの
    望月のころ」   (意味は下記参照)

 注・・西行忌=陰暦の二月十五日。
    手向け=神仏に供え物をすること。
    きさらぎ=如月、二月。「来」を掛ける。

作者・・腹唐秋人=はらからあきうど。1758~1821。
    商家の番頭。

出典・・小学館「日本古典文学・狂歌」。

参考歌です。

道のべの 清水流るる 柳陰 しばしとてこそ 
立ち止まりつれ             
              西行

意味・・清水が流れている道のほとりに大きな柳の樹陰。
    ほんの少し休もうと立ち止まったのに、涼しさに
    つい長居をしてしまった。 

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 
望月のころ
                西行

意味・・願いがかなうなら、桜の下で春のさなかに死にたい。
    釈迦が入滅した、その二月十五日の満月のころに。

    月と花を愛し、その美の世界の中で宗教家として生涯
    を閉じたいと願った西行は、実際に1190年2月16
    日に世を去った。

注・・その=釈迦の入滅(聖者の死ぬこと)の日をさす。


 山高み 雲井に見ゆる 桜花 心のゆきて 
折らぬ日ぞなき
              凡河内躬恒
           
(やまたかみ くもいにみゆる さくらばな こころの
 ゆきて おらぬひぞなき)

意味・・山が高いので、大空はるかに見える桜の花は、
    実際に手折ることは出来ないが、気持だけは
    そこまで行って折り取らない日はない。

 注・・雲井=雲のある所、空。
    折らぬ日ぞなき=当時の人は花や紅葉を折って
     家に持ち帰ったり、人に贈る習慣があった。
     
作者・・凡河内躬恒=おおしこうちのみつね。900年前
    後に活躍した人。「古今和歌集」の撰者。

出典・・古今和歌集・358。

最上川 瀬々の岩波 せきとめよ よらでぞ通る 
白糸の滝
                詠み人知らず

(もがみがわ せぜのいわなみ せきとめよ よらでぞ
 とおる しらいとのたき)

意味・・最上川よ、瀬々の岩波をせきとめてくれまいか。
    流れの速さに、いま、私はあの白糸の滝へは寄
    らないで通っていますよ。せっかく白糸を撚(よ)
    るような、滝だったのに。

    川下りをしている時に白糸のような滝を見つけ
    て詠んだ歌です。

 注・・瀬々=多くの瀬、あの瀬この瀬。瀬は流れの急
     な所。
 
出典・・義経記。

 

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