名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年04月


 をとめごが 真袖につめる つぼすみれ 野に見るよりも
なつかしきかな
                   源有房

(おとめごが まそでにつめる つぼすみれ のにみる
 よりも なつかしきかな)

意味・・どこで摘んで来たのか、乙女子が両袖につぼみ
    すみれの花を集め抱いている。愛らしい花だなあ。

     野に咲くところを見るよりも心を引きつけられる。
    可愛いね。どこで積んで来たのと、少女に声を
    かけたくなる。

 注・・真袖=両袖。
    つめる=「摘める」と「集(つ)める」の掛詞。
    つぼすみれ=立壷すみれ。紫色の花が3月から
     4月にかけて咲く。
    なつかし=懐かし。心ひかれる。そばに引き付
     けておきたい。親愛の情をおぼえてそばへ近
     づく形容。

作者・・源有房=みなもとのありふさ。生没年未詳。

出典・・歌集「有房集」(松本章男著「花鳥風月百人一首」)


 はなよしれ あきもあかずも まだしらぬ 六十年の春の
末とほき身を
                    冷泉為村
              
(はなよしれ あきもあかずも まだしらぬ むそじの
 はるの すえとおきみを)

意味・・花よ知っておくれ。花に充ち足りたか、充ち足りて
    いないかも未だ分らないで六十年もの春を繰り返し
    て来て、これからの行く末も知らないこの私を。

    自分は充ち足りたかどうかさえも分らぬまま六十年
    を過ごしたとして、花の美(欲望)の前には全く無力
    な人間である事を詠んでいます。

    次の歌は三条西実隆(さねたか)の参考歌です。
   「今はとて思ひすてばや春の花 六十年あまりは
    咲きちるも見つ」

    (六十余年も花の咲き散るのを見てきて、このあ
    たりで花への執着を振り捨てよう)

    この歌はかえって花(欲望)に執着の強さを表現し
    ています。

 注・・あきもあかずもまだしらぬ=花に充ち足りたか、
     充ち足りていないのか、どういうことなのか
     も未だ分らない。

作者・・冷泉為村=れいぜいためむら。1712~1774。
    正二位権大納言。

出典・・樵夫問答・しょうふもんどう(小学館「近世和
    歌集」)


 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも
逢坂の関                  
                   蝉丸

(これやこの ゆくもかえるも わかれては しるも
 しらぬも おうさかのせき)

意味・・これがあのう、こらから旅立つ人も帰る人も、
    知っている人も知らない人も、別れてはまた逢う
    という、逢坂の関なのですよ。
    
    知っている人も知らない人も、逢っては別れ別れ
    てはまた逢うという逢坂の関は人生の縮図のよう
    だといっています。

 注・・これやこの=これが噂に聞いているあのう・・、
     という言い方。
    逢坂の関=山城国(京都府)と近江(滋賀県)の
     境の関所。

作者・・蝉丸=せみまる。生没年未詳。九世紀後半の人。
    盲目で琵琶の名手。

出典・・後撰和歌集・1089、百人一首・10。


 花散りし 庭の木の葉も 茂りあひて 天照る月の 
影ぞまれなる         
                  曾禰好忠

(はなちりし にわのこのはも しげりあいて あまてる
 つきの かげぞまれなる)

意味・・花の散った庭の桜の木の葉も、今はもう
    茂りあって、空に照る月の光がわずかに
    しかささないことだ。

 注・・花=桜の花。
    まれ=稀、たまにしかないさま。

作者・・曾禰好忠=そねのよしただ。生没年未詳。
    977年従六位丹後掾(たんごのじょう)。

出典・・新古今和歌集・186。


 あたら夜の 月と花とを おなじくは あはれしれらむ 
人に見せばや         
                  源信明

(あたらよの つきとはなとを おなじくは あわれ
 しれらん ひとにみせばや)

意味・・惜しいばかりのこの良夜の月と花を、同じ見るな
    ら、情趣を分かってくれる人、あなたにも見せて
    一緒に味わいたいものだ。

    春の趣き深い月の夜に花を見て、この良夜の情景
    を一人じめするには惜しまれて、本当に情趣を理
    解する人と共に味わいたいという恋心を詠んだ歌
    です。

    能因法師の次の歌の気持と同じです。
   「心あらむ 人にみせばや 津の国の 難波あたりの 
    春の景色を」(意味は下記参照)

 注・・あたら(惜ら)=惜しいことに、残念にも。 
    あはれしれらむ=情趣を理解する。

作者・・源信明=みなもとさねあきら。937年頃の人。若狭
    守。

出典・・後撰和歌集・103。

参考です。
心あらむ 人にみせばや 津の国の 難波あたりの
春の景色を
               能因法師
           
(こころあらん ひとにみせばや つのくにの なにわ
 あたりの はるのけしきを)

意味・・情趣を理解するような人に見せたいものだ。
    この津の国の難波あたりの素晴しい春の景色を。
    心あらむ(好きな)人の来訪を間接的に促した歌
    です。

 注・・心あらむ=情趣や美を解する心のある人。

作者・・能因法師=988~。俗名橘永愷(ながやす)。中古
    三十六歌仙の一人。26歳で出家。

出典・・後拾遺和歌集・43。  


 窓近く 吾友とみる くれ竹に 色そえて鳴く
鶯の声
               後西天皇

(まどちかく わがともとみる くれたけに いろそえて
 なく うぐいすのこえ)

意味・・窓近くに生えて、我が友として見ている呉竹。
    その呉竹の色に音色という色をそえて、鶯が
    鳴いている。

    青々として真っ直ぐに伸びる呉竹は私の好み
    であり、見ていて心地がよい。その上に鶯が
    来て鳴いている。何と佳き日なんだろう。

    宮廷歌人の稽古会の歌です。この歌に対して
    後水尾院は次のように批評しています。
    悪くはないけれども、普通の内容である。少
    し変わった趣向だけれど大したことはない。

作者・・後西天皇=ごさいてんのう。1637~1689。
    111代天皇。

出典・・万治御点(小学館「近世和歌集」)


 百千鳥 さえづる空は 変らねど 我が身の春は
改まりつつ
                後鳥羽院
                
(ももちどり さえずるそらは かわらねど わがみの
 はるは あらたまりつつ)

意味・・いろいろな小鳥がさえずる空はなんの変わりも
    ないが、我が身に訪れる春は、今までと大きく
    相違してしまった・・・。

    隠岐に流されて詠んだ歌です。

 注・・改まりつつ=新しく変わっている。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。第82
    代天皇。承久の乱(1221)によって隠岐に流され
    た。「新古今和歌集」の撰集を命じる。

出典・・遠島御百首(岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」) 


露と落ち 露と消えにし わが身かな なにはのことも
夢のまた夢                
                  豊臣秀吉
            
(つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわの
 ことも ゆめのまたゆめ)

意味・・露のようにこの世に身を置き、露のように
    この世から消えてしまうわが身であること
    よ。何事も、あの難波のことも、すべて夢
    の中の夢であった。

    死の近いのを感じた折に詠んだもので結果
    的には辞世の歌となっています。
   
 注・・なにはのこと=難波における秀吉の事業、
     またその栄華の意と「何は(さまざま)
     のこと」を掛けています。

作者・・豊臣秀吉=とよとみひでよし。1536~1598。
    木下藤吉朗と称し織田信長に仕える。信長
    の死後明智光秀討ち天下を統一する。難波
    に大阪城を築く。

出典・・詠草(福武書店「名歌名句鑑賞辞典」)

 


 春なれば 愉しむごとし 野に土手に 人は草摘む
糧となる草
                  中村正爾 

(はるなれば たのしむごとし のにどてに ひとは
 くさつむ かてとなるくさ)

詞書・・大いなる飢え。

意味・・野原や土手には青草が萌え出ている。そこには
    人々は三々五々草摘みをしている。いかにも春
    の草摘みを楽しんでいる風景なのだが、人々の
    摘んでいる草は今日の食糧にしなければならな
    い草なのである。

    昭和21年の作です。国民一人残らず飢渇(きか
    つ)感に耐えていた時代であり、食べられる草
    なら少しでも多く摘み取って持ち帰りたいと、
    生きるために真剣になっている気持ちを詠んで
    います。

作者・・中村正爾=なかむらしょうじ。1897~1964。
    新潟師範卒。北原白秋に師事。


*************** 名歌鑑賞 ***************


夢路には 足もやすめず 通へども 現に一目
見しごとはあらず
                 小野小町

(ゆめじには あしもやすめず かよえども うつつに
 ひとめ みしごとにはあらず)

意味・・夢の中ではせっせっと通って逢っているが、
    しかし、かって現実に一目お逢いした時の
    胸のときめき、あの幸せとは比べ物になら
    ない。
    
作者・・小野小町=おののこまち。伝未詳。六歌仙
    の一人。

出典・・古今和歌集・658。

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