名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年05月


 むらぎもの 心楽しも 春の日に 鳥の群れつつ
遊ぶを見れば
                良寛

(むらぎもの こころたのしも はるのひに とりの
 むれつつ あそぶをみれば)

意味・・私の心は満ち足りて楽しくなって来る。この
    のどかな春の日に、小鳥たちが群がりながら
    遊んでいるのを見ていると。

 注・・むらぎも=「心」の枕詞。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集」。


 老いぬれど 花みるほどの 心こそ むかしの春に
かはらざりけれ
                 伴蒿蹊
             
(おいぬれど はなみるほどの こころこそ むかしの
 はるに かわらざりけれ)

意味・・老いてしまったけれど、花を見る時の浮き立つ
    ような気持は、昔の若い頃の春と変りはしない
    ものだなあ。

 注・・花みるほどの心=花を見る時の浮き立つような
    心の状態。

作者・・伴蒿蹊=ばんこうけい。1733~1806。商人の
    生まれ。36歳で隠居し文人となる。

出典・・閑田詠草(小学館「近世歌集」)


 曲水の 水のみなかみや 鴻の池
                    西鶴

(きよくすいの みずのみなかみや こうのいけ)

意味・・毎年3月3日のめでたい行事である曲水の宴が
    行われている。曲水の流れる水の源を尋ねて
    行くと、なんと大きな白鳥が遊んでいる池で
    はないか。いやいやそればかりじゃない、鴻
    の池さんでお造りになる銘酒が曲水の流れの
    源なのでした。

    曲水の水の源は大きな白鳥が遊んでいる池で
    あり、銘酒を造るための名水なので、曲水を
    するのにふさわしいと詠んだもの。
    
 注・・曲水=陰暦三月三日に宮中で行われた行事。
     庭園の水の流れのほとりに座り、流される
     盃が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を吟じ、
     盃の酒を飲み、また下流へ流すというもの。
     現在は京都の城南宮や太宰府天満宮などで
     行われている。
    鴻の池=大白鳥の「鴻の鳥」と「酒造の鴻池
     家」を掛けている。酒造には名水が欠かせ
     ない。
    鴻池家=江戸時代の大阪の豪商の家の名。摂
     津鴻池村で酒造業を始めて大成功して豪商
     となった。
    
作者・・井原西鶴=いはらさいかく。1642~1693。
    西山宗因に師事。「好色一代男」などが有名。


 花鳥の 色にも音にも とばかりに 世はうちかすむ
春のあけぼの
                 心敬
           
(はなとりの いろにもねにも とばかりに よは
 うちかすむ はるのあけぼの)

意味・・春の曙の、あたり一面かすんだやさしい美しさは、
    花の色にも鳥の声にもたとえようがない程、心を
    温めてくれる美しさだ。

 注・・とばかりに=花鳥の色にも音にも及ばないほどに。

作者・・心敬=しんけい。1406~1475。権大僧都。

出典・・寛正百首(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


 
花の色は 移りけりな いたづらに わが身世にふる 
ながめしまに
                 小野小町

(はなのいろは うつりけりな いたづらに わがみよ
   にふる ながめせしまに)


意味・・花の色も私の美しさも、もはや色あせってしま
    ったのだ。思えば、むなしくも我が身はすっか
    り老い衰えた。つまらない物思いにふけり眺め
    ているうちに、花が春の長雨にうたれて散って
    いくように。

    たださえ開花期間の短い桜の花が、長雨のため
    に散る前に色あせてしまった。そのような桜に
    自分を重ねています。女盛りの美しさを人前で
    十分に発揮することもなく、むなしく老いて行
    く自分自身の人生が、深い哀惜をもって見つめ
    られている。


 注・・花の色=表面は花であるが、裏面に作者の容色
     をさす。
    移り=色あせること。
    いたづら=むなしいさま、つまらないさま。
    ふる=降ると経る、古る(年を取る)を掛ける。
    ながめ=長雨と眺め(物思いにふける)を掛ける。

作者・・小野小町=おののこまち。生没年未詳。六歌仙
    の一人。絶世の美人といわれ各地に小町伝説を
    残す。

出典・・古今和歌集・113、百人一首・9。


 ほにいでし 秋と見しまに 小山田を また打ち返す
春もきにけり            
                  小弁

(ほにいでし あきとみしまに おやまだを また
 うちかえす はるもきにけり)

意味・・稲の穂が出て、秋になったと思っているうちに、
    稲刈りも終わって秋が過ぎ、冬が過ぎまた山田
    を打ち返して地ならしをする春がやって来たこ
    だ。

    稲穂が出て秋が来たと思っていたのに、はや春
    耕の季節になったと、時の流れの早さに驚きを
    詠んでいます。

 注・・ほにいでて=穂となって出て。
    小山田=「小」は語調を整える接頭語。山田。

作者・・小弁=こべん。生没年未詳。越前守藤原懐尹(か
    ねまさ)の女(むすめ)。

出典・・後拾遺和歌集・67。


 春雨の 降りそめしより 青柳の 糸の緑ぞ 
色まさりける
                凡河内躬恒

(はるさめの ふりそめしより あおやぎの いとのみどりぞ
 いろまさりける)

意味・・春雨の降り始めた時から、青柳の細く垂れた
    枝の緑が色濃くなったことだ。
    柳の色あざやかさを詠んでいます。

 注・・そめし=「初めし」と「染めし」を掛ける。
    糸の緑=細く垂れた枝の緑。

作者・・凡河内躬恒=おおしこうちのみつね。伝未詳。


診断を 今はうたがはず 春まひる 癩に堕ちし
身の影をぞ踏む
                 明石海人 

(しんだんを いまはうたがわず はるまひる かたいに
 おちし みのかげをぞふむ)

意味・・癩だという診断を疑い、そんな事はあり得ない、
    信じたくないと思い続けて来た。しかし今はは
    っきりと断定された診断をもう疑わない。あた
    りはうららかな春日である。その暖かい日射し
    の中を、地獄に堕ちた我が身の影を踏んで歩い
    ている。

    「癩に堕ちし」の「かたい」は癩病の事。かっ
    てはこのように言った。「堕ちし」に、もう再
    び、普通の生活には復帰出来ないと。

    もし、あなたが突然不治の病だと宣告されたら
    あなたはどう生きるだろうか。
    嘆き悲しみ、自分の運命を呪いながら生きるだ
    ろうか。あるいは、絶望のあまり発狂してしま
    うだろうか。生きている価値がないと諦めて、
    自ら命を断ってしまうだろうか。

    明石海人は、不治の病に冒され、一時は発狂し
    てしまうという過酷な運命にもてあそばれなが
    ら、やがて立ち直り、光輝く芸術世界を築き上
    げた人です。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。商業
    高校を卒業して画家を志して上京。結婚して二女
    があったが、癩病と診断された。「新万葉集」収
    載歌によって脚光を浴びた。その中で歌集「白描」
    を出版した。

出典・・歌集「白描」。


 あらそはぬ 風の柳の 糸にこそ 堪忍袋
ぬふべかりけれ    
                鹿都部真顔
             
(あらそわぬ かぜのやなぎの いとにこそ かんにん
 ぶくろ ぬうべかりけれ)

意味・・風に争うこともなく、吹くままになびいている
    柳の枝。あの柳の糸でこそ、めったに破っては
    ならない人間の堪忍袋を縫うべきだ。

    糸と袋の見立ての面白さをふまえた処世訓です。

 注・・柳の糸=細長い柳の枝を糸に見立てた語。
    堪忍袋=堪忍する心の広さを袋に例えた語。

作者・・鹿都部真顔=しかつべのまがお。1753~1829。
    北川嘉兵衛。狂歌四天王の一人。

出典・・狂歌才蔵集(小学館日本古典文学全集・狂歌)


 高槻の こずえにありて 頬白の さへづる春と 
なりにけるかも 
                島木赤彦

(たかつきの こずえにありて ほおじろの さえずる
 はるに なりにけるかも)

意味・・山国の冬もようやく過ぎ去り、高い槻の木の
    てっぺんに頬白が朗らかにさえずる春になっ
    たことだ。

    作者は長野県の生まれで、冬の長い信州にも
    ようやく春が来て、木のてっぺんで朗らかに
    鳴く頬白の声をとらえて春の喜びを詠んでい
    ます。
   
 注・・高槻=高い槻の木。「槻」はけやきのことで
     にれ科の落葉喬木。
    頬白=雀科の鳥。春になると潅木の頂で囀る。

作者・・島木赤彦=しまきあかひこ。1876~1926。
    長野県諏訪市に生れる。大正期の代表的歌人。

出典・・谷馨著「現代短歌精講」。

このページのトップヘ