名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年07月


 欲張りも 淋しがりも 泣き虫も あなたの隣で
出会った「私」
                小林かおり

(よくばりも さびしがりも なきむしも あなたの
 となりで であったわたし)

意味・・私だけに気を向けて欲しい。会わない日が
    続くと淋しい。病気になると泣きたくなる。
    あなたを知ってから、欲張りやになり、淋
    しがりやになり、泣き虫にもなった「私」。
    あなたというかけがえのない存在によって。
    
作者・・小林かおり=こばやしかおり。‘93年当時
    兵庫県松陰女子学院大学1年。

出典・・東洋大学「現代学生百人一首」。


 夏はよし 暑からぬほどの 夏はよし 呼吸管など
忘れて眠らむ
                  明石海人

(なつはよし あつからぬほどの なつはよし こきゅう
 かんなど わすれてねむらん)

意味・・私の癩病も末期に達して、今は気官切開して呼吸管を
    差し込んだ日常生活を送っている。その苦痛は一時
    すら忘れられるものではないが、暑からぬ夏の気候
    は呼吸管が痰の乾きによって塞がる不快さは少なく
    なる。せめてこんな時こそ不自由な己が身を忘れて
    ゆっくりと眠りたいものだ。

    呼吸管の詰まりの苦しみを詠んだ歌があります。
    「霜の夜は痰の乾からびに呼吸管の塞がること屡々
    なり」の詞書で「呼吸管の乾きを護る雪の夜は見え
    ぬ眼を闇に瞠(みは)りつつ」

    末期の癩患者は、自分の足で歩き、目が見え、鼻で
    呼吸し、耳で聞くこと、話すこと、筆記すること等
    全て失われ苦痛と絶望の中で、安らかな眠りは何よ
    りの安楽です。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。
    昭和3年ハンセン病と診断され岡山県の長島
    愛生園で療養生活を送る。盲目になり喉に吸
     気官を付けながらの闘病の中、歌集「白描」
      を出版。

出典・・白描以後(桜楓社「現代名歌鑑賞事典」)


 もも鳥の 鳴く山里は いつしかも 蛙のこへと
なりにけるかな
                 良寛
              
(ももとりの なくやまさとは いつしかも かわずの
 こえと なりにけるかな)

意味・・いろいろ多くの鳥が春になってさえずっていた
    この山里は、いつの間にか夏になって、蛙の声
    が耳に聞えるようになったものだなあ。

 注・・もも鳥=百鳥。数多くの鳥。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集・83。


 庵結ぶ 山の裾野の 夕ひばり 上がるも落つる 
声かとぞ聞く 
                慶運

(いおむすぶ やまのすそのの ゆうひばり あがるも
 おつる  こえかとぞきく)

意味・・私が草庵に住んでいるこの山の、裾野で鳴く
    夕日ひばりは、空高く飛び上がる時の声も降
    りていく声かと聞こえるものだ。それほど我
    が庵(いおり)は高い所にあるのだ。

    大げさな表現だが、ひばりの鳴く春ののどか
    なゆったりした気分を詠んでいます。    

 注・・結ぶ=構える、構成する。

作者・・慶運=けいうん。1296頃の生まれ。和歌四
    天王と称された。

出典・・新後拾遺和歌集。


 夏山の 夕下風の 涼しさに 楢の木陰の 
たたま憂きかな  
              西行

(なつやまの ゆうしたかぜの すずしさに ならの
 こかげに たたまうきかな)

意味・・夏山の夕暮れ時には、木の下を吹いてくる風
    の涼しさに、楢の木陰からなかなか去り難い
    ことだ。

 注・・夕下風=夕方に木陰を吹いてくる風。
    たたま憂き=立ち去る(たたまく)のがつらい。

作者・・西行=さいぎよう。1118~1190。俗名佐藤
    義清(のりきよ)。鳥羽上皇の北面武士であっ
    たが23歳で出家。「新古今集」では最も入
    選歌が多い。

出典・・山家集・233。

時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 
雨やめたまえ 
                 源実朝

(ときにより すぐればたみの なげきなり はちだい
 りゅうおう あめやめたまえ)

意味・・恵の雨も、時によっては降りすぎると民の
    嘆きを引きおこします。八大竜王よ雨を止
    めてください。

    1211年の洪水に際して、祈念を込めて
    詠んだ歌であり、為政者としての責任から
    出た歌でもあります。
    
 注・・八大竜王=八体の竜神で雨を司ると信
     じられていた。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~121
    9。28歳。12歳で三代将軍となった。鶴岡
    八幡宮で甥の公卿に暗殺された。

出典・・金槐和歌集。

 


 狩り暮らし たなばたつめに 宿からん 天の川原に
われは来にけり    
                   在原業平
             
(かりくらし たなばたつめに やどからん あまの
 かわらに われはきにけり)

意味・・一日中狩りをして日暮れになりましたので、
    今夜は織女さまに宿を借りることにしまし
    よう。私達は天の川原に来てしまったので
    すから。

    惟喬親王(これたかのみこ)の仲間になって
    狩りに出かけた時の事、天の川という所で
    馬を下りて川岸にすわり、酒などを飲んだ
    ついでに親王が「狩りして天の川原に至る」
    という趣旨の歌を詠みあげた所で杯を差し
    出す」と仰せられたので詠んだ歌です。

 注・・狩り暮らし=終日狩りをして日暮れになっ
     たので。
    たなばたつめ=棚機つ女。機を織る女。織
     女星の異名。
    天の川=大阪府枚方市禁野の地名。同名の
     川が流れている。
    惟喬親王=文徳天皇の第一皇子。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~881。
    美濃権守・従四位。

出典・・伊勢物語・82、古今和歌集・418。


 手をついて 歌申しあぐる 蛙かな

                 山崎宗鑑

(てをついて うたもうしあぐる かわずかな)

意味・・雨模様の空の下で、けろりとした顔で
    鳴いている蛙の様子は、まるで偉い人
    の前でかしこまって、手をついて歌を
    申し上げているような姿である。

   「古今集」仮名序の「花に鳴く鶯、水に
    住む蛙の声を聞けば、生きとし生ける
    ものいづれか歌をよまざりける」とい
    う有名な一節を念頭に置いています。

作者・・山崎宗鑑=やまざきそうかん。1540年
    頃没。将軍足利義尚に仕えた。

出典・・阿羅野(あらの)(笠間書院「俳句の解釈
    と鑑賞事典」)


 七夕は 今や別るる 天の川 川霧立ちて
千鳥鳴くなり        
              紀貫之

(たなばたは いまやわかるる あまのがわ かわぎり
 たちて ちどりなくなり)

意味・・七夕は、今、いよいよ別れるのであろうか。
    天の川には川霧が立って、千鳥の鳴いている
    のが聞こえる。

    川霧の中から聞こえる千鳥の声が、おのずか
    ら、織女星(しょくじょせい)の忍び泣きを思
    わせる・・。

 注・・今や別るる=今いよいよ別れるのであろうか。
    千鳥鳴くなり=千鳥が鳴いているのが聞こえ
     る。
作者・・紀貫之=866~945。古今集の中心的撰者で
    仮名序を執筆。「土佐日記」の作者。

出典・・新古今和歌集・327。


 遅き日の つもりて遠き むかしかな    
                      蕪村

(おそきひの つもりてとおき むかしかな)

詞書・・懐旧。

意味・・日の暮れの遅い春の一日、自然と思いは過去に
    向う。昨日もこんな日があり、一昨日もこんな
    日であった。こんな風にして、過去の一日一日
    も過ぎていった。やがて来る残り少ない未来の
    ある一日も、このようにして昔となってゆくだ
    ろう。

    心は遠い昔にはせ、老いの寂しさを詠んだ句です。
    白居易の漢詩、参考です。
    
     「懐旧」   
    往時渺茫として全て夢に似たり 
    旧遊零落して半ば泉に帰す

    おうじ ぼうぼうとして すべてゆめに にたり
    きゅうゆう れいらくして なかば せんにきす

    過ぎ去った昔のことはぼおっとかすんでしまって、
    全てが夢のようだ。かって良き遊び友達の半ばは、
    木の葉が落ちるように欠けていって、半分は泉下
    に帰してしまって嘆かれる。

 注・・つもり=積り、一日一日が積って過去になる。
    渺茫(ぼうぼう)=水の広大なさま。
    旧遊=旧友。
    零落=草木の葉が落ちること。

作者・与謝蕪村=よさぶそん。1716~1783。池大雅と共
   に南宗画の大家。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。

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