名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年07月


 からすめは此の里過ぎよほとどぎす 
                      西鶴

(からすめは このさとすぎよ ほとどぎす)

意味・・ほとどぎすの声をうるさいと歌った有名人が
    いるが、私はそうではない。カラスのやつの
    ほうがよほどうるさいのだ。カラスめが群れ
    て汚い声で鳴きたてるので、早々に此の里か
    らどこかへ行ってくれ。お前らがやかましく
    て、ほとどぎすが来ない。私はほとどぎすの
    声が聞きたいのだ。

    山崎宗鑑の歌「かしましやこの里過ぎよ郭公
    都のうつけさこそ待つらん」を逆に郭公の声
    を待ち焦がれるとした句で、そこにカラスの
    声を持って来た所に面白さがあります。
    (歌の意味は下記参照)

作者・・西鶴=さいかく。1642~1693。井原西鶴。
    西山宗因に師事。談林派の代表作者。

参照歌です
かしましや この里過ぎよ 郭公 都のうつけ 
さこそ待つらん      
                山崎宗鑑

(かしましや このさとすぎよ ほとどぎす みやこの
 うつけ さこそまつらん)

意味・・郭公があまり鳴くのでうるさい、私はもう沢山
    だから、さっさとこの里から飛び去ってくれ。
    京都では馬鹿な連中がお前の声が聞きたくて、
    さぞ待ち焦がれているだろうから、都へ行った
    方がいいぞ。

    都の風流人が郭公の声を珍重したのを、宗鑑は
    わざとこのように詠んだ歌です。 
  
 注・・うつけ=虚け、まぬけ、ばか。
    さこそ=然こそ、そのように、さだめし。

作者・・山崎宗鑑=やまさざきそうかん。1465~1554。戦国
    時代の連歌師・俳諧師。


 夏草は 心のままに 茂りけり 我庵せむ
これのいおりに
               良寛 

(なつくさは こころのままに しげりけり われ
 いおりせん これのいおりに)

意味・・夏の草は思いのままに茂っている。この気兼
    ねない場所で、私はしばらくここで住んでみ
    よう。この粗末な建物に。

    新潟県・国上山中腹の五合庵を出て麓の乙子
    神社社務所に移った時に詠んだ歌です。良寛
    も年老いて山の上り下りが苦労に思われて移
    住したもの。

    建物は粗末でも、人に気兼ねなく思いのまま
    に暮らせるのを喜びとしています。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集。

いつしかと 起きうからでも みゆるかな 咲くやあしたの
床夏の花               
                    慶運
                    
(いつしかと おきうからでも みゆるかな さくや
 あしたの とこなつのはな)

意味・・早く起きるのは辛(つら)いといった様子もなく、
    初々しく咲いている朝方の床夏の花よ。

    早起きして、早朝に見る新鮮な撫子を描写した
    歌です。

 注・・いつしか=何時しか。早く。これから起きるは
     ずの事態を待ち望む意を表す。
    起きう=起き憂。起きるのが辛い。
    みゆる=そのように見える。
    咲くや=「や」は反語の意を表す。咲くのだろ
     うか、いや咲くのではない。
    床夏の花=撫子の古名。

作者・・慶運=けいうん。生没年未詳。1295年ごろの生
    まれ。70歳ぐらい。当時、兼好、頓阿、浄弁ら
    とともに和歌の四天王といわれた。

出典・・慶運百首(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)

 


 日は日なり わがさびしさは わがのなり 白昼なぎさの
砂山に立つ
                    若山牧水

(ひはひなり わがさびしさは わがのなり まひる
 なぎさの すなやまにたつ)

意味・・太陽は太陽,自分は自分、何のかかわりもなく、
    自分の味わっているこの寂寥(せきりょう)は
    どこまでも自分だけのものだ。そして人影の
    ない真昼の海岸の砂山に立って失意の果ての
    孤独を噛みしめている。

    若さに満ち溌剌として、希望に燃えていた少
    し前までの自分を思い浮かべ、恋愛にも仕事
    にも失敗し、希望も意欲もすっかり失ってし
    まった現在の自分のみじめな姿を詠んいます。
    
    牧水はこの苦悩を,旅をし酒を飲み歌を詠ん
    で克服しています。

 注・・日は日=「日」は太陽。「自分は自分」を補
     って解釈。
    さびしさ=わびしさ。二人の女の子のいる女性
     との恋愛の失敗、文芸雑誌の創刊が資金難で
     失敗、思わしい就職口がない、などの苦悩。
    わがのなり=わがものなり。
    なぎさ=波打ち際。ここでは海岸ぐらいの意。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
       早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛
    す。

出典・・大悟法利夫著「鑑賞 若山牧水の秀歌」。


 この憂さを 昔語りに なしはてて 花たちばなに
思ひ出でめや
                 西行
               
(このうさを むかしがたりに なしはてて はな
 たちばなに おもいいでめや)

意味・・この世の憂さはすべて昔語りにしてしまって、
    花橘の香に誘われて懐旧の念にひたろうよ。

    昔はこんな辛いこともあったことだ、と懐旧し
    昔物語にする。

 注・・昔語り=昔あったことの話。憂きことも時間
     の経過と共に美化される。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
      清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
      1140年23歳で財力がありながら出家。出家
      後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
      陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
     仏者として修行する。

出典・・山家集・722。

ほととぎす 鳴くや五月の 短夜も ひとりし寝れば
明かしかねつも  
                 柿本人麻呂

(ほとどぎす なくやさつきの みじかよも ひとりし
 ぬれば あかしかねつも)

意味・・ほとどぎすが鳴きたてる五月の短夜でさえ、
    人を恋しく思えば、その短夜も一人で寝る
    と、夜を明かすことが出来ない。
  
    短夜でさえ長く思われる独り寝のつらさを
    詠んでいます。

 注・・短夜=遅く暮れ、早く明ける夏の夜。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没未詳。
    奈良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・官の名
    称)として草壁皇子、高市皇子に仕えた。

出典・・万葉集・1981。

 


 若くさや 人の来ぬ野の 深みどり
                      三宅嘯山

(わかくさや ひとのこぬのの ふかみどり)

意味・・若草の萌え立つ頃、野に入ると、このあたり
    には来る人もなく、草も人里近いあたりとは
    違って、とくに濃い新緑の色に萌え立ってい
    る。

    ここでは公園化されていない、人のあまり来
    ない野の色濃い若草であり、自然の生命力の
    たくましさを感じています。
    
 注・・若くさ=芽生えたばかりの若々しい草。
    人の来ぬ野=公園課されていない野、人里離
     れて人が野遊びや摘み草に来ない野。
    深みどり=深い緑色。まばらではなく密集し
     た草の色。

作者・・三宅嘯山=みやけしょうざん。1718~1801。
    大祇・蕪村らと交流。


 目に嬉し恋君の扇真白なる
                   蕪村

(めにうれし こいぎみのおうぎ ましろなる)

意味・・大勢が一座する場所に、ひそかに思いをよせる男性
    がいる。その人は真っ白な扇を手にしてゆったりと
    風をいれている。いかにも品格のある、清潔な人柄
    がしのばれる。

    やや離れた場所から、相手の姿をほれぼれと頼もし
    く眺めている女性の心情を詠んでいます。

 注・・恋君(こいぎみ)=女性から見て男性の恋人をさす。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。

出典・・蕪村全句集・1298。


 郭公 なくや五月の あやめぐさ あやめも知らぬ
恋もするかな
                詠み人知らず
             
(ほとどぎす なくやさつきの あやめぐさ あやめも
 しらぬ こいもするかな)

意味・・ほとどぎすの鳴く五月となり、家々には菖蒲が
    飾られている。私の恋はあやめ(理性)も失い、
    ひたすら情熱に流されるばかりである。

 注・・あやめぐさ=菖蒲。
    あやめも知らず=物事の道理もわからない。

出典・・古今和歌集・469。

素もぐりの 桶の一つに 春日さす  
                   
(すもぐりの おけのひとつに はるひさす)

意味・・海人(あま)が海に潜り貝類を採っている。採ったものは
    浮き上がって桶に入れる。何組かの桶が浮かんでいるが、
    雲の合間から春光が射してきた。見る目には気持の良い
    春日だが、海人にはまだまだ物足りないだろうなあ。

 

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