名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年08月


逢坂を うち出でて見れば 近江の海 白木綿花に
波立ちわたる
                  詠み人知らず 

(おうさかを うちいでてみれば おうみのみ しらゆう
 ばなに なみたちわたる)

意味・・逢坂山を越え出てみると、近江の海には白木綿花
    のように、美しい波が一面に立っている。

    山部赤人の歌(万葉集・321)「田子の浦ゆうち出で
    てみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と
    同じ技法で詠まれています。

 注・・逢坂(山)=京都府と滋賀県の堺にある逢坂(山)。
    近江の海=琵琶湖。
    白木綿花(しらゆうばな)=楮(こうぞ)の木の皮の
     繊維を糸として織った布を、曝(さら)して白く
     したものを白木綿といい、それで作った造花。

出典・・万葉集・3238。
 


 よそにのみ 見てややみなむ 葛城や 高間の山の 
峰の白雲              
                  詠み人知らず

(よそにのみ みてややみなん かつらぎや たかまの
 やまの みねのしらくも)

意味・・自分とは関係のないものとして、遠くから見る
    だけに終わってしまうのだろうか。葛城の高間
    の山の峰の白雲よ(その雲のようなあの人を)。

    心を引かれながら手の届かない高貴な女性に思
    いをはせた歌です。「高間の山の峰の白雲」は
    崇高な美しい女性を象徴しています。

 注・・よそに=親密でない人。他人。
    やみ=止み、お終いになる。
    葛城や高間の山=大阪府と奈良県の境にある連
     山。高間山はその最高峰、金剛山の別称。

出典・・新古今和歌集・990。


 濁りなき 亀井の水を むすびあげて 心の塵を
すすぎつるかな    
                  藤原彰子

(にごりなき かめいのみずを むすびあげて こころの
 ちりを すすぎつるかな)

詞書・・天王寺の亀井の水をご覧になって。

意味・・濁りの無い亀井の水を手にすくいあげて飲んで、
    心の穢(けが)れを洗い清めました。

    霊水に触れて、心の煩悩の穢れを洗い清められた
    思いのさわやかさを詠んでいます。

 注・・天王寺=四天王寺。大阪市天王寺区元町にある。
    亀井の水=四天王寺の境内にあった石造りの亀
     から湧き出た霊水。
    むすび=手ですくう。
    心の塵=心の穢れ。
    すすぎ=濯ぎ。水で洗い清める。罪や恥を清める。

作者・・藤原彰子=ふじわらのあきこ。1074年没。87歳。
    一条天皇の中宮。紫式部・和泉式部などの才媛女
    房を輩出した。
 
出典・・新古今和歌集・1926。


 山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 
見れど飽かぬかも    
                笠金村

(やまたかみ しらゆうばなに おちたぎつ たきの
 こうちは みれどあかぬかも)

意味・・山が高いので、白い木綿(ゆう)で作った花
    のように、激した水がドーッと落ちている
    この滝の河内の絶景は見ても見ても見飽き
    る事がない。
    なんとまあ美しいことだろう。

    養老七年(723)に吉野離宮で詠んだ歌です。
    白波を白木綿(しらゆう)に見立てて離宮の
    滝を讃(たた)えています。

 注・・白木綿(しらゆう)=斎串(いくし)としての
     榊(さかき)の枝などにつけた白い木綿。
     木綿は楮(こうぞ)の皮で作った。
    たぎつ=激つ。水が激しく流れる。
    河内=川を中心とした小生活圏。
    離宮=奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮。

作者・・笠金村=かさのかなむら。生没年未詳。宮
    廷歌人。
 
出典・・万葉集・909。


 僧朝顔 幾死にかへる 法の松
                    芭蕉

(そうあさがお いくしにかえる のりのまつ)

詞書・・奈良の当麻寺に参詣すると、庭に植えられている松は
    およそ千年もたっているように見える。大きさは、荘
    子がいう「牛を隠す」というほどの大きさである。寺
    の庭に植えられた松という仏縁で、斧で切り倒される
    ことがなかったのは幸運なことである。

意味・・この寺の僧も朝顔も、今まで幾代となく死に代ったこ
    とだろう。それなのに、この松は寺の庭に植えられて
    いたという仏縁で千年の長寿を保ったのはまことに尊
    いものだ。

    荘子のいう「牛を隠す」は「櫟社(れきしゃ)の樹を見
    る。その大きさ牛を隠す」ということで、櫟(くぬぎ)
    の木は材木にならず役に立たないので人間に伐られな
    い。それで牛を隠すほどの大きな木になり寿命を全う
    することが出来る、という意味です。

    この櫟や老松のように、天から頂いた寿命を病気など
    せずに全うしたいものです。

 注・・法の松=寺の庭に生えているという仏縁の松。そのた
    め千年の老松になるまで寿命が全う出来た。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・野ざらし紀行。


 をりをりに かはらぬ空の 月かげも ちぢのながめは 
雲のまにまに
                  仏頂和尚

(おりおりに かわらぬそらの つきかげも ちぢの
 ながめは くものまにまに)

意味・・いつも変わらない同じ一つの月が、さまざまに
    変わった眺めとなって見えるのは、そこにかか
    る雲の変化によるのである。

    月はいつも同じ状態に見せようとするが、自分
    の思い通りにならないのが常である。

作者・・仏頂和尚=ぶっちょうおしょう。生没年未詳。
    根本寺の和尚。根本寺は鹿島神宮の西にある。

出典・・芭蕉「鹿島紀行」。


 一畔は しばし鳴きやむ 蛙かな
                  去来

(ひとあぜは しばしなきやむ かわずかな)

意味・・田で一斉に鳴いていた蛙が、人の足音がした
    ので一畔だけがピタリと鳴き止んだ。

    一斉に鳴いていた蛙の群れが一畔だけぴたり
    と鳴き止むという光景が目に浮かんで来ます。
    次の田んぽへさしかかると、またその田んぼ
    がぴたり、し~んとします。過ぎて来た前の
    田んぼからは、また鳴き初めています。

作者・・去来=きよらい。向井去来。1651~1704。
    芭蕉の門下。


河風の 涼しくもあるか 打ちよする 浪とともにや 
秋は立つらん
                  紀貫之
            
(かわかぜの すずしくもあるか うちよする なみと
 ともにや あきはたつらん)

意味・・川風がまことに涼しく感じられることだ。
    風に吹かれて打ち寄せる波とともに秋は
    立つのだろうか。

    立秋の日に河原を散策して詠んだ歌です。

 注・・秋は立つらん=秋は波と一緒に立っている
     のだろうか。「立つ」は秋立つと波が立
     つを掛ける。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。866~945。土佐
    守、従四位した。「古今和歌集」の撰者。

出典・・古今和歌集・170。

 

人問はば 山を川とも 答ふべし 心と問はば
如何に答えん
                放牛 

(ひととわば やまをかわとも こたうべし こころと
 とわば いかにこたえん)

意味・・人々がいろんな事を尋ねて来る時がある。場合
    によっては、山を指してあれは川だと言う事も
    出来る。生きて行く為には、私もウソをつく事
    もある。このように苦しい生活をしていれば、
    それも仕方がない事である。しかし、私の本心
    はと聞かれれば何と答えようか。

    地蔵菩薩を路傍に建立するのは、全ての人々が
    極楽浄土に往生するようにと願っているもので
    ある。しかし、本当は政治がよくなり、人々の
    暮しが楽になる事を願っているのである。

    放牛という僧は1722年から11年間に107体の
        地蔵菩薩を、熊本市を中心に菊池・玉名・阿蘇
        近辺に建立した。その地蔵の多くに、この歌の
        ような道歌が彫られている。

作者・・放牛=ほうぎゅう。生没年未詳。1722年頃に
           活躍した僧。

出典・・インターネット「放牛地蔵」より。

鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる
                      蕪村

(ふなずしや ひこねのしろに くもかかる)

意味・・鮒ずしをつまみながら、茶店でゆっくりと旅の
    疲れを癒(いや)していると、さきほどまで無か
    た白雲が彦根城の天守閣あたりに一筋かかって
    いる。

    青い空にぽっかり浮いた白雲が、夏のさわやか
    を印象づけています。

 注・・彦根城=江戸初期に琵琶湖湖畔の彦根に築かれ
     た。現在もなお存在している。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
    池大雅とともに南宗画の大家。

出典・・新花つみ(福武書店「名歌名句鑑賞事典」)

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