日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人
羨しきろかも
赤猪子
(くさかえの いりえのはちす はなはちす みの
さかりびと ともしきろかも)
意味・・日下江の入江に今を盛りと咲き誇っている蓮の花
のような、、今、春の真っ盛りにいる若い乙女は
羨ましいことですね。
この歌の由来は下記の古事記の一節を参照して下
ださい。
注・・日下江(くさかえ)=大阪・河内国にあった潟湖。
羨(とも)しきろ=羨(うらや)ましい。
作者・・赤猪子=あかいこ。古事記の物語の登場人物。
雄略天皇から結婚をしようと言われ、長年待つが
そのうちに老女となる。
出典・・古事記
古事記の一節、参考です。
ある時、天皇は野遊びに出られ、三輪山のふもと、美和川
のほとりで洗濯をしている少女に会われました。素晴らし
い美少女でした。天皇は聞かれました。名はなんというか。
「赤猪子(あかいこ)と申します」。恥ずかしそうに少女は
答えました。「そちは結婚するな。今に宮中に召すから」。
天皇のその言葉を信じて赤猪子は待ちました。五年、十年、
二十年・・八十年も待ちました。
赤猪子は思いました。私は天皇のお召しを信じて随分長い
間待った。今は身体も痩せ縮まって、顔も見るかげもない。
でも、私が今日まで待った事を、あの方に知ってもらわな
ければ心が晴れない。赤猪子は決心し、沢山のお土産を持
って、御殿に向かいました。
天皇は、自分が若い日に口にこぼした言葉など、きれいに
忘れておられました。「お前はどこのばあさんだ。何の用
でやって来た」。
薄情なその言葉に、赤猪子は全てを語ります。青春の日の
めぐり逢い。夢のようなお言葉。信じて待った、長い長い
年月を。
ひどく驚かれ、天皇はわびられました。
「私はすっかり忘れてしまっていたよ。それなのに、そち
は、私の言葉を信じきって、いちばん美しい盛りをむだに
過ごしてしまった。なんと可哀そうなことをしたのだろう」
赤猪子は泣きました。涙は、赤い摺り染めの袖を濡らしま
た。
その涙はなんだったのでしょうか。自分の青春への哀惜で
しょうか。天皇の一言でつぐなわれた心の喜びの涙でしょ
うか。初恋に殉じ、恋に一生を賭けた自分の心の誇りだっ
たのでしょうか。
おそらく、その、どの気持ちも入り混じった複雑なものだ
ったのでしょう。そし、赤猪子は泣きながら歌います。
日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨(とも)しきろかも
日下江の入江には、蓮が生えていて、美しい花を咲かせる
そうです。その蓮の花のように、盛りの年齢にある人が、
うらやましくてなりませんわ。