名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年11月


あはれさや 時雨るる時の 山家集
                    山口素堂

(あわれさや しぐるるときの さんかしゅう)

意味・・時雨忌の頃芭蕉を偲び、彼が愛誦した「山家
    集」を読んでいると、ありし日の亡友との親
    交が思い出され、感慨もまたひとしおである。

    芭蕉が没したのは旧暦10月22日で、初冬の時
    雨が降る頃であり、その忌日を時雨忌という。
    芭蕉が西行を畏敬し、その歌集「山家集」を
    愛読していた。素堂も芭蕉と親交があり尊敬
    を受ける間柄であった。

 注・・あはれ=感慨が深いこと。
    時雨=初冬の頃急に降ったり止んだりする雨。
    山家集=西行が詠んだ歌集。
    時雨忌=松尾芭蕉の命日(旧暦の元禄7年(16
         94年)10月22日)。

作者・・山口素堂=やまぐちそどう。1642~1716。
        芭蕉とも親交があった。「目には青葉山ほと
    とぎす初鰹」の句で有名。

出典・・素堂家集(小学館「近世俳句俳文集」)

三河なる 二見の道ゆ 別れなば 我が背も我れも
ひとりかも行かむ
                高市黒人

(みかわなる ふたみのみちゆ わかれなば わがせも
 われも ひとりかもゆかん)
       
意味・・三河の国の二見の道で別れてしまったら、
      あなたも私も、この先一人で寂しく旅を
    することになるのでしょうか。

    一、二、三の数字を詠み込んだ、洒落の
    歌です。

 注・・三河なる二見の道=愛知県豊川市国府町
     と御油(ごゆ)町との境。
    ゆ=動作の時間的空間的起点を表す。
    かも=疑問の意を表す。・・なのか。

作者・・高市黒人=たけちのくろひと。生没年未
    詳。700年頃の地方の下級官吏。

出典・・万葉集・276。

秋をへて 昔は遠き 大空に 我が身ひとつの
もとの月影
              藤原定家
          
(あきをへて むかしはとおき おおぞらに わがみ
 ひとつの もとのつきかげ)

意味・・幾多の秋を経て、昔は遠い彼方にある。大空には
    昔を思い出させる変わらぬ月の光、そして我が身
    ばかりはもとのままである。

    昔から、出世しようと頑張って来たのだがそれで
    もうだつが上がらない、私だけがもとのままだ。

    本歌は在原業平の次の歌です。

   「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつは
    もとの身にして」

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
    平安末期から鎌倉初期を生きた歌人。

出典・・定家卿百番自歌合(岩波書店「中世和歌集・鎌倉
    篇」)


本歌です。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは 
もとの身にして      
                在原業平
           
意味・・この月は以前と同じ月ではないのか。春は去年
    の春と同じではないのか。私一人だけが昔のま
    まであって、月や春やすべてのことが以前と違
    うように感じられることだ。

    しばらく振りに恋人の家に行ってみたところ、
    すっかり変わった周囲の光景(すでに結婚して
    いる様子)に接して落胆して詠んだ歌です。

作者・・在原業平=ありわらなりひら。825~880。美
    濃権守・従四位。「伊勢物語」が有名。

出典・・古今和歌集・747。

ともかくも 言はばなべてに なりぬべし 音に泣きてこそ
見せまほしけれ
                    和泉式部

(ともかくも いわばなべてに なりぬべし ねに
 なきてこそ みせまおしけれ)

詞書・・歎く事ありと聞きて、人の「如何なることぞ」と
    問ひたるに。

意味・・あれこれと言葉に出して言えば、ありふれたもの
    になってしまうでしょう。お目にかかって、声を
    立てて泣いて、あなたにお見せしたいのです。

    和泉式部が悲しみ事をしていると、人伝てに聞い
    て見舞いの手紙をくれた返事の歌です。

    心の細かいことは言葉ではとうてい十分に言いう
    るものではなく、言葉にして見ると、つまらない
    何でもないことになってしまう。しかし、内容は
    そのようなものではなく、悲しみや歎きそのもの
    は、声を立てて泣くことによって知ってもらう事
    で、それ以外には伝えることが出来ない・・。

 注・・なべてに=並べて。一通りに、並みに。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。年没年未詳、977
    年頃の生まれ。朱雀天皇皇女昌子内親王に仕
    える。

出典・・和泉式部集。


駿河なる 宇津の山べの うつつにも 夢にも人に 
逢はぬなりけり            
                  在原業平

(するがなる うつのやまべの うつつにも ゆめにも
 ひとに あわぬなりけり)

意味・・私は今駿河の国にある宇津の山のほとりに来て
    いますが、現実にお会い出来ないのはもちろん、
    夢の中でさえもお会いすることが出来ません。
    (あなたはもう、私を思ってくださらないので
    すね)

    当時は、相手が思っていてくれる時は、その姿
    が夢に出ると信じられていた。「夢にも人に逢
    はぬ」は、その人がすでに自分のことを思って
    いないのではと嘆いているのです。

 注・・駿河なる宇津の山=静岡県宇津谷峠。「宇津」
     で「うつ」を導いています。
    うつつ=現実。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。
    従四位上。蔵人頭。六歌仙の一人。

出典・・伊勢物語・9段。


草の庵 なにつゆけしと おもひけん 漏らぬ岩屋も
袖はぬれけり   
                  僧正行尊

(くさのいお なにつゆけしと おもいけん もらぬ
 いわやも そではぬれけり)

意味・・これまで、草の庵ばかりをどうして露に濡
    れると思ったのだろう。雨露の漏らない岩
    屋でも、涙の露で袖は濡れるものだ。

    深山での修行の厳しさによる辛苦を詠んだ
    歌です。
   
 注・・つゆけし=露けし、露がちである。
    漏らぬ岩屋=草葺(くさぶき)のように雨露
     が漏れるはずがない岩屋。

作者・・僧正行尊=そうじょうぎょうそん。1055
    ~1135。天台座主、平等院大僧正。

出典・・金葉和歌集・533。


噴水が 輝きながら 立ち上がる
 見よ天を指す
光の束を
                佐々木幸綱

(ふんすいが かがやきながら たちあがる みよ
 てんをさす ひかりのたばを)

意味・・さんさんとふり注ぐ明るい日差しを受けて、
      きらめく噴水が、まるで生き物のように勢い
    よく立ち上がった。それは、真っ直ぐに天を
    指して輝く、希望に満ち溢れた光の束のよう
    である。

作者・・佐々木幸綱=ささきゆきつな。1938~ 。
    早稲田大学卒。早稲田大学教授。

出典・・中学受験学習資料短歌。


天地の 和して一輪 福寿草 さくやこの花
幾代経るとも
                   二宮尊徳

(あめつちの わしていちりん ふくじゅそう さくや
 このはな いくよふるとも)

意味・・長い冬の峠を越え、ついに春の兆しを伝える福
    寿草のつぼみが雪の中から現れた。
    この愛らしい花は、天の恵みと地の恵みが一体
    となって生まれたものである。この異なるもの
    二つが一つになる事を「和」というが、福寿草
    も和の恵みを受けて今年も花を咲かせた。来年
    も再来年も、ずっと咲き続けて福寿、すなわち
    「幸福と長寿」を子々孫々まで願いたいものだ。

    思えば、人間社会の「福」も、人と人とが和合
    して初めて生まれるものである。お互いに反発
    しあい、闘争しあっては幸福の花は咲かないも
    のである。

 注・・福寿草=金鳳花(きんぽうげ)科の花。2月から3
     月にかけて黄色の花を咲かす。「幸福と長寿」
     の一字取っているので、縁起のいい花として
     正月によく飾られる。また、南天の実とセット
     で「難を転じて福となす」という縁起ものとし
     て飾られる。

作者・・二宮尊徳=にのみやたかのり。一般にそんとくと
    読まれる。通称二宮金次郎。1786~1856。江

    時代の農政家・思想家。

出典・・メールマガジン「おかみさん便り」。
    

更行ば まきのお山に 霧はれて 月影清し 
宇治の川浪      
                永福門院

(ふけゆけば まきのおやまに きりはれて つきかげ
 きよし うじのかわなみ)

意味・・夜が更けてゆくと、やがて槙尾山にかかって
    いた霧も晴れ、澄み切った月の光が、宇治の
    川浪にきらめいている。

 注・・まきのお山=宇治川沿いにある槙尾山。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    藤原実兼(西園寺太政大臣)の娘、伏見天皇の
    中宮。

出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」。


とふ人も 今はあらしの 山風に 人松虫の
声ぞかなしき
                詠み人知らず

(とうひとも いまはあらしの やまかぜに ひとまつ
 むしの こえぞ かなしき)

意味・・季節も秋の末近くなり、訪ねる人ももうある
    まいと思われる。嵐山の山風の音に交じって、
    人を待つ、松虫の声が哀しく聞こえて来る。

    人を待つ望みも消えて、山風や松虫の声で、
    侘びしさも深まって行く・・。

 注・・今はあらしの山風=「今はあらじ」と「嵐」
     を掛ける。「あらしの山」は京都の嵐山。
    人松虫=「人待つ」と「松虫」の掛詞。

出典・・拾遺和歌集・205。

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