名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2020年12月


年の一夜 王子の狐 見にゆかん

                 山口素堂

(としのひとよ おうじのきつね みにゆかん)

意味・・大晦日の夜ともなれば、世間の人達はなにかと
    多忙をきわめている。しかし隠者の身には格別
    あらたまった用もない。王子の狐でも見にでか
    けようか。

    素堂は儒学を学び和歌・書道・茶道・能などに
    素養があり、官職を務めていたが辞めて隠棲し
    た。多芸に遊ぶ高踏の隠士であった。
    俗心とは関わらない風狂の心を詠ん句です。

 注・・年の一夜=大晦日の夜。
    王子の狐=東京都北区にあり、王子稲荷がある。
     関八州の稲荷の棟梁とされ、大晦日の日に八
     州の狐が集まり、おびただしい狐火が見える
     という。この火によって豊作の吉凶が占われ
     た。
    高踏=俗世間を抜けて上品に構えること。
    隠士=俗世間を捨てて、静かな所に隠れ住んで
     いる人、また、そういう生活態度の人。隠者。
    風狂=風雅を強く求めること。

作者・・山口素堂=やまぐちそどう。1642~1716。芭
    蕉と交流。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。


行く年や猫うづくまる膝の上
                    夏目漱石

(ゆくとしや ねこうずくまる ひざのうえ)

意味・・今年が終わろうとする時期は決まって町も人も
    忙しそうで、慌ただしい。そんな時に、膝の上
    に猫を抱いている人がいる。猫にとっては膝の
    上はお決まりの場所。いつものように喉をなら
    してうとうとし始める。膝の上で丸まっている
    猫の温もりが感じられて幸せだ。

    行く年を振り返りながら、いつも同じ状態で年
    が越せるのは一番幸せだ、という思いです。

    知人に、定年後70才前まで嘱託で働いている人
    がいます。スポーツマンとしも活躍しています。
    二か月ほど前はスポーツマンとして元気な姿を
    見せていましたが、先日咽喉癌で入院したと聞
    きました。そして漱石のこの句を思い出しまし
    た。病気もせず、仕事の失敗もせず、いつもの
    通りに猫を抱いて年を越せられたら幸せだと。

作者・・夏目漱石=なつめそうせき。1867~1916。東
    大英文科卒。小説家。

出典・・大高翔著「漱石さんの俳句」。


松の葉の 葉毎に結ぶ 白露の 置きてはこぼれ
こぼれては置く
               正岡子規

(まつのはの はごとにむすぶ しらつゆの おきてては
 こぼれ こぼれてはおく)

意味・・庭先の松に雨が降りそそいで、その葉先に
    露がいろいろの形に置いてはこぼれ、こぼ
    れては置いている。この美しい光景は見て
    いても飽かないものだ。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。
    35歳。東大国文科中退。脊髄カリエスで腰
    痛のため歩行困難になり長年病床に臥す。

出典・・歌集「竹の里歌」。


世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも
鹿ぞ鳴くなる    
                 藤原俊成

(よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまの
 おくにも しかぞなくなる)

意味・・世の中は逃れるべき道がないのだなあ。
    隠れ住む所と思い込んで入った山の奥
    にも悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。

    俗世の憂愁から逃れようと入った奥山
    にも安住の地を見出せなかった失望感
    を、哀切な鹿の鳴き声に託して詠んで
    います。

 注・・道こそなけれ=逃れる道はないのだ、
     の意。「道」には、「てだて」くら
     いの気持がこめられている。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114
    ~1204年没。正三位皇太后大夫。「千
    載和歌集」の選者。

出典・・千載和歌集・1151、百人一首・83。


桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり かならず人を
待つとなけれど
                   式子内親王

(きりのはも ふみわけがたく なりにけり かならず
 ひとを まつとなけれど)

意味・・桐の落ち葉も、踏み分けにくいほど深く積もって
    しまったことだ。きっと来るに違いないと思って、
    人を待っているというのではないのだけれど。

    当時は一夫多妻制なので夫は妻の家に通っていた。
    妻は夫を待つ身です。
    深い諦めの底にある打ち消しがたい人恋しさが表
    れています。

作者・・式子内親王=しよくしないしんのう。1201年没。
    後白川上皇の第二皇女。高倉宮齋院。

出典・・新古今和歌集・534。


昨日といひ 今日と暮らして あすか川 流れてはやき
月日なりけり        
                   春道列樹

(きのうといい けふとくらして あすかがわ ながれて
はやき つきひなりけり)

意味・・昨日といっては暮らし、今日といって暮らして、
    また明日になる。飛鳥川の流れのように早い月
    日の流れであることだ。

    平々凡々と暮らす日々。昨日まで幼子と思って
    た娘も、もう乙女になった。月日の流れはこの
    川のように早いものだ。

      一寸の光陰軽んずべからずをいっています。
    わずかな時間でも無駄にしてはいけない。何を
    為すべきか、何が出来るかを常に考えていたい。 

 注・・あすか川=「明日」と「飛鳥川」を掛ける。飛
     鳥川は奈良県飛鳥地方を流れ大和川に注ぐ川。
     川の流れが速い。
    はやき=「早き」と「速き」を掛ける。

作者・・春道列樹=はるみちつらき。生没年未詳。920
    年壱岐守。

出典・・古今和歌集・341。


唐錦 秋見し水の 鏡さへ 落葉に曇る 
冬の山川
             藤原持季 

(からにしき あきみしみずの かがみさえ おちばに
 くもる ふゆのやまかわ)

意味・・秋には唐錦のような紅葉を映し見た山川の水鏡
    までもが、冬の今は散りかかる落ち葉で曇って
    いる。

    鏡のような水面が少し雲っているようだ。それ
    は落ち葉が散り(塵)、鏡に塵がかかったからで
    あろう。

作者・・藤原持季=ふじわらのもちすえ。1415年生まれ。
    従一位権大納言。1467年出家。

出典・・仙洞歌会(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)

我のみぞ 憂きと思へど 雲いにも 雁鳴きわたる
秋の夕暮れ
                 良寛

(われのみぞ うきとおもえど くもいにも かりなき
 わたる あきのゆうぐれ)

意味・・この世を生きるのがつらいのは、私だけと思っ
    ていたところ、この秋の夕暮れに、雁もつらそ
    うに大空を飛んで行くよ。

 注・・憂き=つらい。
    雲い=雲井。空、雲。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・谷川俊朗著「良寛歌集・334」。

書庫の窓 あらふ寒雨 論敵を うたむ言葉の
ひとつ閃く
               木俣修

(しょこのまど あらうさむあめ ろんてきを うたむ
 ことばの ひとつひらめく)

意味・・調べ物を探しに書庫まで出掛けた時、その窓
    を洗うばかりに激しい冬の雨が降っていた。
    その激しい雨を見つめていると、懸案になっ
    ていた論争の相手に応えるべき筋書が閃いて
    来た。

    考え事をしていて答えが分からないので、他
    の事をしいると、何かの切っ掛けで答えが閃
    く事があります。その状態を詠んでいます。
    
 注・・うたむ=疎む。遠ざける、嫌う。

作者・・木俣修二=きまたしゅうじ。1906~1983。
    東京高等師範卒。昭和女子大教授。

出典・・歌集「天に群星」(実業之日本社「現代秀歌
    百人一首」)

此の道や行く人なしに秋の暮れ    
                  芭蕉

(このみちや ゆくひとなしに あきのくれ)

意味・・晩秋の夕暮れ時、一本の道がかなたに続いて
    いる。その道は行く者もなく寂しげだが、自
    分は一人でその道を通っていこう。

    秋の暮れの寂しさと芭蕉の孤独感を詠んで
    います。「此の道」は眼前にある道と同時に
    生涯をかけて追求している、俳諧の道でも
    あります。

 注・・この道や=「俳諧の道」も含まれている。「
     や」は「ああこの道は」という詠嘆の意が
     含まれている。真に自分の俳諧の道に志す
     人の少ない孤独の思いを嘆ずる気持ちです。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・笈(おい)日記。

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