名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

2021年03月


石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に 
なりにけるかも
               志貴皇子
             
(いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいずる
 はるに なりけるかも)

意味・・水が激しく岩にぶつかり落ちる滝のほとりの蕨
    が今こそ芽吹く春になったことだなあ。

    雪どけのために水かさが増した滝のほとりに、
    芽吹いたワラビを見つけたことを、長い間待ち
    焦がれた春の訪れとして受け取り、率直な喜び
    を歌っています。

    詞書では「歓びの歌一首」とあり、これは何か
    の喜びを抽象的に歌ったものです。
    大きな仕事を成し遂げた時の晴れ晴れとした気
    持が感じさせられます。

 注・・垂水の上=滝のほとり、垂水はたれ落ちる水の
    こと。

作者・・志貴皇子=しきのみこ。~715。天智天皇の子。

出典・・万葉集・1418。


天離る 鄙の長道ゆ 恋来れば 明石の門より 
大和島見ゆ     
               柿本人麻呂

(あまざかる ひなのながちゆ こいくれば あかしの
 とより やまとしまみゆ)

意味・・遠い田舎の長い道のりをひたすら都恋し
    さに上って来ると、明石海峡から大和の
    山々が見える。

    九州から都に上る時の歌で、家を恋しな
    がらの旅の終わりが近ずき、畿内に入れ
    た喜びを詠んでいます。

 注・・天離(あまざか)る=鄙の枕詞。
    鄙=都から離れた所、いなか。
    門(と)=瀬戸、海峡。
    大和島=明石より島のように見える生駒
      葛城連山を指す。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。七
    世紀後半から八世紀初頭の人。万葉時代
    の最大の歌人。

出典・・万葉集・・255。


露の世は露の世ながらさりながら
                 小林一茶

(つゆのよは つゆのよながら さりながら)

意味・・この世は露のようにはかないものと
    よく知っているが、それでもやはり
    いとしい我が子の死はあきらめきれ
    ぬものだ。

    1819年6月21日に長女さとが
    疱瘡(ほうそう)のため亡くなった
    時の句です。

作者・・小林一茶=こばやしいっさ。1763~
    1828。

出典・・おらが春。


蹴られても 転ばされても 黒白の サッカーボールを
追いかけてゆく
                 山口慶二

(けられても ころばされても くろしろの サッカー
ボールを おいかけてゆく)

意味・・サッカーをしていると、蹴られる事も転倒する
    事もある。痛いとか辛いとか思わずに、また、
    サッカーボールを目指して追っかけている。

    何事にも、一途に熱中する姿は青春そのもので
    あり、何事にも替え難く尊いものです。

作者・・山口慶二=やまぐちけいじ。生没年未詳。`93
      当時徳島県板野高校三年生。

出典・・短歌青春(東洋大学・現代学生百人一首)


ときはなる 松の緑も 春くれば いまひとしほの 
色まさりけり 
                源宗干

(ときわなる まつのみどりも はるくれば いまひとしおの 
 いろまさりけり)
 
意味・・松の緑は一年中、色が変わらないが、その松
    までも春が来たので今日は一段と色がまさっ
    ていることだ。

    「松の緑も」というこで、他の木々には当然
    春色が訪れている事を語っています。

 注・・ときは=常盤、永久に状態の変わらないこと。
    いまひとしほ=さらに一段と。

作者・・源宗干=みなもとのむねゆき。939年没。正
      四位摂津守。

出典・・古今和歌集・24。


くるに似て かへるに似たり 沖つ波 立居は風の

吹くにまかせて
                  貞心尼

(くるににて かえるににたり おきつなみ たちいは
 かぜの ふくにまかせて)

意味・・人の運命は、寄せて来ると思えば戻る波のよう
    なものである。喜びがあれば憂いもあり、成功
    もすれば失敗もする。だから、努力した結果は
    幸も不幸も風の吹くまま運命にまかせよう。

    辞世の歌です。

作者・・貞心尼=ていしんあま。1798~1872。尼僧。
    30歳の時、良寛に出会い禅を修行する。

出典・・宣田陽一郎著「辞世の名句」。


終夜 燃ゆる蛍を 今朝見れば 草の葉ごとに
露ぞ置きける
               健守法師

(よもすがら もゆるほたるを けさみれば くさの
 はごとに つゆぞおきける)

意味・・一晩中、燃え輝いていた蛍を眺めていたが、
    今朝見て見ると、蛍に代わって、草の葉一つ
    一つに露が置いてきらきらと光っている。

    夜は蛍が光り、朝は玉の露が光って目を楽し
    ませてくれた喜びを詠んでいます。

作者・・健守法師=けんしゅほうし。生没年未詳。
    1000年前後に活躍した人。

出典・・拾遺和歌集・1078。


あさみどり かひある春に あひぬれば 霞ならねど
立ちのぼりけり
                   しろ女 

(あさみどり かいあるはるに あいぬれば かすみ
 ならねど たちのぼりけり)

意味・・浅緑色に草木も萌える春。この生き甲斐のある
    春に折よくめぐり合いましたので、霞ではあり
    ませんがまるで心も空に立ちのぼるばかりです。

    地名の「鳥飼」を詠み込んだ歌です。地名を詠
    み込んだだけでなく、「生き甲斐のある」処遇
    に感謝の心を詠み込んでいます。
    
    「とりかひ」は「あさみどり かひある春に」
    に詠みこまれています。

    大和物語146段にある歌で、あらすじは下記参照。

 注・・鳥飼=大阪摂津市にある地名。

作者・・しろ女=しろめ。大和物語に出て来る遊女。
     従四位丹波守大江玉渕(たまぶち)の息女。

出典・・大和物語・146段。

大和物語146段のあらすじです。

    「ある日、宇多院は出遊して鳥飼の離宮に赴き、
    ここに遊女を召して遊宴を張った。中でも声の
    よい歌い手であるしろ女は気品高い容貌をもっ
    た由緒ありげな遊女であった。目を留めて人に
    尋ねると、何とこれが従四位丹波守玉渕(たま
    ぶち)の息女のなれの果てである事が分った。
    大江玉渕といえば都でも名ある学問の家である。
    院はしろ女の転落にいたく同情しつつ、試みる
    ように、「とりかひ」の地名を詠みこんだ歌を
    求めてみた。
    上記の歌が、この時のしろ女の即詠の歌である。
    しろ女はこの一首を媒介として、宇多院の保護
    を受け、幸運な生活が出来る事になった。」

 


恋しさは その人かずに あらずとも 都をしのぶ
中に入れなん      
                  藤原有定
               
(こいしさは そのひとかずに あらずとも みやこを
 しのぶ うちにいれなん)

意味・・私への恋しさは、意中の人の数の中に入って
    いなくとも、せめて都を思い懐かしむ人の中
    に入れて下さい。

    橘為仲朝臣が陸奥守になって行く時の離別の
    歌です。自分を忘れないで欲しいというささ
    やかな願望です。

 注・・その人かず=恋しい人に数えられるべき人。

作者・・藤原有定=ふじわらのありさだ。1043~1094。
    淡路守、従五位上。

出典・・金葉和歌集・347。


これぞこの 仏の道に 遊びつつ つくや尽きせぬ
御法なるらむ       
                貞心尼

(これぞこの ほとけのみちに あそびつつ つくや
 つきせぬ みのりなるらん)

意味・・これが仏の道を学ぶ手段として手鞠を
    ついて良寛様は遊んでおりますが、い
    くらついてもつき終わる ことがなく、
    これが仏の教えというものなのでしょ
    うか。

    良寛さんは手毬を撞いて遊んでいると聞き
    ますが、そこに尽きせぬ仏への精進の道が
    私には窺(うかが)われます。私も一緒に遊
    び仏道を学びたいと思います。
    どのようにして、仏道の心髄をを体得して、
    悠々自適の生活を楽しんでいられるのでし
    ょうか。私もお導き下さい。

    30歳の時、良寛の弟子入りをする為に、
    訪問して詠んだ歌です。無邪気な良寛の姿
    に仏道を見ています。

    良寛の返歌です。

つきてみよ 一二三四五六七八 九十 十とおさめて
また始まるを         
                  良寛
                 
(つきてみよ ひふみよいむなや ここのとお とおと
 おさめて またはじまるを)

意味・・私について、毬をついてみなさい。一二三四五
    六七八九十と、十で終わり、また一から始まって
    限りが無いように、仏の教えも限りのないもの
    だよ。

    この手毬をついて無心になる気持ちを求めるな
    らば、理屈や言葉ではなくて、あなたもどうぞ
    一緒に手毬を撞いてごらんなさい。一二三と十
    まで撞いたらまた繰り返してひたすら撞いて行
    く。夢中になっている時に、実は本当の仏の世
    界が開けるのですよ。

    扉は叩いてごらんなさい。思った事は先ず試し
    てみなさい。実行してみてから、その次はまた
    その時考えて実行に移してゆくことです。あな
    たがもし私に逢いたいならば遠慮なくどうぞ。

    一から十まで初めから終わりまで、身の回りに
    あるもの全てが道ですよ。その道一筋に励むな
    らば、どこでも道を見つける事が出来るのです
    よ、自分のすべきを一途にするなら、そこに仏
    道が開けます。夢中になっている時に実は本当
    の仏の世界が開けてくるのですよ。

 注・・つく=撞く。ここでは手毬を撞く。
    御法(みのり)=仏法の敬称。

作者・・貞心尼=ていしんあま。1798~1872。俗名奥
    村マス。武士の娘。17歳で結婚22歳で離別。
    23歳で出家。30歳の時、良寛の弟子になる。
     

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