来ん世には 心の中に あらはさん あかでやみぬる
月の光を
西行
(こんよには こころのうちに あらわさん あかでや
みぬる つきのひかりを)
みぬる つきのひかりを)
意味・・来世には心の中に現そう。この世ではいくら
見ても見飽きることのなかった月の光を。
見ても見飽きることのなかった月の光を。
月輪観(がちりんかん)を詠んでいます。「求
道者が、己の心は円満な月の如く、円満清浄
であって、その光明があまねく世界を照らす
と観ずる法をいう。密教では誰もが本来仏性
を具有すると説く。その仏性は様々なものに
邪魔されて普段は隠れているけれども、努力
して障害を取り除けば本有の仏性が現れて、
誰でも覚者になり得ると教える。この本有の
仏性を心月輪(しんがちりん)ともいう」、すな
わち「行者が自己の内奥に満月の如く輝く仏
性が存在することを自覚するための観法」。
道者が、己の心は円満な月の如く、円満清浄
であって、その光明があまねく世界を照らす
と観ずる法をいう。密教では誰もが本来仏性
を具有すると説く。その仏性は様々なものに
邪魔されて普段は隠れているけれども、努力
して障害を取り除けば本有の仏性が現れて、
誰でも覚者になり得ると教える。この本有の
仏性を心月輪(しんがちりん)ともいう」、すな
わち「行者が自己の内奥に満月の如く輝く仏
性が存在することを自覚するための観法」。
注・・心の中にあらはさん=心中に月を現ずる。心
月輪(しんがちりん)。心が月のごとく円満
清浄に輝いていると自覚すること。月輪観
による表現。
あかでやみぬる=この世で最後まで見飽きず
に終わったの意。
月輪(しんがちりん)。心が月のごとく円満
清浄に輝いていると自覚すること。月輪観
による表現。
あかでやみぬる=この世で最後まで見飽きず
に終わったの意。
作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
1140年23歳で財力がありながら出家。出家
後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
仏者として修行する。家集「山家集」。
清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
1140年23歳で財力がありながら出家。出家
後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
仏者として修行する。家集「山家集」。
出典・・千載和歌集・1023。
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