分け入っても分け入っても青い山

                   山頭火 

(わけいっても わけいっても あおいやま)

意味・・いくら進んでも青い山ばかりで街は見えない。
    それでも歩き続けている。

    道なき道を分け入って、どんどん進んでも青い
    山は果てしなく続いている。

    自分の人生の道、俳句の道もいくら模索しても
    これが満足というのに程遠い。    

    「この道やゆく人なしに秋の暮れ」と詠んだ芭蕉
    の孤独と求道に通じています。(意味は下記参照)

       
 注・・分け入っても=「も」は・・だけれどの意。「も」
     を繰り返して、求めているものが中々見つから
     ないもどかさを表している。
    青い山=明るいイメージの言葉は「楽しげで活気に
     富んだものであるが、山頭火の求めた物ではない」
     を強調している。青い山は、人生の生業(なりわい)
     に打ち込む楽しみや家庭の幸せ、そして浮き世の
     華やかな快楽であり、普通の人々が生きている世
     界を意味している。

作者・・山頭火=さんとうか。種田山頭火。1882~1940。
     父の放蕩、母と弟の自殺、家業の酒業の失敗で
     不幸が重なる。大正14年出家し禅僧として行乞
     流転しながら句作。荻原井泉水に師事。

出典・・金子兜太著「放浪行乞・山頭火120句」。

参考歌です。

此の道や行く人なしに秋の暮れ       芭蕉


意味・・晩秋の夕暮れ時、一本の道がかなたに続いて
    いる。その道は行く者もなく寂しげだが、自
      分は一人でその道を通っていこう。

      秋の暮れの寂しさと芭蕉の孤独感を詠んで
    います。「此の道」は眼前にある道と同時に
    生涯をかけて追求している、俳諧の道でも
    あります。

 注・・此の道=道路、まっすぐに通っている一本の
     みち。剣道とか柔道とかいう「道・術」の
     意を掛けている。
    秋の暮れ=秋の日暮れ時。また秋季の終わり。
     寂しさを伴う情景として詩歌に歌われる。

出典・・小学館「松尾芭蕉集」。