名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

カテゴリ: 日記


花見んと 植えけん人も なき宿の 桜は去年の 
春ぞ咲かまし
                 大江嘉言

(はなみんと うえけんひとも なきやどの さくらは
 こぞの はるぞさかまし)

意味・・花を見ようと思って、植えた人が亡くなった
    この家の桜は、去年の春に咲いたらよかった
    であろうに。

    ある人が桜を植えたその後に亡くなってしま
    った。その翌年、初めて花が咲いたのを見た
    友人である嘉言(よしとき)が詠んだ歌です。

    親しかった人の生前の願いが、その人の死後
    に実現した時の悔しさ、嘆きを詠んでいます。

作者・・大江嘉言=おおえのよしとき。1010年没。津
    島守。中古三十六歌仙。

出典・・新古今和歌集・763。


世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は
のどけからまし
                 在原業平

(よのなかに たえてさくらの なかりせば はるのこころは
 のどけからまし)

意味・・もしこの世の中に全く桜がなかったなら、春の人の
    心はどんなにのどかであろうか。

    春は本来のどかな季節であるが、桜を愛するあまり、
    咲くのを待ち焦がれ、散るのを惜しみ、また雨に
    つけ風につけ、気にかかって落ち着かないという気持
    を、反実仮想の機知をきかせて詠んでいます。

作者・・在平業平=ありひらのなりひら。825~880。従四位上・
     蔵人頭。

出典・・古今和歌集・53。


梓弓 春立ちしより 年月の 射るがごとくも 
思ほゆるかな
              凡河内躬恒

(あずさゆみ はるたちしより としつきの いるが
 ごとくも おもおゆるかな)

意味・・梓弓につがえて射る矢は見る間に飛び去るが、
    その弓に張るという言葉に違わず、春になつた
    と思うやいなや、それから始まった新しい年月
    が矢を射たようにすばやく飛んでいく。

    「光陰矢の如し」です。

 注・・梓弓(あずさゆみ)=春に掛る枕詞。
    春=「張る」を掛ける。

作者・・凡河内躬恒=おうしこうちのみつね。生没年
    未詳。907年和泉権掾(ごんのじょう)。

出典・・古今和歌集・127。


大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 
天の橋立
                    小式部内侍
            
(おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず
 あまのはしだて)

意味・・大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは
    遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、
    また、母からの手紙も見ていません。

    詞書きに詠作事情が書かれています。
    母の和泉式部が丹後国(京都府北部)へ赴いていた頃、
    作者が歌合に召されることになった。そこへ藤原定
    頼がやってきて、「歌はどうなさいます、丹後には
    人をおやりになったでしょうか。文を持った使者は
    帰ってきませんか」などとからかった。当時、世間
    には、小式部の歌の優れているのは、母の和泉式部
    が代作をしているという噂があった。ここで小式部
    は定頼を引き止めて、この歌をたちどころに詠んで、
    母に頼っていない自分の歌才を証(あか)してみせた。    

 注・・大江山=京都市西北部にある山。
    いく野=「生野」京都府福知山市にある地名。
     「行く」を掛ける。
    ふみ=「踏み」と「文(手紙)」を掛ける。
    天橋立=丹後国与謝郡(京都市宮津市)にある名勝で
     日本三景の一つ。
    藤原定頼=995~1045。藤原公任(きんとう)の子。

作者・・小式部内侍=こしきぶのないし。1000?~1025。
    若くして死去。母は和泉式部。

出典・・金葉和歌集・550、百人一首・60。


人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の
香ににほひける           
                 紀貫之

(ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞ
 むかしの かににおいける)


意味・・そうおっしゃるあなたの心は、さあどうでしょ
    うか。心中のほどは分りません。でも昔馴染み
    のお家では、確かに梅の花のほうは昔のままの
    香りを薫らせて咲いていますね。

    久しぶりに訪れた貫之に向かって家の主人が
    「お宿はこのようにちゃんとありますのに(
    なぜいらっしやらないのですか)」と、疎遠な
        心を恨んで皮肉ったのに対し、「ふるさと」
    の自然は確かに昔のままだが、そこに住む人
    の心までは定かでないと、相手の言葉尻を捉
    え、同じ皮肉を込めて逆襲したものです。
    お互いに皮肉が言える親しい間柄だから言え
    ことです。


主人の返歌

花だにも 同じ心に 咲くものを 植えたる人の
心知らなん

前後を会話風に訳すと

主人「ずいぶんお見限りでしたね。お宿は昔の
   ままなんですよ」
貫之「たしかにお宿も梅の花も昔のままだけど
   住む人のお気持はどうでしょうか」
主人「花だって変わらないのですから、それを
   植えた人の心もわかって下さいよ」

   一首の構成は、人の心は変わりやすく、
   自然は変わらない、という古来の観念を
   基本としています。

 注・・ふるさと=以前住んでいた里。
    花=一般に「花」というと桜をさすがねここ
       では梅。
    香ににほひける=「にほふ」は色彩の華やか
     さを表す語だが、平安時代になると臭覚的
     な意味を合わせ持つようになった。

作者・・紀貫之=866~945。「古今集」の中心的選者。
              仮名序も執筆。

出典・・古今和歌集・42、百人一首・35。


中々に 花さかずとも 有りぬべし よし野の山の
春の明ぼの            
                 慈円

(なかなかに はなさかずとも ありぬべし よしのの
 やまの はるのあけぼの)

意味・・なまじっか桜の花が咲いていなくても、それは
    それでよいと思う。えも言われない吉野山の春
    の曙の空の美しさよ。

 注・・中々に=いっそう、むしろ。

作者・・慈円=じえん。1155~ 1225。天台座主。

出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」。


八重咲けど にほひは添はず 梅の花 紅深き 
色ぞまされる
                 散逸物語
           
(やえさけど においはそわず うめのはな くれない
 ふかき いろぞまされる)

意味・・八重に咲いているが、匂いが加わっていない
    梅の花は、紅の深い色の方が優れています。

    紅梅と白梅の優劣を競って花を賞美する時に
    紅梅について詠んだ歌です。

 注・・散逸物語=さんいつものがたり。散逸して現在
    は無くなっている物語。

出典・・風葉和歌集・37。


帰る雁 なに急ぐらん 思ひ出でも なき故郷の 
山としらずや
                 宗良親王

(かえるかり なにいそぐらん おもいいでも なき
 ふるさとの やまとしらずや)

意味・・北の故郷に帰る雁よ、何をそんなに急いでいる
    のか。お前と違って私にとっては思い出も何も
    ない故郷の山とは知らないのか。

    北朝方に破れ流転する宗良親王もやはり故郷は
    恋しい。しかし北朝が支配する故郷は屈辱の思
    い出でもあり帰れない、という思いを詠んでい
    ます。    

注・・故郷=ここでは京都をさす。武家に追われた京
    奪回を志す京でもある。

作者・・宗良親王=むねよししんのう。1311~?。父は
    後醍醐天皇。元弘の乱の時、讃岐に配流。その
    後信濃・越後などで北朝(足利)方と転戦。

出典・・新葉和歌集・59。

春遠く ああ長崎の 鐘の音    
                    江国滋

(はるとおく ああながさきの かねのおと)

意味・・浦上天主堂の静かで寂しい鐘の音を聴いていると
    悲しくなって来る。まだまだ、冬は厳しく春は遠
    いのだ。

    長崎は悲劇を背負った地です。キリシタン弾圧、
    原爆投下。88年12月には木島長崎市長が右翼
    の短銃で撃たれた。この時に詠んだ句です。また、
    07年4月に伊藤長崎市長が右翼暴力団により射
    殺されています。
 
 注・・浦上天主堂=長崎にあるカトリック教会。33年も
    年月をかけて1925年完成。原爆投下により崩壊し
    赤レンガの壁が一部残るだけにとなった。浦上地区
    には当時12000人の信徒がいたが8500人が爆死し
    た。1959年再建された。
 
作者・・江国滋=えぐにしげる。1934~1997。慶応義塾
    大卒。評論家。俳人。


何ごとも 時ぞと念ひ わきまへて みれど心に
かかる世の中
                 橘曙覧 

(なにごとも ときぞとおもい わきまえて みれど
 こころに かかるよのなか)

意味・・何事も時が解決してくれると、そのようにわき
    まえてはいるものの、やはり心配な世の中だ。

 注・・心にかかる世の中=この歌では、明治維新の前
     夜というべき時期で、攘夷と開港の問題をめ
     ぐって、国論が騒然としていた世相。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。明治元年
    は1868年。

出典・・橘曙覧歌集・380。

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