名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

カテゴリ:日記 > 和歌・短歌・俳句

ころころと 小石流るる 谷川の かじかなくなり 
落合の滝
                建礼門院

(ころころと こいしながるる たにがわの かじかなくなり
 おちあいのたき)

意味・・ころころと小石が転げるようなせせらぎが聞こえる
    谷川は落合の滝となって流れている。この滝では河
    鹿が美しい声で鳴いていて清々しさが誘われる。

 注・・かじか=河鹿。蛙の一種。谷川に棲み美しい声で鳴
     く。
    落合の滝=京都市左京区大原の草生川にあり、寂光
     院につながる道路にある小さな滝。

作者・・建礼門院=けんれいもんいん。1155~1213。高倉
    天皇の中宮。父は平清盛。1185年平家が壇ノ浦の
    合戦で敗れると、入水したが助けられ、その後大原
    の寂光院で尼となる。

 


 はなよしれ あきもあかずも まだしらぬ 六十年の春の
末とほき身を
                    冷泉為村
              
(はなよしれ あきもあかずも まだしらぬ むそじの
 はるの すえとおきみを)

意味・・花よ知っておくれ。花に充ち足りたか、充ち足りて
    いないかも未だ分らないで六十年もの春を繰り返し
    て来て、これからの行く末も知らないこの私を。

    自分は充ち足りたかどうかさえも分らぬまま六十年
    を過ごしたとして、花の美(欲望)の前には全く無力
    な人間である事を詠んでいます。

    次の歌は三条西実隆(さねたか)の参考歌です。
   「今はとて思ひすてばや春の花 六十年あまりは
    咲きちるも見つ」

    (六十余年も花の咲き散るのを見てきて、このあ
    たりで花への執着を振り捨てよう)

    この歌はかえって花(欲望)に執着の強さを表現し
    ています。

 注・・あきもあかずもまだしらぬ=花に充ち足りたか、
     充ち足りていないのか、どういうことなのか
     も未だ分らない。

作者・・冷泉為村=れいぜいためむら。1712~1774。
    正二位権大納言。

出典・・樵夫問答・しょうふもんどう(小学館「近世和
    歌集」)


*************** 名歌鑑賞 ****************

友ほしく 何おもひけむ 歌といひ 書という友
ある我にして
                 橘曙覧

(ともほしく なにおもいけん うたといい ふみ
 というとも あるわれにして)

意味・・寂しくなり、どうして友達が欲しいと思った
    のだろう。私には、歌詠みとか本という友達
    がありながら。

    悩みを聞いてくれる友、喜びを分かち合える
    友、それは本であり歌を詠むことである。

 注・・何おもひけん=どうして思ったのだろう。
    にして=・・でありながら。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。越前
    国福井(今の福井市)の紙商の長男。家業を異母
    弟に譲って隠棲。歌集「志濃夫廼舎」。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。



**************** 名歌鑑賞 ***************

はるばると 薬をもちて 来しわれを 見守りたまへり
われは子なれば      
                  斉藤茂吉
(はるばると くすりをもちて こしわれを みまもり
 たまえり われはこなれば)

意味・・はるばると薬をもって駆けつけて来た私を、
    病床の母はただじっと眺めるばかりであった。
    その子であるこの私を。

    「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ
    天に聞ゆる」などの連作の一首。その事により
    この歌の主語は母となります。医師である茂吉
    は言語障害の危篤の母の見舞いに駆けつけた
    歌です。

    病人の母は、「大丈夫?」と言って薬を持って
    来てくれたのも嬉しいことでしょうが、子供の
    元気な姿を見るのが嬉しく、安心してじっと我
    が子を見守っています。

 注・・薬をもちて=当時茂吉は32歳で東大医科の助手
     であり、付属病院の医師であった。そういう
     事情が含まれている。
    見守り=単に見るの意でなく、じっと見つめる
     事。
    われは子なれば=「見守りたまへり」に続く倒
     置句法。

作者・・斉藤茂吉=さいとうもきち。1882~1953。
    東大医科を卒業。「アララギ」を編集。
出典・・学灯社「現代短歌評釈」。


**************** 名歌鑑賞 ****************


夕顔の 棚つくらんと 思へども 秋まちがてぬ
我がいのちかも
                正岡子規

(ゆうがおの たなつくらんと おもえども あきまち
 がてぬ わがいのちかも)

意味・・夕顔の棚を作ろうと思うけれども、その夕顔の
    実がなる秋を待つことも難しい自分の命である。

    病状の悪化により命もいよいよ先が無いと感じ
    ている子規です。ても、生きている限りを
燃え
    尽くしています。夕顔の棚を作り、短歌を通じ
    て。

 注・・夕顔=うり科ひょうたん属。夏の夕方白い花を
     咲かす別名干瓢。
    がてぬ=出来ない。耐えられない。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35才。
    東大国文科中退。結核で喀血し脊髄を侵され寝
    たきりの状態になる。

出典・・学灯社「現代短歌精講」。

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