名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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降る雪や 明治は遠く なりにけり 
                 
                 中村草田男

(ふるゆきや めいじはとおく なりにけり)

意味・・雪が盛んに降っている。その雪に現実の
    時を忘れ、今が二十数年前の明治のころ
    そのままのような気持になっていた所、
    ふと現実に帰り、しみじみ明治は遠くな
    ってしまったと、痛感するものだ。

      昭和6年の作です。
    雪が降りしきる中、20年振りに母校の小学校
    付近を歩いていた。母校は昔のままと変わらない
    なあと思いつつ、その当時の服装、黒絣の着物
    を着て高下駄を履き黄色の草履(ぞうり)袋を下
    げていたのを思い出していた。
    その時、小学校から出て来たのは、金ボタンの
    外套を着た児童たちであった。
    現代風の若者を見ると、20年の歳月の流れを
    感じさせられる。そして明治の良き時代は遠く
    になってしまったものだ。

作者・・中村草田男=なかむらくさたお。1901~1983。
    東京帝大国文科卒。成蹊大学名誉教授。高浜虚
    子に入門。
 
出典・・句集「長子」(尾形仂篇「俳句の解釈と鑑賞辞典)



************** 名歌鑑賞 ***************


終宵秋風聞くやうらの山     
                  曾良

(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)

意味・・旅で病み師と別れ、一人でこの寺に泊まったが
    一晩中ちっとも眠られず、裏山に吹く秋風の音
    を聞いたことだ。
    
    師である芭蕉と奥の細道を四ヶ月共に旅をして
    来たが、病状の身になり師と別れ全昌寺に泊ま
    った時に詠んだ句です。

    一人旅の不安と、師である芭蕉の身を案じ、眠
    られない想いを詠んでいます。
    芭蕉も一日遅れてここに泊まった時、一夜を隔
    てているだけであるが、寂しさのため、まるで千
    里も隔たっているように思われると言っています。
 
    全昌寺境内にこの句の句碑が建っています。
 
 注・・全昌寺=石川県大聖寺町にある禅寺。
 
作者・・曾良=そら。河合曾良。1649~1710。芭蕉に
    師事。「奥の細道」の旅に随伴した。
 
出典・・奥の細道。


************** 名歌鑑賞 ***************


江のひかり柱に来たり今朝の秋
                   成田蒼虬

(えのひかり はしらにきたり けさのあき)

意味・・朝起きてみると、いつもと違って、部屋の奥
    まった柱にも日の光がさしている。それもゆ 
    らゆらと揺れながらである。あ、そうか、今
    日は立秋だったのだ。家のすぐ前の川の水面
    から光が反射して、こんなところまで届くの
    か。やはり秋だなあ。

 注・・今朝の秋=立秋の朝。2018年の立秋は八月七
     日。残暑の昼に対する言葉で、気分的にも
     すがすがしい。

作者・・成田蒼虬=なりたそうきゅう。1761~1842。
    頼山陽と交流。月並俳句の作者として名高い。

出典・・句集「蒼虬翁句集」(尾形仂篇「俳句の解釈と
    鑑賞辞典」)


*************** 名歌鑑賞 ***************


長泣きをせよとて残す形見分け
                  玄風

(ながなきを せよとてのこす かたみわけ)

意味・・形見分けは良し悪しで、いつまでも過去に
    とらわれ、思い出しては悲しみを新たにす
    るようなもので、明日への力を削いでしま
    うものである。こんなに早く逝(い)って
    しまうのなら、あんな恨み言を言わなけれ
    ば良かったと、悔やんでも甲斐ない思いに
    沈む。

 注・・長泣=泣きやまず泣き続けること。ここで
     は長い期間泣き続けること。
    形見分け=死んだ人の遺品を記念として分
     けること。

作者・・玄風=伝未詳。江戸時代初期の川柳作歌。

出典・・鈴木勝忠校注「川柳」。


**************** 名歌鑑賞 ****************


長松が親の名で来る御慶かな
                  志太野波

(ちょうまつが おやのなでくる ぎょけいかな)

意味・・このあいだまで「長松、長松」と呼ばれていた
    小僧が、年季も明けて独立し、親の名を継いで
    何屋何兵衛といったふうな名で年始の挨拶にや
    って来た。

    年齢もまだ若く、祝詞を述べる口上にも板につ
    かないぎこちなさがあろう。そのおかしみを詠
    んでいます。

 注・・長松=江戸時代に商家などの小僧の名として用
     いられた。
    御慶=新年を祝う挨拶の言葉。

作者・・志太野波=しだやば。1663~1740。越後屋(今
    の三越)の番頭。芭蕉に師事。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。


*************** 名歌鑑賞 ***************


奥山に紅葉を分けて鳴く蛍             
                  豊臣秀吉

(おくやまに もみじをわけて なくほたる)

意味・・奥山の紅葉を分けて行くと、蛍が鳴いて
    いるよ。

    秀吉、細川幽斎、連歌師の紹巴と頓知比べ
    の遊びをしている時の句です。さあ、この
    後に句を続けよと秀吉。
    紅葉の時期には蛍はいない、まして蛍が鳴
    くなんてあり得ない、と秀吉に文句を言え
    ば、それこそ首が飛んでしまう。
    この句の本歌は百人一首・古今集の中で、
    猿丸太夫の詠んだ歌、
    「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ
    秋は悲しき」です。

    (人里離れた奥山で、散り敷いた紅葉を踏み
    分けて鳴いている鹿の声を聞く時こそ、いよ
    いよ秋は悲しいものと感じられる)

    知恵者も集まり考えて出来たのが、
    「しかとも見えてみねのともしび」
    句を続けると、
    「奥山に 紅葉を分けて 鳴く蛍 しかとも
    見えて みねのともしび」

    (紅葉した山に蛍が鳴いているように見える
    ものだ。灯の点っている峰の所で鳴く鹿は)

作者・・豊臣秀吉=とよとみひでよし。1537~1598。
    本能寺の変の後、明智光秀、柴田勝家を破り、
    徳川家康を臣従させて、全国を統一した。

出典・・「続近世奇人伝」。インターネット「秀吉と愉快
    な仲間」。


************** 名歌鑑賞 *************


霰ふる 音にも世にも 聾傘
                 長谷川馬光

(あられふる おとにもよにも つんぼがさ)

意味・・霰が降るなかに傘をさしてゆくと、傘に
    ぱらぱらと音がうるさいほどあるはずだ
    が、年をとって耳が遠くなったので霰の
    音もそれほどには聞こえず、そのように、
    公の勤めをやめた自分は、世の中の動き
    にも無頓着に、遁世した者のような暮ら
    し方をしている。

 注・・世にも=音が聞こえないように、世間の
     ことにもうとくなることをいう。
    聾傘=傘に降る霰の音が聞こえず、また
     世間のことにも関心をもたないこと。
    遁世(とんせい)=世を逃れて隠れること。
     隠居すること。

作者・・長谷川馬光=はせがわばこう。1685~
            1751。山口素堂門下。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。


*************** 名歌鑑賞 *****************


力一ぱいに 泣く児と 啼く鶏との朝
                   荻原井泉水

(ちからいっぱいに なくこと なくとりのあさ)  

意味・・力一杯に泣く赤子の声が聞こえて来る。と同時に
    けたましい鶏の啼き声も聞こえてくる。なんと希
    望に満ち、躍動的な朝なのだろう。

    力一杯に生きるという生命感を訴えています。
    
作者・・荻原井泉水=おぎわらせいせんすい。1884~19
    76。東大文学部卒。

出典・・句集「原泉」(尾形仂著「俳句の解釈と鑑賞事典」)


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わらやふるゆきつもる
                 荻原井泉水

(藁屋 降る 雪積もる)

意味・・藁屋に降り積もる雪、無心に降る雪、やわらかく
    降る雪。
 
    かな書きの句にして、雪の柔かさを示しています。
    大正13年の作で、その1年後に、三好達治は次の
    詩を書いています。

    「雪」   三好達治

    太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
    次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

    太郎の家にも、次郎の家にも雪が降っている。
    静かに雪が降り積もる中、スヤスヤと眠る子供の
    姿に、静けさとあどけなさが感じられる詩です。
    お母さんは安心して夜なべの針仕事をしているの
    だろうか。

    井泉水の句に安堵感が感じられます。

作者・・荻原井泉水=おぎわらせいせんすい。1884~19
           76。東大卒。機関誌「層雲」が有名。

出典・・村上譲著「仏心の俳句」。


いねいねと 人にいはれつ 年の暮   
                    路通

(いねいねと ひとにいわれつ としのくれ)

意味・・年の暮、人に頼って生活をするような境遇の
    自分は、あちらでもこちらでも「あっちへ行
    け」と言われ、冷たくあしらわれることだ。

    漂泊の僧として乞食生活を送った路通らしい
    句です。同門のみならず芭蕉にも不評を買っ
    た身の上を「いねいね」という語で厳しく見
    つめています。

 注・・いね=去ね、行け。

作者・・路通=斎部路通(いんべろつう)。1649~1738。
         神職の家柄であったが、乞食となって漂の旅
    を続けた。芭蕉に師事。

出典・・歌集「猿蓑」。

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