名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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*************** 名歌鑑賞 ****************

髪あげて 挿さむと云ひし 白ばらも のこらずちりぬ 
病める枕に
                  山川登美子
             
(かみあげて ささんといいし しろばらも のこらず
 ちりぬ やめるまくらに)

意味・・髪を結って挿しましょう、と言った、あの白ばらの
    花もみんな散ってしまった。病んでいる私の枕許で。

    病気中の枕許にきれいに活けられてあった白ばらの
    花を、やがて病が治ったら結い上げた髪に挿そうと
    思っていた。ところがいつのまにか花は散ってしま
    った。
   「白ばら」に希望を託していたのだが、それは叶わぬ
    状態にあることを歌っています。

 注・・髪あげて=髪を結って。

作者・・山川登美子=やまかわとみこ。1879~1909。31歳。
    与謝野昌子・増田雅子・山川登美子の共著の歌集「
    恋ごろも」を出版。

出典・・歌集「恋衣」。


*************** 名歌鑑賞 ****************


浮世の月 見過ごしにけり 末二年
                     井原西鶴
                 
(うきよのつき みすごしにけり すえにねん) 

前書・・辞世。人間50年の研(きわ)まり、それさへ我には
    あまりたるに、ましてや。

意味・・人生50年といわれているが、私はもう52年も生き
    てきたので、おしまいの2年間だけ浮世の月を余分
    に見過ぎたことになる。

    西鶴の辞世の句です。

 注・・浮世=楽しい世。
    見過ごし=月を余分に見過ごしたの意。つまり長生
     きし過ぎたの意。楽しい世であるからうっかり余
     分に生きたというもの。
    末二年=再晩年の二年間。

作者・・井原西鶴=いはらさいかく。1642~1693。大阪の
    町人に生まれる。「好色一代男」の作者。一昼夜に
    23500句を吟じたという。

出典・・西鶴置土度(おきみやげ)(小学館「近世俳句俳文集」)    


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賢しみと 物言うよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし
まさりたるらし
                 大伴旅人

(さかしみと ものいうよりは さけのみて えいなき
 するし まさりたるらし)

意味・・かしこぶって、小賢(こざか)しい口をきくよりは、
    酒に思う存分酔って、その極みでおいおい泣いて
    いる方がよほどよい心地になるものだよ。

    「酔い泣き」は酔いが極まって、恥じも外聞も、
    理性も知性も消えうせた状態になり、泣き上戸で
    声をあげて泣いている状態です。普通で考えれば
    こんなみっともない事はないのですが、そこまで
    行くのが究極の酒の飲み方だ、といっているよう
    です。とことん自己解放の出来ることが良いとい
    っています。しかし、裏を返せばそこまで飲まな
    いと自分の憂いは払うことが出来ないということ
    です。最愛の妻に先立たれた後だと考えると
    「酔い泣き」には男泣きする旅人のつらさがこめ
    られています。

作者・・大伴旅人=おおともたびと。665~731。従二位
    大納言。

出典・・万葉集・341


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澄めば見ゆ 濁れば隠る 定めなき この身や水に
やどる月かげ     
                 藤原永範

(すめばみゆ にごればかくる さだめなき このみや
 みずに やどるつきかげ)

意味・・心が澄めばよく見えるし、濁れば隠れて
    しまう。無常なこの身は水に映る月のよ
    うなものであろうか。

    静かな水面には月は映り、波たって濁れ
    ば月は映らない。人の気持ちもこのよう
    なもので、心が穏やかな時は水面に月が
    映って美しい状態だが悩みなどがあって
    心が穏やかでなくなると月は映らなくな
    ってしまう。

 注・・定めなき=はかない、無常だ。

作者・・藤原永範=ふじわらのながのり。1180没。
    81歳。正三位宮内郷。

出典・・千載和歌集・1224。


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数ならで 心に身をば まかせねど 身にしたがふは
心なりけり            
                 紫式部

(かずならで こころにみをば まかせねど みに
 したがうは こころなりけり)

意味・・私は物の数でもない存在なので、意志のまま
    にこの身を処すことは出来ないけれど、それ
    とは逆に身の上に従って押し流されるのは心
    だったのですね。

    運命とは一介の私の力では動かせないものだ、
    だがその運命に素直に従っていけば、自然と
    心もそれに添っていくものですね。

    自分の身の上が予想した通りにならなかった
    ので、思いつめて詠んだ歌です。

    この状況を事例で示すと、
    会社勤めで、辞令の時期に昇進を期待してい
    たのだが、予想に反して関連会社への出向と
    なった。最初は悔しい思いであったが、出向
    先に慣れて来ると住めば都となった。

 注・・数ならで=数える価値がない、取るに足りな
     い。ここでは、高貴の筋からの要望を断り
     切れぬ立場の表現。
    まかせねど=思うままにさせるのは難しいが。
    身にしたがふは=境遇に従ってしまうのは。
    心なりけり=自立した意志通りに動くと思っ
     ていた、その心なのだった。

作者・・紫式部=むらさきしきぶ。970頃~1016頃。
    藤原宣考は夫。藤原道長に見出され、その娘
    の中宮彰子に出仕。

出典・・ライザ・ダルビー著「紫式部物語」・千載和
    歌集・1096。


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昔見し 象の小川を 今見れば いよよさやけく
なりにけるかも     
               大伴旅人

(むかしみし きさのおがわを いまみれば いよよ
 さやけく なりにけるかも)

意味・・昔見た象(きさ)の小川を今再び見ると、流れ
    は昔にましていよいよますます清らかである。

    象の小川、すなわち離宮を讃えた歌でもあり
    人の成長していくのを讃えた歌でもあります。

 注・・象(きさ)の小川=奈良県吉野町の喜佐谷を流
     れて宮滝(離宮があった所)で吉野川に注ぐ
     川。
    いよよ=いよいよ、ますます。

作者・・大伴旅人=おおとものたびと。665~731。
    大宰府師(そち・長官のこと)、大納言、従二
    位。人事を詠んだ歌が多い。

出典・・万葉集・316。


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ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 島隠れゆく
舟をしぞ思ふ           
                 詠み人知らず
             
(ほのぼのと あかしのうらの あさぎりに しまかくれ
 ゆく ふねをしぞおもう)

意味・・ほんのりと明るんでいく明石の浦、その明石の
    浦に立ち込める朝霧の中を、島隠れに行く舟を
    しみじみと感慨深く眺めることだ。

    ほのぼのと明け行く明石の浦の朝霧の中をぼっ
    とかすみ、やがて点景となって消えてゆく舟に、
    危険の多い航路、旅に伴う不安を想いやり無事
    を祈る作者の心を詠んでいます。

 注・・ほのぼのと=ほんのりと、かすかに。
    あかしの浦=兵庫県明石の海岸。「あかし」に
     「明けし」を掛ける。
    舟をしぞ思ふ=「しぞ」は前の名詞の語を強調
     する。朝霧の中の弧舟、その中にあって旅を
     続ける人々の寂しさや心細さを強めて思いや
     っている。

作者・・柿本人麻呂とも言われています。

出典・・古今和歌集・409。


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ときは今 あめがしたしる 五月かな 水上まさる 
庭の松山
                  明智光秀

(ときはいま あめがしたしる さつきかな みなかみ
 まさる にわのまつやま)

意味・・今は五月(陰暦)の梅雨の季節なので、強い雨足
    で降り、庭に流れ込む水も溢れんばかりになっ
    ている。

    歌の上句は「土岐は今天が下知る五月かな」
    を意味し、光秀の決意が秘められているとい
    われています。

    土岐氏の流れをくむ明智光秀は、信長に替わ
    って天下に号令する統治者たらんと宣言しょ
    う。この事は朝廷も待ち望んでいることだ、
    の意になる。

 注・・したしる=滴しる。水が垂れ落ちる。
    まさる=増さる。増える、多くなる。
    下知る=指図をする、命令する、号令する。
    天が下知る=天下を支配する。
    庭=ここでは朝廷を意味する。
    松山=ここでは待望しているの意。

作者・・明智光秀=1528~1582。土岐氏一族の出身。
    従五位日向守。本能寺の変・・1582年秀吉の
    毛利征伐の支援に出陣の時、「敵は本能寺に
    あり」と言って本能寺にいる主君織田信長を
    討った。その後すぐ豊臣秀吉に討たれた。

出典・・半田青涯著「歴史を駆け抜けた群雄の一句」。



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よしあしに うつるならひを 思ふにも あやふきものは
こころなりけり
                   伴蒿蹊

(よしあしに うつるならいを おもうにも あやうき
 ものは こころなりけり)

意味・・善と悪に影響を受けて心が変化するのが人の世の
    常と思うけれども、どうなるのか気がかりなのは
    人のこころだなあ。

    まわりの環境に染まりやすく、善悪のけじめがゆ
    らぎがちなのが人間の心だという認識を詠んでい
    ます。

 注・・うつる=移る。心が他に移る、心が変化する。
    ならひ=習ひ・慣ひ。世の常、世間の道理。
    あやふき=危ふき。気がかり、不安。

作者・・伴蒿蹊=ばんこうけい。1733~1806。近江八幡の
    豪商の生まれ。文章家として有名。著作に「近世
    奇人伝」、歌集に「閑田詠草」がある。

出典・・歌集「閑田詠草」(小学館「近世和歌集」)


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今ははや 恋ひ死なましを あひ見むと 頼めしことぞ
命なりける
                   清原深養父
            
(いまははや こいしなましを あいみんと たのめし
 ことぞ いのちなりける)

意味・・今頃はもうとっくに、ほんとうなら、恋焦がれて
    死んでいたであろうに。「そのうちに逢いましょ
    う」と、私を頼みに思わせた言葉が、今まで私を
    生き長らえさせてくれたのだ。

 注・・今ははや=今は直ちに。
    恋ひ死なましを=恋こがれて死んでいたであろう
     に。
    あひ見む=逢いましょう、相手の言った頼め言。
    頼めし=期待させる。

作者・・清原深養父=きよはらのふかやぶ。930年頃活躍
    した人。清少納言の曾祖父。

出典・・古今和歌集・613。

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