名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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*************** 名歌鑑賞 **************


なべて世の はかなきことを 悲しとは かかる夢みぬ
人やいひけむ
                 建礼門院右京大夫

(なべてよの はかなきことを かなしとは かかる
 ゆめみぬ ひとやいいけん)

意味・・世間の人はよく、この世ははかなくて悲しい
    ものだと簡単に言ってしまうが、それは今度
    の私のように恋しい人を死なせてしまうとい
    う恐ろしい目にあったこともなく、またそん
    な夢を見たこともないからこそ、そんな気楽   
    なことが言えるのではないだろうか。

    恋人の平資盛(すけもり)が源平の戦いで壇の  
    浦で負けて入水したのを伝え聞いて詠んだ歌
    です。つい最近まで元気な姿で会っていたの
    に、この世は本当にはかないものだと悲しさ
    を実感した歌です。

 注・・なべて=並べて。おしなべて、一般に。
    はかなき=無常である、あっけない。

作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんうきよ
    うのだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の
    中宮平徳子(建礼門院)に仕えた。この間に平
    資盛との恋が始まる。1185年に壇の浦で資盛
    ら平家一門は滅亡した。

出典・・後藤安彦著「短歌で見る日本史群像」。
  

************ 名歌鑑賞 ***************


生きかはり 死にかはりして 打つ田かな

                   村上鬼城

(いきかわり しにかわりして うつたかな)

意味・・鍬(くわ)を振り上げ黙々と田を耕している
    男がいるが、この田は父祖代々、毎年毎年
    耕し続けて来たものであることを思うと、
    胸迫る思いがすることだ。

    田園風景は、日本古来のものであったが、
    最近は機械化が進み、また、米を外国から
    輸入する時代になって、このような風景も
    いつまで続くだろうか。

 注・・生きかはり=生まれ変る意。
    死にかはり=人が死んで代が変ること。
    打つ田=田打ち、田を耕す。

作者・・村上鬼城=むらかみきじよう。1865~19
    38。耳症のため父の職を継ぎ裁判所の代書
    人となる。

出典・・句集「鬼城句集」(石寒太著「命の一句」)



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ふと思ふ
ふるさとにいて 日毎聴きし 雀の鳴くを
三年聴かざり
              石川啄木

(ふとおもう ふるさとにいて ひごとききし すずめの
 なくを みとせきかざり)

意味・・ふと思った。自然豊かな故郷にいた頃には毎日の
    ように耳にしていた雀の鳴き声だったが、故郷を
    遠く離れて暮らす今、もう三年もの間雀の鳴き声
    を耳にしていない。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
    歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻に師事すべ
    く上京。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」。

出典・・一握の砂。

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ことば否 こえのたゆたひ 惑ひいる 君がこころを
われは味はふ
                  河野裕子

(ことばいな こえのたゆたい まどいいる きみが
 こころを われはあじわう)

意味・・あなたの言葉、いいえあなたの声が揺れて
    います。その揺らぎの中に、迷っているあ
    なたの心を感じて、私はじっと味わってい
    ます。

    話しかけるともなく、独り言のように何か
    を言っている夫の言葉。仕事や会社関係な
    どのため、妻に関係がなく話しに乗っても
    らえない。それでぶつぶつ独り言のように
    言っている。夫はどんなことで悩んでいる
    のだろうか。

 注・・たゆたひ=揺れ動く、ためらう、心がさだ
     まらない。

作者・・河野裕子=かわのゆうこ。1946~2010。
    京都女子大学文学部卒。宮柊二に師事。

出典・・歌集「はやりを」(栗本京子著「短歌を楽し
    む」)

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藤が咲き つつじは開き 牡丹かがやく。 季節となれば、
もう 止めどもなく           
                    八代東村

(ふじがさき つつじはひらき ぼたんかがやく。 きせつ
 となれば、 もう とめどもなく)

意味・・藤の花が咲いた、つつじの花も開いて牡丹の花も
    輝くように咲いている。冬から春に季節は移り変
    り変り、それに応じた花が止めどもなくいっぱい
    咲き、楽しませてくれる。

    昭和25年に詠んだ歌です。「季節となれば、もう
    止めどもなく」は、ただ季節の力のみではないと
    思う作者である。草木の花は、それを植えた人が
    おり、水をやり手入れする人がいて美しい花を咲
    かせるのである。社会の進歩、発展を願い、苦し
    みの果ての明るい夢を見ている作者である。

作者・・八代東村=やしろとうそん。1889~1952。青山
    師範卒。弁護士。

出典・・歌集「東村遺歌集」(窪田章一郎編「現代短歌鑑賞
    辞典」)

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たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて
腹をよるとき
                橘曙覧

(たのしみは こころをおかぬ ともどちと わらい
 かたりて はらをよるとき)

意味・・私の本当の楽しみは、気兼ねの要らない友達
    と談笑して、おかしさのあまり、腹の底から
    笑い腹の皮がよじれる時です。心を許せる友
    人がいるのは、なんと幸せなことでしょう。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早
    くから父母に死別し、家業を異母弟に譲り隠
    棲。福井藩の重臣と交流。

出典・・独楽吟(岡本信弘篇「独楽吟」)

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数ならぬ しづが垣根の 梅が枝に 身をうぐひすの
音をのみぞなく
                 大納言北の方

(かずならぬ しずがかきねの うめがえに みを
 うぐいすの ねをのみぞなく)

意味・・人数にも入らない身分賎(いや)しい私の家の
    垣根の梅の枝に、鶯が来て鳴いていますが、
    私も鶯のように、我が身が辛いと思って、声
    を挙げて泣いています。

 注・・うぐひす=「う」は「鶯」と「憂」を掛ける。
    なく=「泣く」と「鳴く」を掛ける。

作者・・大納言北の方=物語の登場人物。北の方は貴
     人の妻。

出典・・樋口芳麻呂著「王朝物語秀歌選」。

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くるに似て かへるに似たり 沖つ波 立居は風の
吹くにまかせて
                  貞心尼

(くるににて かえるににたり おきつなみ たちいは
 かぜの ふくにまかせて)

意味・・人の運命は、寄せて来ると思えば戻る波のよう
    なものである。喜びがあれば憂いもあり、成功
    もすれば失敗もする。だから、努力した結果は
    幸も不幸も風の吹くまま運命にまかせよう。

    辞世の歌で、洞雲寺の墓石にこの歌が刻まれて
    いる。

作者・・貞心尼=ていしんあま。1798~1872。尼僧。
    30歳の時、良寛に出会い禅を修行する。

出典・・宣田陽一郎著「辞世の名句」。

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をさなごはさびしさ知らね椎拾う
                                                                滝春一

(おさなごは さびしさしらね しいひろう)

意味・・子供は無心に嬉々として椎の実を拾っている。
    そんな中、私はふとさびしさが心をかすめる。
    しかし、こういうさびしさを子供は知るまい
    し、分かろうはずもない、そんな感慨を私は
    噛みしめているのである。

 注・・さびしさ=考え事、気になる事、悩み事。
    知らね=知るまい。「ね」は打ち消しの「ず」
     の已然形。「知らず・知らじ」より柔らか味
     のある詠嘆の語。

作者・・瀧春一=たきはるいち。1901~1965。三越呉
    服店に入社。水原秋桜子に師事。

出典・・歌誌「馬酔木(あしび)」(松林尚志著「春瀧一
    鑑賞」)

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くさふめば くさにかくるる  いしずえの くつの
はくしゃに  ひびくさびしさ
                   会津八一

(草ふめば 草に隠るる 礎の 靴の拍車に 
 ひびく寂しさ)

詞書・・山田寺の址にて。

意味・・今となっては歴史の時間の中に埋没し、姿を
    とどめない山田寺の跡地を訪れ、生い茂る草
    を踏み分けて歩いていると、ふと、私の乗馬
    靴の拍車が、何かに触れてこすれた音を立て
    た。それは、草に隠れて見えず、私の足元に
    あった山田寺の礎石に当たって出た音だった。
    その乾いた音の、何と空しく、さびしい響き
    であったことだろう。
     
    山田寺の哀史。
    蘇我氏一族であった蘇我倉山田石川麻呂は宗
    家(そうけ)の蘇我入鹿(そがのいるか)と
    対立し、娘婿の中大兄皇子(なかのおおえの
    おうじ)について蘇我氏打倒に参画し、改新
    政府の右大臣を務めたが、異母弟の蘇我日向
    (そがのひむか)により謀叛の疑いをかけら
    れ、649年、建造中の山田寺の仏殿において
    妻子一族と共に、失意のうちに自害して果て
    た。後に疑いが晴れ、山田寺は着工から45年
    を経てようやく完成したが、1187年に興福寺
    の僧兵によって焼き払われた。山田寺は世界
    最古の木造建築である法隆寺より半世紀も遡
    (さかのぼ)る木造建築物の遺物となった。

 注・・山田寺の址=奈良県桜井市山田にあった古代寺
     院。649年建造。丈六(4.8m)の仏像は頭部の
     み残り国宝として興福寺に所蔵されている。
     南大門・金堂・講堂塔婆等が一直線上に礎石
     として残る。
    いしずえ=山田寺跡地に残る礎石。
    はくしゃ=拍車。 乗馬用の靴のかかとにつける
     金具。かかとの側に小さな歯車をつけ、それ
     で馬の横腹を蹴って馬を御する。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早大
    文科卒。文学博士。美術史研究家。

出典・・歌集「鹿鳴集」(吉野秀雄著「鹿鳴集歌解」)

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