名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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*************** 名歌鑑賞 ***************


ふと思ふ
ふるさとにいて 日毎聴きし 雀の鳴くを
三年聴かざり
              石川啄木

(ふとおもう ふるさとにいて ひごとききし すずめの
 なくを みとせきかざり)

意味・・ふと思った。自然豊かな故郷にいた頃には毎日の
    ように耳にしていた雀の鳴き声だったが、故郷を
    遠く離れて暮らす今、もう三年もの間雀の鳴き声
    を耳にしていない。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
    歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻に師事すべ
    く上京。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」。

出典・・一握の砂。

*************** 名歌鑑賞 ***************


ことば否 こえのたゆたひ 惑ひいる 君がこころを
われは味はふ
                  河野裕子

(ことばいな こえのたゆたい まどいいる きみが
 こころを われはあじわう)

意味・・あなたの言葉、いいえあなたの声が揺れて
    います。その揺らぎの中に、迷っているあ
    なたの心を感じて、私はじっと味わってい
    ます。

    話しかけるともなく、独り言のように何か
    を言っている夫の言葉。仕事や会社関係な
    どのため、妻に関係がなく話しに乗っても
    らえない。それでぶつぶつ独り言のように
    言っている。夫はどんなことで悩んでいる
    のだろうか。

 注・・たゆたひ=揺れ動く、ためらう、心がさだ
     まらない。

作者・・河野裕子=かわのゆうこ。1946~2010。
    京都女子大学文学部卒。宮柊二に師事。

出典・・歌集「はやりを」(栗本京子著「短歌を楽し
    む」)

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藤が咲き つつじは開き 牡丹かがやく。 季節となれば、
もう 止めどもなく           
                    八代東村

(ふじがさき つつじはひらき ぼたんかがやく。 きせつ
 となれば、 もう とめどもなく)

意味・・藤の花が咲いた、つつじの花も開いて牡丹の花も
    輝くように咲いている。冬から春に季節は移り変
    り変り、それに応じた花が止めどもなくいっぱい
    咲き、楽しませてくれる。

    昭和25年に詠んだ歌です。「季節となれば、もう
    止めどもなく」は、ただ季節の力のみではないと
    思う作者である。草木の花は、それを植えた人が
    おり、水をやり手入れする人がいて美しい花を咲
    かせるのである。社会の進歩、発展を願い、苦し
    みの果ての明るい夢を見ている作者である。

作者・・八代東村=やしろとうそん。1889~1952。青山
    師範卒。弁護士。

出典・・歌集「東村遺歌集」(窪田章一郎編「現代短歌鑑賞
    辞典」)

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たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて
腹をよるとき
                橘曙覧

(たのしみは こころをおかぬ ともどちと わらい
 かたりて はらをよるとき)

意味・・私の本当の楽しみは、気兼ねの要らない友達
    と談笑して、おかしさのあまり、腹の底から
    笑い腹の皮がよじれる時です。心を許せる友
    人がいるのは、なんと幸せなことでしょう。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早
    くから父母に死別し、家業を異母弟に譲り隠
    棲。福井藩の重臣と交流。

出典・・独楽吟(岡本信弘篇「独楽吟」)

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数ならぬ しづが垣根の 梅が枝に 身をうぐひすの
音をのみぞなく
                 大納言北の方

(かずならぬ しずがかきねの うめがえに みを
 うぐいすの ねをのみぞなく)

意味・・人数にも入らない身分賎(いや)しい私の家の
    垣根の梅の枝に、鶯が来て鳴いていますが、
    私も鶯のように、我が身が辛いと思って、声
    を挙げて泣いています。

 注・・うぐひす=「う」は「鶯」と「憂」を掛ける。
    なく=「泣く」と「鳴く」を掛ける。

作者・・大納言北の方=物語の登場人物。北の方は貴
     人の妻。

出典・・樋口芳麻呂著「王朝物語秀歌選」。

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くるに似て かへるに似たり 沖つ波 立居は風の
吹くにまかせて
                  貞心尼

(くるににて かえるににたり おきつなみ たちいは
 かぜの ふくにまかせて)

意味・・人の運命は、寄せて来ると思えば戻る波のよう
    なものである。喜びがあれば憂いもあり、成功
    もすれば失敗もする。だから、努力した結果は
    幸も不幸も風の吹くまま運命にまかせよう。

    辞世の歌で、洞雲寺の墓石にこの歌が刻まれて
    いる。

作者・・貞心尼=ていしんあま。1798~1872。尼僧。
    30歳の時、良寛に出会い禅を修行する。

出典・・宣田陽一郎著「辞世の名句」。

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をさなごはさびしさ知らね椎拾う
                                                                滝春一

(おさなごは さびしさしらね しいひろう)

意味・・子供は無心に嬉々として椎の実を拾っている。
    そんな中、私はふとさびしさが心をかすめる。
    しかし、こういうさびしさを子供は知るまい
    し、分かろうはずもない、そんな感慨を私は
    噛みしめているのである。

 注・・さびしさ=考え事、気になる事、悩み事。
    知らね=知るまい。「ね」は打ち消しの「ず」
     の已然形。「知らず・知らじ」より柔らか味
     のある詠嘆の語。

作者・・瀧春一=たきはるいち。1901~1965。三越呉
    服店に入社。水原秋桜子に師事。

出典・・歌誌「馬酔木(あしび)」(松林尚志著「春瀧一
    鑑賞」)

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くさふめば くさにかくるる  いしずえの くつの
はくしゃに  ひびくさびしさ
                   会津八一

(草ふめば 草に隠るる 礎の 靴の拍車に 
 ひびく寂しさ)

詞書・・山田寺の址にて。

意味・・今となっては歴史の時間の中に埋没し、姿を
    とどめない山田寺の跡地を訪れ、生い茂る草
    を踏み分けて歩いていると、ふと、私の乗馬
    靴の拍車が、何かに触れてこすれた音を立て
    た。それは、草に隠れて見えず、私の足元に
    あった山田寺の礎石に当たって出た音だった。
    その乾いた音の、何と空しく、さびしい響き
    であったことだろう。
     
    山田寺の哀史。
    蘇我氏一族であった蘇我倉山田石川麻呂は宗
    家(そうけ)の蘇我入鹿(そがのいるか)と
    対立し、娘婿の中大兄皇子(なかのおおえの
    おうじ)について蘇我氏打倒に参画し、改新
    政府の右大臣を務めたが、異母弟の蘇我日向
    (そがのひむか)により謀叛の疑いをかけら
    れ、649年、建造中の山田寺の仏殿において
    妻子一族と共に、失意のうちに自害して果て
    た。後に疑いが晴れ、山田寺は着工から45年
    を経てようやく完成したが、1187年に興福寺
    の僧兵によって焼き払われた。山田寺は世界
    最古の木造建築である法隆寺より半世紀も遡
    (さかのぼ)る木造建築物の遺物となった。

 注・・山田寺の址=奈良県桜井市山田にあった古代寺
     院。649年建造。丈六(4.8m)の仏像は頭部の
     み残り国宝として興福寺に所蔵されている。
     南大門・金堂・講堂塔婆等が一直線上に礎石
     として残る。
    いしずえ=山田寺跡地に残る礎石。
    はくしゃ=拍車。 乗馬用の靴のかかとにつける
     金具。かかとの側に小さな歯車をつけ、それ
     で馬の横腹を蹴って馬を御する。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早大
    文科卒。文学博士。美術史研究家。

出典・・歌集「鹿鳴集」(吉野秀雄著「鹿鳴集歌解」)

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蟻ひとつ わが足もとに 歩みきて ゆくへを索め
またゆきにけり          
                 福田栄一

(ありひとつ わがあしもとに あゆみきて ゆくえを
 もとめ またゆきにけり)

意味・・ちいさな蟻が一匹自分の足元に歩んで来て、
    どこに行ったらよいか、行方をさぐっていた
    が、またどこともなく去って行った。

    作者が中央公論の編集次長だった昭和19年
    に詠んだ歌です。詞書は「中央公論社の存在
    が国家意思遂行の為に支障ありとの理由によ
    って解散させられた」となっています。彷徨
    (さまよ)っている自分の姿を蟻に比喩してい
    ます。

 注・・索(もと)め=さがしまわる。

作者・・福田栄一=ふくだえいいち。1909~1975。
    東洋大卒。中央公論の編集委員。

出典・・歌集「この花に及かず」(武川忠一編「現代
    短歌」)

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面影に 花の姿を さきだてて 幾重越え来ぬ
峰の白雲
               藤原俊成

(おもかげに はなのすがたを さきだてて いくえ
 こえきぬ みねのしらくも)

意味・・桜花の姿を目の前に思い描き追い求め、幾つの
    山々を越えて来たことだろう。しかしその度に、
    花と見紛(まが)う白雲が、むこうの峰にかかる
    のを見るばかりだ。

    花の姿は、好きな人であり、志でもある。何度
    も失意の苦さを味わいながらも、なお、美を追
    い求めてやまない、というのがよい。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
    正三位・皇太后宮大夫。「千載和歌集」を撰進。

出典・・新勅撰和歌集・57


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