名歌名句鑑賞

心に残る名言、名歌・名句鑑賞

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*************** 名歌鑑賞 ****************


蟻ひとつ わが足もとに 歩みきて ゆくへを索め
またゆきにけり          
                 福田栄一

(ありひとつ わがあしもとに あゆみきて ゆくえを
 もとめ またゆきにけり)

意味・・ちいさな蟻が一匹自分の足元に歩んで来て、
    どこに行ったらよいか、行方をさぐっていた
    が、またどこともなく去って行った。

    作者が中央公論の編集次長だった昭和19年
    に詠んだ歌です。詞書は「中央公論社の存在
    が国家意思遂行の為に支障ありとの理由によ
    って解散させられた」となっています。彷徨
    (さまよ)っている自分の姿を蟻に比喩してい
    ます。

 注・・索(もと)め=さがしまわる。

作者・・福田栄一=ふくだえいいち。1909~1975。
    東洋大卒。中央公論の編集委員。

出典・・歌集「この花に及かず」(武川忠一編「現代
    短歌」)

*************** 名歌鑑賞 ***************


面影に 花の姿を さきだてて 幾重越え来ぬ
峰の白雲
               藤原俊成

(おもかげに はなのすがたを さきだてて いくえ
 こえきぬ みねのしらくも)

意味・・桜花の姿を目の前に思い描き追い求め、幾つの
    山々を越えて来たことだろう。しかしその度に、
    花と見紛(まが)う白雲が、むこうの峰にかかる
    のを見るばかりだ。

    花の姿は、好きな人であり、志でもある。何度
    も失意の苦さを味わいながらも、なお、美を追
    い求めてやまない、というのがよい。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
    正三位・皇太后宮大夫。「千載和歌集」を撰進。

出典・・新勅撰和歌集・57


*************** 名歌鑑賞 ***************


かねてより 音には聞きて 猪苗代 来て湖の
飽かぬ眺めを
                小笠原長行

(かねてより おとにはききて いなわしろ きて
 みずうみの あかぬながめを)

意味・・かねてから猪苗代湖のことは話しに聞いて
    いたが、実際に見てみると全く飽きない、
    美しい眺めである。

    明治元年、新政府と対立して江戸から会津
    城下に向かった時に詠んだ歌です。旧幕府
    側の会津藩にもてはやされていごこちの良
    さ、長い道中も終わろうとする安堵感を歌
    っています。

作者・・小笠原長行=おがさわらながみち。1822~
    1891。唐津藩主。幕府老中。兵庫開港に
    尽力。

出典・・菊池明著「幕末百人一首」。

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くれないの 牡丹咲く日は 大空も 地に従へる
ここちこそすれ
                 与謝野晶子

(くれないの ぼたんさくひは おおぞらも ちに
 したがえる ここちこそすれ)

意味・・庭に降りると大きな牡丹の花が咲いている。
    紅色に淡く柔らかそうな花が見事に美しく
    咲いている。空を見上げると、大空はこの
    牡丹の花に清々しさを添えるように青々と
    している。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。
    堺女学校卒。鉄幹と結婚。「明星」で活躍
    した。

出典・・愛知県津島市立図書館。

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我のみぞ いそぎたたれぬ 夏衣 ひとへに春を
おしむ身なれば
                源師賢

(われのみぞ いそぎたたれぬ なつごろも ひとえに
 はるを おしむみなれば)

意味・・私だけは急ぎ裁ってないよ、夏衣を。夏衣の単
    (ひとえ)ではないが、ひとえに春を惜しんでい
    る身なので。

 注・・たたれぬ=着物を裁たない。
    夏衣=装束が合わせから 単(ひとえ)になる。
    ひとへ=ひたすらの意に「単」を掛ける。

作者・・源師賢=みなもとのもろかた。1035~1081。
    蔵人頭・正四位下。

出典・・金葉和歌集・94。

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ながき日の 森のしめなわ くりかへし あかずかたらふ
山ほととぎす
                   藤原為家

(ながきひの もりのしめなわ くりかえし あかず
 かたらう やまほととぎす)

意味・・長い一日、夏の日が漏る森の社のしめ縄、
    それを繰(く)る、というように、繰り返し
    繰り返し鳴く時鳥よ。

    森厳な神社で時鳥が鳴くのを厳粛な気持ち
    で聞いています。

 注・・ながき日の森=初夏の長い一日。「日」に
     太陽の意を掛けて、「森」に「漏り」を
     掛ける。
    しめなわくりかへし=多くは神域を区切る
     ための縄をいう。わらを左ねじりにねじ
     って作る。縄を繰るというので、次の「
     くりかへし」を導くが、同時に時鳥の鳴
     く場を示している。

作者・・藤原為家=ふじわらのためいえ。1198~
    1275。正二位大納言。

出典・・新勅撰和歌集・162。

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五月雨は たく藻の煙 うちしめり しほたれまさる
須磨の浦人
                 藤原俊成

(さみだれは たくものけぶり うちしめり しおたれ
 まさる すまのうらびと)

意味・・謫居(たっきょ)の身の須磨の浦人は日頃から涙が
    ちなのに、五月雨の頃は焼いて塩を取る藻も湿め
    りがちで、いちだんと濡れぼそていることだ。

    五月雨が藻塩を湿らせていよいよ焼きにくくし、
    浦人の嘆きを一層つのらせている。

    参考歌です。

   「わくらばに問う人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ
    わぶと答へよ」   (意味は下記参照)
    
 注・・五月雨=陰暦の五月に降る長雨。梅雨。
    たく藻の煙=製塩するため、海水を注ぎかけて塩    
     分を含ませた海藻を干して焼く、その煙。この
     灰を水に溶かし、上澄みを煮て塩を取る。
    しおたれまさる=海水に濡れて雫が垂れる。そして
     袖が涙で濡れるほど嘆き沈むことを暗示する。
    須磨の浦人=須磨の浦は摂津国の枕詞。罪を負っ
     て須磨に謫居している都の貴人。
    謫居(たっきょ)=罪によって遠い地方に流されて
     いること。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
    正三位・皇太后大夫。「千載和歌集」の撰者。

出典・・千載和歌集・183。

参考歌です。

わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ
わぶと答へよ
                   在原行平

(わくらばに とうひとあらば すまのうらに もしお
 たれつつ わぶとこたえよ)

意味・・たまたま、私のことを尋ねてくれる人があった
    ならば、須磨の浦で藻塩草に塩水をかけて、涙
    ながらに嘆き暮らしていると答えてください。

    文徳天皇との事件にかかわり須磨に流罪になっ
    た時に親しくしていた人に贈った歌です。

作者・・在原行平=ありわらのゆきひら。818~893。

出典・・古今和歌集・962。 

    

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吹きと吹く 風な恨みそ 花の春 紅葉も残る
秋あらばこそ
                北条氏政

(ふきとふく かぜなうらみそ はなのはる もみじも
 のこる あきあらばこそ)

意味・・桜の花よ、吹きしきる春の風を恨まないでく
    れ。秋になったら美しい紅葉として残る葉も
    あるのだから。

    氏政は小田原城にたてこもり、秀吉の大軍を
    迎え撃ったが、秀吉の兵糧攻めに合い、無条
    件降伏した時に詠んだ辞世の歌です。

  注・・吹きと吹く=吹きに吹く。「と」は同じ動詞
     の間に用いて、意味を強調する語。
    な・・そ=動作を禁止する語。どうか・・し
     てくれるな。
    あらばこそ=あるのだから。「こそ」は活用
     語の已然形に「ば」を介して理由を強調す
     る語。

作者・・北条氏政=ほうじょううじまさ。1538~1580。
    戦国時代の相模国の武将。豊臣秀吉の小田原
    征伐に破れ降伏して切腹。

出典・・赤瀬川原平著「辞世のことば」。

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我が庵は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を
軒端にぞ見る
               大田道灌

(わがいおは まつばらつづき うみちかく ふじの
 たかねを のきばにぞみる)

意味・・私の家は松林の続く海の近くにあり、家の軒端
    からは富士の雄姿を見上げることが出来、景色
    の素晴らしい所に住んでいます。

作者・・大田道灌=おおたどうかん。1432~1486。室町
    時代の武将。江戸城を築く。

出典・・慕景集(宇野精一編「平成新選百人一首」)

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花さへに 世をうき草に なりにけり 散るを惜しめば
さそう山水
                  西行

(はなさえに よをうきぐさに なりにけり ちるを
 おしめば さそうやまみず)

意味・・私ばかりでなく、花までもが世の中を憂いもの
    として水面に散って浮き草のようになってしま
    った。散るのを惜しんでいると、一方では一緒
    に行こうと誘って流れて行く山川の水がある、
    花はそれに誘われて流れて行ってしまうことだ。

    歌合の評者の定家は「散るを惜しめば」を「春
    をおしめば」と訂正と改めたらどうか、と述べ
    ている。現実的な光景を一般的な惜春の情にし
    はどうかと言ったもの。いずれにしても、散る
    のを惜しめば、春を惜しめば、山川の水が誘う
    ので、花は早く散り春は早く過ぎ去って行くと
    歌ったものです。人生の春を謳歌するのも、す
    ぐに過ぎ去る意を含んでいる。

 注・・世をうき草=「うき」は「憂き」と「浮き」を
     掛ける。「憂き」は人生の春を惜しむ心。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・宮河歌合(小学館「中世和歌集」)
    


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